明けの王

「それで」

 声の主は明らかに不機嫌であった。ため息一つで、周囲を萎縮させてしまう程に。

「なんだ、この騒ぎは」

 あまりの威圧感に、唾を嚥下することすら躊躇われるような、そんな空間であった。

 妖女まじょ捕縛から一夜明けた都は、その話題で持ちきりとなっていた。

 暁都の北側に鎮座する王宮とて例外ではない。噂は砂塵に乗って届き、朝日が昇る頃には、宮殿内は妖女の話で席巻されていた。

 彼の不機嫌は、考えるまでもなく、その一件に起因する。

 誰も、何も答えないのを見て、彼の顔は一層険しくなる。

 これ以上はまずいと判断した側近が手を挙げた。

妖女まじょです、王よ」

「分かりきっていることを口にするな」

 彼はぴしゃりと言った。唸り声にも似た響きに周りの人間たちはまた身を縮めた。

 側近の努力もむなしく、余計に彼が苛立つ結果となってしまったのだった。

 彼は掬った黄金の髪の一束を、空気窓から差した陽に煌めかせた。

「我が都が、妖女まじょごときでなぜこれほどまでやかましくなったのかと訊いている」

 毛先から側近たちへと目線を戻し、ふてぶてしく玉座に身を預ける彼こそ、暁光の都の王である。王の間に控える誰よりも筋骨隆々な彼は、半裸の上にシルクのガウンを羽織っていた。ハリのある逞しい褐色の肌は、太陽の恩寵を受けた暁都の民の特徴でもある。

 はだけさせた上半身にはびっしりと紋様が彫られていた。肌を埋め尽くさんばかりの刺青はところどころ人の目のようにも見え、その不気味な存在感が、彼にさらなる威圧感を与えていた。

「託宣が真実であったことが、昨夜の事件を大きくしているのです」

 王が鼻で笑う。

「笑いごとではございません、王よ」

「託宣に偽りがないことが証明されたのです」

 臣下たちが顔を見合わせ、何度も頷く。重大な事とばかりに。

 くだらん、と囁いた王は目を閉じ、朝の営みに勤しむ都に耳を澄ませた。活気のある声がそこかしこから聞こえてくる。

 足を組み替えて、外に顔を向ける。

 東より来たる侵略者。妖女が現れたというのは神官の受けた託宣通りの出来事である。

 しかし、神官はおろか臣下すらも信用していない王にとって、この騒動は疑わしい事実でしかなかった。

「由々しき事態です。神官の名声があがれば、いずれ王の地位を揺るがしかねない」

「我々が御せる今のうちに、神官の処遇を決定すべきかと」

「下々があれらを祀りあげることのないよう、早めに手を打つべきです」

 王の間に集まった彼らは、それぞれの考えを好き勝手に口にする。豪奢な石の床に、ざわめきがこだました。

 王は苛々と息を吸った。

 ふざけたことを吐かすものだ。

 自分に胡麻を擦っておきながら、結局こやつらは皆、この件の褒賞と曰って神官の地位を上げさせることで自分たちの評価を上げたいだけなのだ。それを成果に神官に取り入り、王座を我がものにせんと狙っているだけ。どこまでも自分本位な輩どもである。

