第3話 どうすればいいのだろう? 分からない、決めたくない
愛する妻が他の男と浮気をしていた。
誰と? いつから? 妻が愛しているのは僕じゃないのか?
何もかも信じられなくなっていた僕は、泣きじゃくりながら部屋を出た。熱で視界もぼやけて、足も絡まって何度も転んでしまったが、あの家にはいられなかった。
「嫌だ、嫌だ……っ、くそ、くそォ……っ!」
地下の駐車場で四つん這いになったまま、力任せに叩き続けた。ポタリポタリと落ちる涙、鼻水、涎……。
有りとあらゆる液体が流れ、僕は酷い顔をしていただろう。
だけど、最早そんなことはどうでもよかった。限界突破していた僕には、見た目なんて気にしている余裕すらなかった。
「莉里那、莉里那ァ……っ!」
気持ち悪かった。他の男に媚びる彼女が、この上ないほど気持ち悪くて嫌悪感が消え去らなかった。
顔も見たくない。もう彼女のことなんて信じられない。
このまま彼女の前から消えてしまおうか?
だけどそうなった瞬間、二度と会えなくなることが寂しくなって、身体が硬直してしまった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……!
いっそのこと、彼女を殺して僕も一緒に死のうか? だけどそうしたら陸は? 子供には罪がない。そうだ、陸がいる。僕達には陸がいるんだ。きっと莉里那も一時の気の迷いで火遊びをしたに違いない。
「でも愛してるって。僕よりも他の男を」
無理だ、考えれば考えるほど深みにハマる。
まるで底なし沼だ——身体の自由が奪われて身動きも取れないし、うまく呼吸もできない。
「あぁ……っ! 神様、なんで? なんでこんなことになったんですか!」
僕が何をしたって言うんだ?
あんなに莉里那のことを大事にしていたのに、足りなかったのか? 金か? それともセックス? もっと彼女に寄り添った行為をするべきだったのだろうか?
僕の独りよがりなセックスが悪かったのだろうか?
分からない、何もかも許し難い。
全部全部嫌なはずなのに、手放したくもない。
結局、答えが見つからなかった僕は、逃げるようにホテルに駆け込んで二、三日引きこもってしまった。
無断で泊まっている間、莉里那から大量の連絡が入っていたが、今は気遣う余裕がなくてスルーしてしまった。
会社に至っては後輩の灰原ががうまく言ってくれたので、有給で処理してもらえることとなった。
分かっている、どうせこんなのその場しのぎに逃げていることに代わりない。
伸びた無精髭。鏡に映った自分は酷くやつれていた。
「別れるしか……ないのか?」
そうなると陸の親権はどうなるのだろう?
通常、子供の親権は母親にいくと聞いている。裏切ったのは莉里那なのに、最愛の息子まで取られてしまうのだろうか?
嫌だ、そんなこと耐えられない。
いや、そもそも——莉里那はいつから不貞を働いていたのだろう?
まさか、陸は……昨日の間男の子供っていう可能性もあるのだろうか?
「ずっと、僕のことを裏切っていた可能性もあるのか?」
そう考えた瞬間、幸せだった過去が一気に色褪せてしまった。愛を叫ぶ僕を見て、莉里那は嘲笑っていたのだろうか?
さぞ滑稽で惨めな道化師に見えただろう。
なのに、嫌いになりきれないのだ。
それでも僕は、莉里那のことが好きなのだ。
前のように愛せなくても、彼女のことを手放したくないのだ。
「はは、ハハハハ! もうダメだ、僕は……莉里那、莉里那……っ!」
終わらない葛藤。決めきれない自分の未来。
結局僕は、莉里那との未来を選んだ。
僕にとって彼女は、代えのきかない唯一無二の存在なのだ。
たとえ莉里那にとって僕は一番の存在でなくても、少しでも僕のことを愛してくれているのなら、全てを水に流して許そう。
そう決断した瞬間、さっきまでの曇天が嘘みたいに晴れた。
気持ち一つでこんなにも違って見えるのだろうかと疑ってしまうほどだ。
「彼女には……何も言わないでおこう。この問題は僕の心に留めておこう」
馬鹿だった。
今まで通りのようになんてできるはずがないのに、莉里那を失いたくない一心で、僕は致命傷に蓋をして見て見ぬ振りをした。
その傷からは蛆が湧き、やがて腐食して身体は朽ち果てて、ボロボロと壊れていくだけだというのに。
だが僕は、意地で続けた。
自分自身を偽る生活を、数ヶ月こなしたのだ。
———……★
次回『限界突破。もう後戻りはできない。その時、妻が語るのは——?』
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