第2話 夫の居ぬ間に入れ込む間男【胸糞有り】

 朝、台所から聞こえてくるリズミカルな包丁の音で僕は目を覚ました。バタートーストの芳ばしい香り。腫れぼったい眠たい目を擦りながら、グッと身体を伸ばした。


 若干身体にダルさを感じるのは、昨日頑張りすぎたせいだろうか? たくさんの汗をかいておきながら、そのまま眠ってしまったのだから仕方ない。


 ベッドから降りて、そのまま台所へと足を向けた。いつもと変わらない姿で朝ごはんを作る莉里那。僕の気配を感じたのか、微笑みながら振り返って「おはよう」と挨拶を交わしてきた。


 幸せって、こんな瞬間を言うのだろうな。

 僕は後ろから抱き締めて、彼女の腰に手を回した。


「んっ、真人さん……?」

「莉里那、身体はキツくない? ごめんね、昨日は」


 彼女の身体を労わった言葉に、軽く首を振って否定の言葉を告げた。


「謝らないで? 私も嬉しかったんだから」


 肯定してくれる言葉に、またしても熱いモノが込み上がってきたが、今は自重の時だ。ギューっと強く抱き締めて気持ちを堪えた。


「ふふっ、真人さんったら子供みたい。トースト焼いたので、冷めないうちに食べて下さいね」


 トースト以外にもエッグサラダにトマトとモッツァレラチーズのベビーサラダ。ジューシーなウィンナーまで添えられていた。


「真人さんは今日の帰りはどうですか? いつも通り?」

「そうだね、特に仕事が入らない限りはいつも通りだと思うよ」

「それじゃ、今日は久しぶりにカレーにしようかな? 真人さんが好きな唐揚げとチーズをトッピングしておきますね」


 愛妻弁当まで用意してくれて、本当にできた妻である。その後、僕は家を出て会社へと向かった。



 ——だが、出社してしばらく経った頃だった。

 いつもより身体が重いし、頭も痛い。喉もイガイガするし、悪寒も酷くなってきた気がする。


「んん、風邪ひいたかな?」

「大丈夫ですか、木之下さん。のど飴でも舐めますか?」


 後輩の灰原はいばらが心配して声をかけてくれた。


「申し訳ない。ちょっと今日は風邪をひいて熱っぽいみたいだ」

「マジっすか? もし急ぎの仕事があったら引き継ぐんで、今日は早退した方がいいんじゃないですか? もし行けそうだったら病院も行ったほうがいいですよ」


 この男、見た目だけでなく性格までイケメンだから困る。幸い急ぎの案件もないので問題はないだろう。


「薬を飲んで休んでみるよ。御免な、迷惑かけて」

「いいですよ、課長には俺から伝えておきますんで、木之下さんはゆっくり休んでください」


 こうして俺は、早退をして自宅へと戻った。この時間、莉里那は近くのスーパーでレジのパート勤務をしているので、余計な心配はかけない方だいいだろうと思い、自分で必要なものを購入して戻ることにした。


「うぅ……っ、キツいな。やっぱ風邪ひいたんかな」


 シャツを洗濯機の中に入れて、スーツもクローゼットにしまって、僕はベッドに横になった。

 莉里那は大丈夫だっただろうか?

 彼女にうつっていなければいいけれど。


 ウトウトと眠っていると、ガチャガチャっと鍵の開いた音が聞こえてきた。


 誰だろう、こんな時間に帰ってくる人はいないはずなのに。莉里那も体調を崩して早退したのだろうか?


 声をかけようと身体を起こそうとしたが、熱が上がってきたのか思うように動かせなかった。まるで金縛りにあったかのように身体が重い。


 歯痒さを覚えながら目を閉じていると、聞き覚えのない声が聞こえてきた。


「ここが莉里那と旦那の愛の巣か。妬けるね、俺が一人で寝ている時に莉里那は旦那と子供と一緒に過ごしているのか」

「そんな意地悪を言わないで。私が愛しているのは一人だけなんだから」


 ——え、誰だ?


 一人は莉里那に間違いないのだが、男の声は全然知らない。ただでさえ熱で朦朧としているのに、さらに悪寒が襲ってきた。


 ぐらんぐらんと脳が揺らされる。ゆっくりとゆっくりと、まるで悪魔に脳髄から掴まれて揺さぶられているようだ。

 聞きたくないのに、二人の声だけはハッキリと捉えて。やめておけばいいのに。耳を押えてベッドに潜り込んで逃げてしまえばよかったのに。


 気持ちとは裏腹に、僕は壁に耳を当てて聞き耳を立てた。


「やっぱり莉里那のおっぱいは気持ちがいいね。ずっと触っていたいくらいだ。なぁ、旦那はどうやって触るんだ? 全体を揉みほぐす感じか? それとも」

「やだ、誠二さん。そんな言い方しないで……? 二人だけの時に旦那の話はしない約束だったじゃない」


 待って、一体何をしているんだ?

 莉里那の声だけど、莉里那じゃない。こんな莉里那、僕は知らない。


「ほら、莉里那。早く服を脱いで。私の暴れん棒を鎮めてくれないか?」

「ふふっ、誠二さんったらせっかちなんだから」


 やめてくれ、聞きたくない。

 嘘だ、信じられない。だって莉里那は僕の自慢の嫁で、僕の大好きな妻なんだ。

 彼女に限って不貞行為だなんて考えれない。


「ほら、足を広げて請いでみなさい。欲しいんだろう?」


 やめて、やめて、それ以上はやめてくれ!


 ——その後、聞いたことがない彼女の声に、僕の脳は完全に壊れた。


「愛してると言いなさい、旦那よりも私を愛してると言いなさい!」

「愛してます、私は誠二さんを……っ!」


 あんなに愛していた妻が、とても汚いモノのように思ってしまった。

 壁越しの情事に、この上ない嫌悪感を覚えた。


 愛してる? 誰をだ? 昨日は僕のことを愛してると抱き合ったというのに、今は他の男の肉棒を咥えて哭いている。


 二人が行為を終えた時には、もうピクリとも身体は動かなくなっていた。


 この世界は残酷だ——……。

 何も知らなければ幸せのままだったのだろうか? だが知ってしまった以上、もう今まで通りにはいられない。


 僕はもう、前のように妻を愛せないだろう。



 ———……★


 次回『問い詰める、追い詰める。その時、僕がとった行動は——?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る