 王には臣下たちの魂胆は見え透いていた。それもまた、彼の苛立ちを助長させていた。

「誰に」

 王の怒りが衣擦れの音に表れる。

「発言を許されたのだ、揃いも揃って?」

 人を射殺せるのではないかと錯覚するような彼の視線と、己のそれを交わらせようとする者はおらず、部屋は初めと同じく静まり返った。

 ようやく雑音がなくなったことで、王の顔つきはわずかに穏やかになる。

「件の者はどこに」

「はっ、牢に捕らえてあります」

「宮殿の地下にそんなものを置くな」

 揶揄うように、王の口の端が吊り上がる。

「恐るべき存在らしいではないか? シンの谷の妖女まじょは」

「左様に、ございます」

「フン、まあいい。我が従者たちであればまだしも、民に危険が及んでは堪らん」

「処刑の手筈は整っております、我が王。下知あらばすぐにでも」

 別の臣下が厳かに切りだす。早いところ不安の種は抹消しておけ、と顔が物語っていた。ああ苛立たしい。どいつもこいつも、核心は言わずに促すだけだ。

 王はしばし、考える素振りを見せた。

「……いや、待て」

 そして裸足で床をなぞりながらこう言った。

「その妖女まじょとやら、我が前へ連れて来い」

 王の命令は、側近をはじめ臣下全員にとって思いもよらないものであった。

 何を言い出すのかと、彼らは狼狽えていた。

「我が前というのは」

「ここ以外にあるのか。どこだ?」

 王の間を包む、何度目かの静寂。これまでとは少々異なる意味を持っていた。

「それの荷も装いも全て持ってこい」

 言い切った王はそっぽを向いた。

 これ以上話をする気はない、さっさと行けという合図である。

「お、王よ、一体何をお考えで」

妖女まじょと話がしたい」

「……」

「早くしろ」

 臣下は示し合わせたかのごとく、誰もが口をあんぐりと開けていた。

「お、お戯れを」

「危険は重々承知のはずでしょう」

「なりませんぞ、栄えある王の間でそのような」

「黙れ」

 王が威圧の意を込めて彼らを遮る。

「既に王宮内にあるのなら、地下も地上も同じこと。当人から何も聞かずに片づけたとて、後には謎が残るのみ」

 王にとっても、これはただの退屈しのぎではなかった。

「謎は憶測を呼ぶ。憶測は恐怖を生む。民の間でそれらが膨らめば、それこそ神託の通り、都に大きな影を落とすことになろう、疑念という名のな」

 そしてこう続けた。

「ゆえに認めよう、暁都を揺るがしかねない事態にあると。であれば、王自らがシンの谷の妖女まじょと相まみえるのは道理。何か異論が?」

 非の打ちどころのない主張である。

 誰も彼に異を唱えようとする者は現れなかった。

 側近は諦めを醸して、短く首を垂れた。

「御意に」

「お、お待ちくだされ」

「私どももお供いたしましょう」

「何かご用命を」

 側近が王の間を後にしようとする背中を、臣下たちが慌てて追いかけていく。

 王は居ずまいを正した。これでしばらくは静かになる。

 朝からとんだ議題であった。彼のため息が深く深くこだました。

 大通りの喧騒が大きくなってきた。店開きの時間だろうか。

 民の生活に思いを馳せる彼の表情には暖かいものが感じられた。

 ひとまずの休息が訪れる。王の纏う空気も和らいだ。

 入れ替わりのように飛び込んできた者たちを目にするまでは。

「我が王!」

 たちまち、王の顔は引き攣った。彼の安息はほんのひとときで終わりを告げたのである。

 鮮やかで艶のある織物に身を包んだ女が数名、玉座へ駆け寄ってきた。臣下たちが王の間を完全に出て行くのを見計らっていたようだ。

「我が王、寂しゅうございました」

「王のため、朝からたんと粧して参りましたわ」

 足下にしなだれる者、すぐ傍に立つ者と位置どりはそれぞれだったが、どの女も、衣装の絢爛さに負けない華やかな顔立ちをしていた。

「我が王、ご機嫌麗しゅう」

 彼女たちの結い上げた髪は艶やかに陽の光を反射し、文字通り目の眩むような美しさである。

「我が王、お仕事はお済みになって?」

「お疲れでしょう、私共にお任せくださいな」

 女たちがよってたかって王の体に触れる。何をすれば男が喜ぶか、分かりきっている手つきであったが、王の顔は晴れるどころか曇る一方だ。

 彼は長い長いため息をついた。額に血管まで浮き出ている。

「あら、酷いお顔よ、我が王」

「私たちが癒やしてさしあげますわ」

「ああん、ずるいわ、私も」

 それでも女たちはお構いなしに王に寄り添った。

「ねーえ我が王、最も貴方の隣に相応しいのは、私ですよね?」

「何よそれ。騙されないで我が王。隣を飾るなら、一番可愛い私に決まってるわよね」

「醜い争いはおやめなさいな。我が王は深い愛を持つお方。たった一人を選ぶと決まったわけでもないのだから」

「その通りよ、慎みなさい。我が王の御前でみっともないわ」

 自分たちが彼の機嫌を悪化させているとは微塵も思っていないらしい。

「我が王、噂では昨晩、シンの谷の妖女まじょをお捕らえになったとか」

「流石の手腕でございますわ」

「ねえ私怖い、守ってぇ、我が王」

「なぁにあなた、呪いを恐れるようじゃ、妃失格よ」

「静かにしろ」

 眉間に深い皺を刻んだ王はただ一言そう告げると、黙りこくって外の景色に集中した。

 女たちは顔を見合わせ、心配そうに彼を仰ぐ。

 清々しいくらいの青空が目に痛い。瞳を都へ動かしてもまだ慣れない程だ。強い日光が、空と砂と街の境界線をありありと浮かびあがらせている。凄まじいコントラストだった。

 にわかに宮殿内が騒々しくなる。

 側近が再度、王の前に現れた。

「お望みの品をご用意してございます」

 室内に視線を戻す。急に暗がりを見たことで、王の視界は真っ暗になった。暗い場所に目が順応するのを待つ間、耳に頼ってみると、従者たちが荷を運び込む音と、金属製の何かから発される擦れた音がガチャガチャと聴こえた。

