東より来たる侵略者

 暁光の都。乾いた砂地にそびえ立つ、太陽の黄金郷。

 日が沈んだこの時間でもまだ、空はわずかに緋く色を残し、都へ夜の訪れを告げるかのごとく、街の賑わいも増していく。

 強固な都を囲むのは高い塀、それ以外には都へ入るための門が東西と南に計五つ。地形を鑑みれば理想的な配置だ。

 さすが、列強に数えられ、太陽に愛された者たちの住まう土地なだけはある。

「都には」

 うち二番目の大きさを誇る東の門にて、門番が旅人に審問をかけていた。

「何をしに?」

 来る日も来る日も、門番はこの問いかけを口にする。そして、ありとあらゆる答えを聞いてきた。

 大半は、出稼ぎやら商売でひと山当てに来たやらである。それから、志願兵や捕虜といった、強き都ならではの客。

 ただ、と門番は顎を撫でた。そういった類の大望ある人間は、往々にして昼間にやって来るものだ。夜闇に紛れて都を訪れる者は、後ろめたい事情を抱えていることがほとんどであった。

 以前までは、そんな輩からも賄賂を受け取り見て見ぬふりをしてきたが、昨今は、都が寝静まった頃合いを狙う盗賊による被害も増えてきている。夜間の出入りは昼よりも厳しく制限されていた。

 特にここ数日は、神官の受けた託宣の影響もあって、東側の門の規制は強まっているのだ。

 門番が旅人を呼び止めたのも、そういった理由からであった。

 旅人は、松明の光の中でも暗く映る、奇妙なヴェールに身を包んでいた。頭からふわりとかけられたそれは、冷めた砂の上を引きずるほどに長く、俯いていてよく見えないが、口元も同じような素材の布で覆っているようだった。商いの場として織物も取り扱う暁光の都でも、目にすることのない代物である。

 見かけない装いに、門番はいささかぎょっとしつつも、きょろきょろと周囲を見渡した。

「連れはどうした」

「一人だ」

「こんな子供が一人?」

 門番の口に薄ら笑いが浮かんだ。

「まさか。置いてかれたのか?」

「成人、している」

 ぼそぼそと言いいながら、旅人は小さく横に頭を振った。

砂鯨さげいを。連れ歩くのは、子供には、難しいだろう」

 旅人が後方を指すと、彼からしゃなりと金属の擦れる音が鳴った。耳慣れない音を訝しみながらも、門番は旅人の指さす方向に首を回した。

 そこには一頭の砂鯨が大人しく体を横たえていた。砂漠を行脚するには欠かせない足である。小型であるところをみると、旅人の言う通り、彼が一人旅をしていることに間違いはなさそうだった。

 門番は難しい顔をした。そうはいっても、旅人の頭は門番の腹の辺りにあるのだ。

 再び旅人に目を向ける。

 門番は筋骨隆々の太腕を組んだ。

 暁都に生まれた人間はみな、太陽の恩寵を受けた恵体を持つ。男女問わず大柄で、屈強であったり豊満であったりする。

 それに比べれば、彼の目の前に佇む旅人の体躯は異様な小ささであった。ただ小柄というだけでなく、皮と骨しかないような痩せ身の。

 貧相な肉づきからして盗賊の心配はないだろうが、かといって簡単に門をくぐらせるには躊躇を覚えるような、あまりに特異な見た目をしている。

 上腕に装着した盾に手を添え、門番が訊いた。

「荷を改めても?」

「何も、ないぞ」

 旅人が口笛を吹いて、砂鯨を呼び寄せる。淀みのない様子を見る限り、やはり仄暗い事情を抱えた人間ではなさそうだった。

 とはいえこんな稀有な容姿の者、ただ通すわけにはいかない、門番としての長年の勘がそう告げていた。

 砂鯨にかかっている麻袋を取り外し、開封してみる。

 ずしりと重い、金属製の何かが手にかかった。

 門番の眉間に皺が寄る。

「なんだこれは」

 旅人は答えなかった。

 用途の分からない器具を複数手にした門番は、さらに袋の奥へと手を突っ込んだ。幾重にもなる紙の感触だ。本、だろうか。取り出してめくってみても、その内容は未知の言語で書かれていて知ることはできなかった。

