第4話 戻れない、戻れるわけがないのだ
数日間、家にも帰らず連絡も経っていた僕だったが、理由を話さずにダンマリを貫いていると、莉里那も観念して深く追求してこなくなった。
「真人さん……、私はあなたのことを信じています」
信じるって、コイツは……っ!
誰のせいでこんなに苦しい思いをしているのか分かっているのだろうか?
俺だって信じたかった。何も知らんずに生きていたかった。
愛した女性が一途で、誠実な女性だと信じたかった。だけどそれは全部嘘で固められた幻想で、この女は他の男の肉棒をアヘ顔でよがって縋っていたのだ。
ゾワゾワと虫が這うような嫌悪感が肌を這う。伸ばしかけていた手を止めて、ぐっと拳を握った。
愛が反転して、憎悪に変わる。
それでも傍にいたい。彼女を愛し続けたい。
それは僕のエゴ、なのに——……。
一緒にいればいるほど、僕は彼女のことが汚く見えてしまう。
僕の心が離れる度に彼女の表情も固まって。
最初に裏切ったのは莉里那のくせに、まるで被害者のように傷ついた顔をして。
僕が悪いのか? 僕がいけないのか?
悪いのはお前だろう? お前が悪いのい、何で……っ!
全身が悲鳴を上げる。関節が外れて、バラバラに肢体が崩れてしまうような、そんな感覚が脳を襲う。いっそ壊れてしまえば楽になれるのに。
「——いってきます」
彼女の顔を見ずに、呟くように言葉を発して玄関のドアを閉めた。その後に聞こえてきた啜り泣く声なんて、僕にはもう関係ない。
高層ビルが立ち並ぶアスファルトの上。
いつの通りに人が歩き進む交差点の真ん中で、僕は魂が抜けたように空を仰いだ。
太陽が眩しい。
でも空って、こんなに白かったっけ?
閃光が目の前に広がって、意識が途切れた。
鳴り止まないクラクションが、ずっと耳に残っていた——……。
———……★
「ふぅ……」
自分の呼吸音で目を覚まし、僕は重たい瞼を開けた。白い天井、カーテンに囲まれたベッド。吊るされた点滴の液体。
そして横たわっていた僕の隣には、ずっと手を握っていた莉里那がうつ伏せに座っていた。
「何で……?」
込み上がる感情が何なのか、僕には分かり兼ねた。だけど、こんな事態に彼女が傍にいてくれたことが堪らなく嬉しかった。
あんなに冷たくあしらっていたのにも関わらず、心配して看病してくれた彼女が愛しかった。
それと同時に申し訳なさと、どこまでが本当の彼女なのかが分からなくて頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。
「うぐ……っ、莉里那ァ、莉里那」
「ん……、真人さん……? 良かった、目を覚ましたんですね。熱中症、それとも疲労なのかな? 通勤途中で急に倒れたから病院に搬送されたんですよ。無事に目を覚まして良かった」
目を覚ました莉里那は、ホッとしたような笑みを浮かべて微笑んだ。
何で? 何で……他の男を愛しているって言っておきながら、僕に優しくできるんだよ。
ボロボロと溢れてくる涙を垂れ流したまま、僕は耐えきれずに吐き出した。もう限界だったんだ。
「莉里那……君は本当に僕を愛しているのか?」
「——え? 何を言っているんですか? 真人さん……一体何を」
「僕は知っているんだ。君が誠二という男と愛し合っていたことを。何度も何度もセックスをして、愛してるって言って」
まるで喉の奥が焼け垂れたのかと思うほど、うまく言葉が出てこなくて、これ以上は言えなかった。
だが、莉里那を問い詰めるには十分だったようだ。
繋いでいた手の力が徐々に弱まり、次第に離れて感覚が消えた。
ゆっくりと顔を向けると、青褪めた彼女が口元を塞いで震えていた。
「何で……、どうして真人さんが」
その反応を見て、僕は観念したように目を閉じた。夢でも勘違いでもない。現実だ。
不思議と冷静になった自分に驚きながらも、僕は言葉を紡ぎ続けた。
あの日、体調を崩して早退していたこと。リビングから聞こえてきた声、そして情事。
「ずっと僕を裏切っていたのか? 莉里那はその男のことを愛してるのか?」
「違う! 私が愛しているのは真人さんだけ! でも……っ、ごめんなさい……っ! いくら理由があるとはいえ、あなたを裏切っていたことには変わりないわ」
頭の中は冷静になったつもりでも、心情ははらわたは煮え返っているようで、罵倒の言葉を飲み込むので必死だった。
「いつから……? 何で? 僕を愛しているって言うなら、何で裏切ったんだよ」
だけどその質問に彼女は答えることなく、俯いたままダンマリを貫いていた。
黙っていちゃ、何も分からないよ。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい」
「莉里那、僕は——」
「私はただ、あなたとの生活を守りたかっただけなの。真人さんと陸との、家族の幸せさえ守れればそれで良かったの! その為なら私の貞操くらい何てことないとないと思っていた!」
莉里那、君は……何を隠している?
「ごめんなさい、ごめんなさい! 私はただあなたを守りたかっただけ……! お願いだからそれだけは信じて。そうじゃないと、私は何のために我慢を続けていたのか分からない」
「莉里那……? 違う、僕はただ」
「愛してる。私が愛しているのは真人さんと陸だけ」
そう言って彼女は立ち上がり、ふらっと部屋から出ていった。その様子に嫌な予感を覚えた僕は、点滴を外して後を追いかけた。
莉里那……? 待って、僕は——!
「莉里那、僕は……っ、僕も君を愛しているんだ。僕は!」
だが、気付くのが遅かった。
騒がしくなった病院の外。複数人の悲鳴、群がる人、人、人。
全身に鳥肌が立ち、一心不乱に騒動の中心へと駆けていった。
嘘だと言ってくれ、頼むから。
こんなことなら口にしなければ良かった。どんな形でも君さえいれば良かったのに、何で僕は……選択を間違ったんだろう?
「莉里那、莉里那ァ——ッ!」
人形のようにぐっったりとした様子で担架に乗せられた血塗れの莉里那。
どうやら彼女は非常口の階段から投身自殺を図ったようだ。
莉里那は身をもって証明したのだ。僕と息子の陸を愛していると。
そして、それほどにも露呈したくなかったのだ。彼女が隠していた嘘を……。彼女が働いた不貞を。
次回『真実は残酷だった。だが僕らは受け止めよう。君と共に未来を歩むと決めたんだ』
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