「な、なにかしら、あれ」

「分からないわよそんなの。訊かないで」

 女たちは好奇心と恐怖の入り混じった声でひそひそ言った。

「我が王、どうか私たちめにもお教えくださいませ」

「なんなの、一体?」

「我が王」

「ねえ、我が王」

 王が口を引き結んだまま身じろぎした。

 そうやって、女たちから延ばされていた無数の手を振り解く。思いやりなど一切ない、粗暴な仕草だった。

 硬い表情のまま彼は告げた。

「さあ、呪われたくなかったら外せ」

 女たちは鮮やかに化粧した顔をきょとんとさせた。

 それから眉間に皺を寄せ、互いに互いを見合わせる。

 彼女らは声を上擦らせてうふふと笑っていた。

「い…いやだわ、我が王ったら、冗談がお上手なんだから」

「呪いなんて、あるわけ…ない、わよ、ねぇ」

「そ、そうよ……馬鹿らしい」

 女たちが口々に言うのを、目が効かない分いつもより聴く羽目になった。

 それが彼の神経を逆撫でた。

 玉座の空気がいっそう張り詰めた。

 王は口を開く。

「ほう?」

 女たちは王を見た。一様に引き攣った笑みを浮かべて。

「無い、と」

 ただ真っ直ぐと据える王の目が細められた。

「言いきれるのか?」

 冗談には到底聞こえない響き。

 さすがの彼女たちも、王の間の物々しさが何を表しているのかにようやく気がついたようだった。

 女たちが血の気の引いた顔で、王を見つめる。

 彼は誰にも視線を返さない。いつもなら興味なさげにあおいでいる扇すら手にしていない。

 異様な静寂の中、荷だけが順調に運び込まれていた。

 麻袋を、その中から道具が取り出され積まれていくのを、彼女らは眺めていた。

 そして途端に身震いしたかと思うと、小さく悲鳴をあげて、一斉に走り去っていった。

 王は自分でも気づかない内に、にやりとしていた。胸の空く思いだった。

 ようやく視界を取り戻した彼は玉座に深く座り直した。

 何気なく周囲を窺う。

 指示を飛ばす側近には平時との違いは見受けられない。少しばかり焦っているだろうか。何かが滞っているのだろう。

 従者たちが運んできた荒い目で織られた袋は、大きな物が一つに、小さな物がいくつか。

 そこから出され、王の間の磨かれた床に並べられていく荷物は、用途の見当がつく物と、さっぱり分からない物とで二極化していた。好奇に駆られた彼の背が、背もたれから離れる。

 従者たちは荷の取り扱いに細心の注意を払っていた。彼らは表情にこそ出していないが、妖女まじょの所持品に触れることを怯えている様子だった。動きが強張っている。

 王宮内の空気もいささか張り詰めていた。

 皮膚がしっとりと湿っているのを感じた。王の間は蒸し暑い。都の賑やかさが、宮殿の静けさをより際立たせて、不気味だ。

 生まれてこのかた恐怖というものを覚えなかった王ですら、産毛がざわめくのを止めることはできなかった。

「我が王、捕らえた妖女まじょを連れて参りました」

 響いた声に足趾が力んだ。

 いよいよ対面というわけだ。

 王は両足で床をしっかりと踏みしめて言った。

「入れろ」

「こちらに」 

 唇だけを動かして、側近が頭を下げる。その表情は硬い。

 彼が王の間の外に何か手振りをしてみせると、身体を雑に押し出されるようにして一人。

 それは人型の影という表現がぴたりと合うような、異形であった。

 自らの足下に引き出される間、王は入室してきたその人物から目が離せなかった。

 灰色の肌に、黒い髪。

 まさに月影の隣人と呼ぶに相応しい容姿。同じ人間とはとても思えない。

 彼女が身に纏っているヴェールには、全く華やかさのない、錆びた金のような色をした薄い円坂が無数に付けられ、腕や脚にも同じ素材の輪がはめられていた。それら同士が擦れるたびに独特な音を奏でている。ただの装飾だろうか、それとも呪術的な意味が?

 背後に腕を回した体勢で両手と腰を縛らている彼女が、王の前で止めた足を木の棒で打たれ、跪かされる。

 王は、室内の者たちを見渡しながら口を開いた。

「外せ。我が許しを受けるまで、この場に近づくな」

 内心安堵したような顔を浮かべながら、従者たちは我先にと足早に部屋を出ていく。

 側近にも目で合図を送ると、仰々しい礼をして、王の視界から消えた。

 鼻から嘲笑が漏れた。

 呪われては堪らないものな、と、王は心中で彼らに悪態をついた。

 これでこの空間には、王と妖女まじょの二人しかいない。

「明けの王」

 王が声高に立ち上がった。

「ネブラトゥムである」

 妖女まじょがぴくりと動いた。

 ちゃら、と金属の擦れる音が響いた。

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