 ふむ、とか、ううん、とか唸ってみたものの、門番には何一つ分からなかった。

 得体の知れない物を手にしているという恐怖に駆られた門番は、そそくさと、しかし一つ一つを丁重に袋にしまった。

 元あったように、鞍の麻紐に括りつける。砂鯨が鰭を揺らした。

「もういいか」

「あ、ああ」

 旅人はまた、しゃらりと音を発しながら砂鯨の鼻先を撫ぜる。そして口笛を奏でた。

 砂鯨がゆったりとした動きで係留所へ泳いでいくのを、門番はじっと見送った。

 脇に変な汗をかいていた。

 ひやりとした感覚に見上げると、既に東の空は夜の様相を呈し、星が瞬いていた。そこから視線を落としていくと、遠くに黒く浮かぶ広大な川に行き当たる。

 都に栄華をもたらす、恵みの河であった。

「北の、海辺へ行くには」

「んっ? ああ、おう」

 旅人の声で意識を引き戻された彼は、慌てて足を組み替えた。

 そんな門番の様子など、旅人は全く意に介していないらしかった。

「都の中を。通った方が、早いと聞いて」

「ああ…ああ、なるほどな。確かにそうだ」

 どうやら旅人の目的地はここではないようだった。

「門を入ったらこのまま大通りを突っ切って西に進めば都の反対側に出る。北寄りの門は兵隊がいて面倒だから、南に寄った方の門に行くといい。ちょっと物騒な地区だから注意しろ。なんなら、大通りを途中で曲がって南側の大門から出るのもアリだな、遠回りする羽目になるけど安全だ……港に用が?」

