第5話
老執事は、レナトに言われたように、アリアに城の中を詳しく案内してくれた。
彼の名は、ハードナーというらしい。
古い作りなので階段が多く、迷路のように入り組んでいる。そして、外見から見た以上に広かった。
彼が丁寧に案内してくれなかったら、少し歩いただけで迷っていたかもしれない。
案内してもらっているときに、他の使用人とも顔を合わせた。
初めてこの城に来たときは、門番とハードナー以外は誰もいないのではないかと疑っていた。
けれどケイトを含めたメイドが数人と、料理人。そして警備兵が数名いるようだ。
それでも公爵家にしては、あまりにも少ない人数である。
そしてハードナーを含めた全員が、レナトが先ほどのように呼び鈴で合図しなければ、彼の部屋に入室することはできないようだ。
最初の印象とは違い、案外気難しい人なのかもしれない。
(そう言えば、主が気難しくて、世話係がなかなか居付かないと聞いたわ)
そんな人の世話係というとかなり大変そうだ。しかも、老人だと思っていたのに、それほど年の変わらない青年である。
それでも、どんな仕事でもやるしかなかった。
かなり時間を掛けて古城を案内してくれたハードナーは、最後に何か質問がないかと聞いてきた。
「あの、ふたつほど聞いてもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
ハードナーはアリアの言葉に、快くそう答えてくれた。最初の印象と違い、親切な人なのかもしれないと思う。
「まず、私を雇ったのはどなたでしょうか?」
最初にそう尋ねる。
アリアは、自分の雇い主を直接知らなかった。
相手は父の借金相手ではなく、それを肩代わりしてくれて、代わりにアリアをこの古城に派遣した。
それは、レナト本人ではないだろう。
彼は、あまり自分の周囲に人がいることを好まない人間のようだ。それに、父が借金をしている相手とレナトが、知り合いであるとも考えにくい。
アリアが雇い主のことを尋ねたのは、その父の借金について、聞いておきたいことがあったからだ。
父の話では、アリアがこの古城で働けば借金を帳消しにしてくれるとのことだ。でもさすがにあれほどの金額が、それだけで帳消しになるとは思えない。
「どうしてそのようなことを?」
「聞きたいことがあります」
ハードナーは少し考えたあと、アリアを雇ったのはキャステニラ公爵の親戚だと教えてくれた。病身の彼を心配して、色々と手配をしてくれるらしい。
今まで何人もの女性が、この古城に派遣されたこと。けれどそのほとんどが、翌日には逃げ帰ってしまったことも教えてくれた。
きっと今までは、ただ公爵家の手伝いだと聞いて、行儀見習いのような形で派遣された下位貴族の女性が多かったのかもしれない。
だからこの古城の恐ろしい雰囲気に怯えて、すぐに逃げ帰ってしまった。
それに、レナトも人嫌いであるなら、次々とやってくる女性が疎ましかったに違いない。だから夜の庭園で出会ったときのように、彼女たちを脅した可能性もある。
だからアリアにも、昨日のうちに逃げ帰らなかったのかと言ったのだろう。
(でも私は、ここで逃げるわけにはいかない。きちんと仕事をこなして、父の借金を何とかしなくては)
さすがに、帳消しにして欲しいとは思わない。
でも公爵家に勤めるのならば、家庭教師などで働くよりもずっと、賃金は良いだろう。
だからここできちんと働いて、父の借金を返すと伝えたい。
「直接会うのは、難しいでしょう」
ハードナーは難しい顔をして、そう答えた。
「そうですか……」
「でも手紙なら、渡せますよ」
「ありがとうございます。では、お手紙を書かせていただきます」
父の借金に関することを伝えてもらうのは、さすがに恥ずかしかったので、手紙と聞いてほっとする。
「もうひとつの質問は?」
「あの、ドレスを用意してくださった方にお礼を言いたくて」
そう言うと、それもアリアの雇い主だと教えてくれた。そのお礼も、手紙に書くことにする。
「案内していただき、ありがとうございました。何か仕事はありませんか?」
アリアの部屋の前まで戻り、お礼を言いながらも、仕事がないのか尋ねる。
このままでは昨日の夜のように、手持ち無沙汰な時間を過ごすことになりそうである。
「いえ、仕事はないですよ。部屋で手紙を書いたらどうでしょう」
そう提案され、アリアはそれに従うことにした。
「わかりました。そうさせていただきます」
ハードナーと別れ、部屋に入る。
「アリア様、おかえりなさいませ」
すると、ケイトが出迎えてくれた。誰もいないものだと思っていたアリアは驚いた。
「ただいま戻りました」
「何か入り用なものはございますか?」
「……ええと、手紙を書きたくて」
そう伝えると、すぐに用意を整えてくれた。アリアは最初から家族に手紙を出すつもりはなかったので、何も持っていなかったので助かった。
しかもケイトは準備を整えると、何かあったらお知らせください、と言って退出してくれた。
アリアは世話をしてもらうことに慣れていない。だから、そうしてもらったほうがゆっくりと手紙を書くことができる。
アリアは、何度も文面を考え直しながら、父の借金を肩代わりしてくれたお礼と、公爵家の仕事を紹介してもらったことに対するお礼。さらに、ドレスを用意してくれたことに対するお礼。
そして、賃金で借金は必ず返済することを書き記す。
いくら公爵家の賃金が高額でも、父の借金は膨大なものだ。返済するためには、さすがに何年も掛かってしまうだろう。
でも婚約を解消されたときに、もう自分自身の結婚は諦めている。結婚もしない長女が居座っていたら、妹と弟の将来にも良くない。
だから借金の返済と公爵家での仕事が終わったら、修道院に行って暮らすか、ひとりで仕事をして生きていくつもりだった。
手紙を書き終わって一息つくと、ケイトが戻ってきて、お茶を煎れてくれた。
書き終えたばかりの手紙も、老執事に渡してくれるようだ。
「お願いします」
そう言って手紙を託し、アリアは煎れてくれたばかりのお茶で喉を潤す。
窓からは、中庭にある庭園が見える。
あの夜と同じように美しく咲く薔薇を眺めながら、アリアは借金の返済が終わった頃、自分は何歳になっているのだろうかと、少し考えた。
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