第9話


リックは窓辺の小さなテーブルでアーシャに出された問題を解きながら、アーシャが働くのを見ていた。

リックが弁当持参でアーシャに勉強を教えてもらうようになって1ヶ月。

アーシャは薬を買いに来る客の相手をしながら、リックの勉強を見た。

単純に勉強時間が増えたので、他所の国の言葉も教えてもらうようになった。

文官になれば他国の人間と付き合う事もあるし、他国の言葉で書かれたモノを目にする事もある、と言われたから。


アーシャは時々奥の戸から店を出る。

すぐに戻って来る事もあれば、しばらく戻らない事もあった。

不思議に思って尋ねると、家で薬を作っているのだ、と教えてくれた。


「魔法薬の中には、すぐには出来ない薬も多いのよ。1日、2日、もっと時間がかかる物もあるの。時間毎にかき混ぜたり、材料を加えたり、火加減が必要だったり、結構手間がかかるのよ」

「そうなんですか。知りませんでした」


アーシャはくすくす笑った。


「知る必要はないわ。だってあなたは魔法使いじゃないんですもの」

「あ~~、そうですね」


リックはその言葉を聞くと、ほんの少し胸が痛む。

自分も魔法使いだったら良かったのに、と思うのだ。

アーシャには母を安心させる為だ、と言ったし、両親にも同じ事を言ったのだったが、リックが午後も勉強したかったのには、もう一つ理由があった。


アーシャの傍にいたかったのだ。

これは誰にも言っていない。

もし言っても、誰も本気にはしてもらえないだろう、と考えた。

なにしろ自分とアーシャは10くらい年が離れている。

独り立ちどころか、身の回りの全てを両親に賄ってもらっているのに、アーシャを好きで、出来れば彼女と結婚したい、だなんて身の程知らずもいい所だ。

アーシャにだって相手にはされないだろう。

それくらいはまだ子どもの自分にでも分かる事だ。

だから1日でも早く働いて、一人前になって、アーシャに認めてもらいたかった。


自分に魔力があれば良かったのに、と本当に思う。

そうすれば、今のように言葉や計算なんかだけではなく、魔法使いに必要な様々も教えてもらえただろう。

取って付けた理由など必要なく、アーシャの傍にずっといられるのだ。

アーシャがいなくなった店の中で、リックはそんな事を考えながら問題を解いた。

店の戸が開いて、若い男が入ってくる。


「ぉや?アーシャは家か………」

「こんにちは、アーサー様」


リックは立ち上がり、入ってきた男に挨拶した。


「こんにちは、リック。君も勉強熱心だね。勉強の方は進んでいるかい?」

「はい、順調です。ありがとうございます」


アーサーの後ろから、もう一人男が入ってきた。

リックの父だ。

父は、リックをちらっと見て、店から出る。

一言も話さない。

それはアーサーの護衛中だ、と言うだけではなく、外で息子になんと話しかけるべきか、言葉を持たないからだろう。

元々口数は少ない方なのだ。

リックはそれでも父が自分の事を心配してくれている事が分かっているので気にしない。

その目が、頑張っているな、偉いぞ、と言ってくれるように思えるのだ。


アーサーはリックの向かいに座って、アーシャが戻るのを待つ。

リックの勉強を見てくれる事もあれば、持参した本を読む事もある。

今日は本を読む事にしたようだ。

リックも座って羽根ペンを動かす。

店の中に静けさが戻る。


「ぁら、兄様。ベルを鳴らしてくれたらいいのに。ずいぶん待ったでしょう」


奥の戸からアーシャが戻った。

カウンターに置いてあるベルを鳴らせば、アーシャは家から戻ってくる。

が、アーサーは一度もそれを鳴らした事はなかった。

アーシャは笑顔でカウンターを出てアーサーを見上げる。


「いいや。さっき来た所だよ」


アーサーは開いていた本を閉じ、アーシャに笑顔を向ける。


リックはこの時が嫌いだった。

アーシャはアーサーがいる時、リックを見ない。


「今日も元気だね?」

「えぇ。私が病気になったら、店の薬が売れなくなってしまうわ」


それもそうだ、とアーサーはアーシャの頭を撫でる。


「もう。いつまで経っても子ども扱いなのね」


不満を口にするアーシャは嬉しそうだ。


ふんっ!とリックは思う。

僕だって背がうんと伸びたら、アーシャの頭を撫でてあげられる。

もう少ししたら、後5年もすればアーシャの背を超えるはずだ。

アーサー様のように、ぃや、アーサー様よりも背が高くなって、アーシャなんか僕の肩より小さくなって、そしたら僕はアーシャをお嫁さんにする。


ふんっ!とリックは二人を見る。

アーサー様とアーシャは光と闇のようだ。

金色の髪、碧い瞳のアーサー様は青空の太陽を思わせる。

漆黒の長い髪と瞳のアーシャは闇夜を思わせる。

その点僕は黒髪にグレーの瞳。

アーシャにお似合いなのは僕の方だ。


ふんっ!とリックは窓の外を見る。

ほんのちょっと僕より早く生まれただけなのに。

ほんのちょっと僕より早くアーシャと知り合っただけなのに。

アーサー様はずるい。

アーシャの笑顔を一人占めするなんて。


「アーシャ、今夜、城に来てくれないだろうか?少し話がしたい、と父上が」

「はい、分かりました」

「いつものように私が迎えに来よう。森の方でいいかな?」

「う~~ん……ぃえ、店に。その方が近いでしょう?」

「気を使って頂いてありがとう」


二人はくすくす笑い合う。


「では、また後で。夕食は城で」

「はい。気を付けて」


アーシャは店の外までアーサーを送り出す。

その姿は窓から見える。

馬に乗って帰って行くアーサーの姿を、アーシャはずっと見ている。

大人達は仲のいい兄妹のようだ、と言うけれど、リックには恋人同士のように見える。


アーシャはアーサーが見えなくなってから店に戻ってくる。

リックは急いで勉強しているふりをした。



「リック、問題解けた?」

「まだ……途中で分からなくなってしまって……」


アーシャがアーサーと話している間は勉強が手につかない。

アーサーだけの時は平気なのに、アーシャとアーサーが二人でいると、もうダメだ。

でもそれをアーシャに知られたくない。

アーシャはリックの前に座って、ノートに目を走らせる。


「ぁ、これはね………」


アーシャは最初から丁寧に説明し始める。

リックはそれを聞きながら問題を解く。

元々分からずに手が止まっていた訳ではない。

リックが問題を解くとアーシャは笑顔を見せた。


「出来たじゃない。リック、すごいわ」


リックは得意げにアーシャの笑顔を見る。

が、すぐに得意な気持ちはしぼむ。

アーシャがアーサーの前で見せた笑顔とは違う事に気付いたのだ。


「アーシャ先生はアーサー様の事が好きなんですね」

「え?」

「あ~~ぃえ。ぇっと、新しい問題を下さい」


リックは思わず呟いた言葉がアーシャに届いていなくて、ほっとした。

聞かなくてもその答えは分かっている。

それを直接アーシャの口から聞く事は、今のリックには、とても悲しく、恐ろしい事のように思えた。




.2012.5.27

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