「いや」

「なら、海を渡ってさらに北へ?」

「いいや」

 門番は首を捻った。砂鯨をここに留めておく以上、遠出ではなさそうだが。腰に携えた剣の柄に手を乗せるのは、考え込む時の彼の癖である。

 何秒か黙ったのち、考え過ぎても仕方のないことだと彼は勝手に納得した。

 都の雑踏を聞く。無性に一杯やりたくなった。

 酔いどれ星がかなりの高さまで来ていることに気がついて、門番は眉を上げた。

 そして旅人を見下ろす。彼は都に長く滞在する気もなさそうだし、さっさと通らせてしまって、早いところ自分も帰ろう。

「お前」

 門番が指を立て、旅人に向けた。

「宿の手立ては?」

「ない」

「だろうな」

 笑いを漏らす。みなそう言うものだ。

「まあ、困ったら酒場に行けばいい、探さなくともそこらじゅうにある。ここは太陽に愛された都、稼ぎも宿もどうとでもなるさ」

 都市国家なだけあって、どこも人手は足りていない状況だ。

「それと、暁都に来るのが初めてなら、通り名を作れ。危ないからな」

「危ない?」

 旅人は首を傾げた。

 彼の纏うヴェールが揺らめく。

「そうだ」

 大真面目に門番は頷いてみせた。

「魔術師や呪い師は、術式に対象の名前を編み込むからな。本来の名前は、知られない方が得だぞ」

「なるほど」

 考えるような素振りを見せて、旅人は門番を見上げた。

「忠告、感謝する……ええと」

「ケアだ……あっ」

「……感謝を、ケア」

「お、おう。まあ、覚えてくれなくていいぜ、門番の名前なんて必要ないだろうからなっ。とにかく、自分の通り名は考えておくんだぞ」

 思わず本名を名乗ってしまったケアは、必死に平静を取り繕った。

 旅人が軽く会釈をする。

「じゃあ」

「いやいや待て待て、まだあるぞ」

「まだ?」

「いいか、これは絶対だ。夜になったら都を出歩くな」

「……それを、しようとしているんだが、今から」

「あっそうか。なら…そうだな、用心しといてくれ。夜更けは特に、盗賊の時間だからな。最近はなりふり構わないような傷害事件も多くなってきてる」

「そうか」

「大事なものがあるなら、抱きしめて眠れ」

「分かった」

「いいってことよ。これも仕事だ」

 ケアはバツの悪そうな顔をした。

「それより俺も悪かった、長く引き止めちまって」

 上空を指す。

「見ろよ、酔いどれ星がもうあんなに昇ってら」

「酔いどれ星?」

「俺ら都の連中はそう呼ぶんだ」

 旅人がケアの指の先を辿って背後を仰ぎ見る。

 夜の初めの東の空に、強く輝く星があった。松明の下からでも肉眼で視認できるそれは、門番たちの時計代わりでもある星だ。

 あれの昇り始めが、彼らの交代時間の目安なのである。

 門を開けるよう見張りに促しつつ、ケアのお喋りは続く。

「日が沈むより先に昇って、日が出るより前に沈む。酔っ払いみてえだろ」

「宵星……」

 ふ、と旅人の声が柔らかくなる。

「面白い呼ばれ方を、するものだ」

 旅人が続けて呟いた言葉を、ケアは聞き取れなかった。単に彼の声が小さく掠れていたからというだけではない。

 それは聞き覚えのない、明確な異邦の語り口であった。

 ケアは彼を見た当初から抱いていた疑問をぶつけてみることにした。

「そういや、どこから来たんだ、お前?」

 門に寄りかかりながら、彼は旅人の衣装を指す。

「珍しいモン着てるしよ。前に似たような奴を見かけたが、そいつは恵みの河を渡って砂漠を南東へずっと行った先から来たと話してた。お前もそっから来たのか?」

 しかし、旅人は先ほどから星空を見上げたまま、こちらに向き直る気配はない。

「おーい?」

 四度目の呼びかけでようやく、旅人が踵を返した。

 それから彼は、開きかけた門とケアとを交互に見る。

「通行を。許されたのか」

「もちろんだ」

 ケアは上体をもたれていた壁から離した。

「なあ、けどその代わりに教えてくれよ」

「教える?」

「おいおい、聞いてなかったのか。お前がどっから来たのか、だよ」

「ああ……」

 旅人は今までとなんら変わらぬ声音で言った。

「シンの、谷から」

 ケアが目を見開いた。

 瞬間、周囲に静寂が訪れる。

 門番の彼だけではなく、検問の人間や他の来訪者までもが、旅人の返答を聞いて一斉に息を呑んだのだ。

「……は?」

 ケアは最初、自分の耳を疑った。

「い、いやいや。待てよ、俺の聞き違いだよな。お前、今、シンの谷って言ったか?」

「ああ」

 旅人はなんの迷いもなく頷く。

 驚愕が段々と恐怖へと変貌し、伝染していく。

 皆が後ずさっていくのを、旅人はじっと見渡していた。状況が分からないといった感じだ。

 ケアが咄嗟に彼の腕を掴みあげる。ヴェールをめくってみると、現れたのは血の気のない灰色の肌だった。

 間違いない。

 ざわめきが起こった。

妖女まじょだ!」

 竦んでいた誰かが叫んだ。

 それを合図とばかり、弾かれたようにそれぞれが方々へ逃げだしていく。ケアを除いてその場にいた全員が散り散りになるのを、旅人は呆気にとられたように見つめていた。

「はあ?」

 旅人が心底不思議そうに首を傾げる。

 腕に触れたことで、旅人が女であることに気がついたケアも、今すぐにそこから逃げたい気持ちであった。

 だが、彼の職は門番である。

 都に害を加える可能性がある彼女を入れることはできない。

 ケアは己を奮い立たせ、彼女を拘束した。

「誰か、誰でもいい、応援を呼べ!」

 両腕を縄で縛りあげる。

「東の門へ兵を集めるように伝令を!」

 突然の事態に、彼女も驚いているようだった。痛みに呻き、必死にもがく彼女を押さえつけ、声を張りあげる。

「シンの谷の妖女まじょを捕えた!」

 門前が騒然とする中、ケアは神官の託宣が正しかったことを感じ取っていた。

 訳もなく、ぽつりと口走る。

「東より来たる侵略者が、暁都に翳りをもたらす……ほんとだったな」

「侵略者」

 ケアの言葉を耳にした彼女は、動きをぴたりと止めた。

「侵略者か、なるほど、面白い解釈だ」

 抵抗するのをやめ、彼女が呟く。

「で、それは、誰が?」

「はっ?」

 ケアから素っ頓狂な声が出た。

 後ろ手に縛られていた彼女は、細身をしなやかに使って、ケアを見上げた。夜を雫にして垂らしたような、漆黒の瞳と初めて目が合う。吸い込まれそうなその黒に、ケアはぎくりとした。

「同業がここにいるとは、思えないが」

 突然大人しくなった彼女に意表を突かれ、ケアの手は彼女から離れてしまった。しかし、解放されても彼女は逃げる素振りを一切見せず、興味津々といった口ぶりでケアに訊き続ける。

「誰が」

 彼女は好奇心に満ちていた。

「それを?」

「し、神官どのの託宣、だ」

 ずいと詰め寄られ、ケアは思わず答えてしまう。

 両手を縛られたままだというのに、彼女は悠然と佇んでいた。

「神託」

 思案に耽るような視線を宙で彷徨わせる彼女は、あくまでも自然体であることが窺えた。

「専門外。だが、興味はある」

 彼女の意識はケアから夜空へと移った。

 なにか熱心に、夜空を凝視している。その様は、神秘的ですらあった。

 しばらくしてから、彼女が唇を動かした。

「“圧倒の来たるは東”……」

 ケアはその謎めいた呪文に眉を顰めた。

「……ほう」

 得心のいっているのかいないのか、彼女は微妙に息をつく。

 彼女が目線を落とした、その時だった。

「予知の術か」

 いかめしい声が石造りの門を震わせた。

 ケアが振り向くと、駆けつけた増援の奥で彼の上官が立っていた。鎧を身につけ槍を手に、まさに武人といった様相の上官は、ケアに対して、よくぞ耐えた、と称賛を送った。

 それから視線を彼女に据える。

「一体何をしに来た!」

 彼女が口を開く前に、衛兵たちが彼女を取り囲む。じりじりと距離を詰める輪の間を、上官がゆっくりと前へ割って出てくる。

「何食わぬ顔でこの暁都に入り込もうと目論んでいたとはな!」

 彼が彼女の両手を掴みあげる。ケアよりも乱暴だった。

「その肌、身体、なんとも悍ましいものだな、シンの谷の妖女まじょよ」

「う」

「答えろ、妖女まじょ! この暁都に、太陽に愛されし我らに、どんな災いをもたらしに来た!」

 彼女を揺さぶった上官は、彼女が頭から被っていたヴェールを剥いだ。瞳と同じ、闇の色をした髪が露わになる。

 その異様な見た目に一瞬たじろいだ上官であったが、すぐに気を持ち直し、手にしていた斧を彼女に突きつける。無闇に傷をつけるほどの勢いはなかったが、喉を圧迫された彼女は苦しげに眉根を寄せた。

「じょ、上官どの」

 ケアが声をあげた。

「待ってください、彼女に抵抗の意志は」

 それは彼が、薄々感じ取っていたことであった。縛られたら苦しむし、揺さぶられれば呻く。初めケアが彼女を拘束しようとした際に必死でもがいていたのも、当然の反応ではあった。

 しかし彼女は、すぐに暴れるのをやめた。門番のケアにとって、それは経験したことのない出来事だった。

 何か理由があるのではないか。

 ケアはそう感じていた。それがなんなのかは、彼には見当もつかないが。

 それに、である。

 目の前の妖女まじょは、あろうことか、ケアの本名を握っているのだ。恨まれでもしたら、何をされるか分かったものではない。

 彼の顔は恐怖に満ちていた。

「逃げる気がないなら、乱暴にする必要もないはずじゃ」

「おおイアトよ!」

 ケアの言葉を遮った上官を筆頭に、兵士たちは彼へ気遣わしげな視線を投げかけた。

「魅了の術でもかけられたか」

 上官は憐れみの眼差しで彼を見た。違う、違うのだ。汗が額を伝った。だがそう言われてしまってはもはやケアは口をつぐむしかない。

 上官が彼女を睨めつける。

「なんと卑劣な」

 彼が指図をすると、何人かが列を外れ、ケアのことをずるずると引っ張りだす。

 ケアはじたばたとして、上官の元へ行こうとした。

 だが、数の力にはもちろん勝てない。

 彼はだんだんと門の向こうへ押しやられていく。

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

「すぐに神官どのの元へ運んでやろうな」

「ど、どうか酷く傷つけるようなことは……」

「かわいそうに、我が屈強な兵よ」

 彼が門の奥へ消えていくのを見届けてから、上官は恐ろしい形相で彼女に向き直った。

「我が兵までをも手駒にしようと目論むとはな。妖女まじょの好みそうな薄汚い考えだ!」

 上官は頑強な体をこれでもかというほど膨らませた。

「何が目的で暗がりから出てきた!」

 彼女を上官が揺さぶる。ちゃりちゃりと金属がぶつかる音。

「暁光の都に何をしに来た!」

「……、を」

「なんだ、聴こえぬ!」

 上官が彼女の頭を鷲掴んで、思いきりぐいと後ろに引く。強制的に上を向かされる形となった彼女は、忌々しげに上官を一瞥してから、また空に視線を戻した。

 彼女の漆黒の瞳に、無数の光が閃く。

 それは、誰もが予想だにしない答えであった。

「星を、見に」

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