アーシャの役割

第10話


夕方、アーシャはリックを送り出すと、店を閉め、城に向かう準備をした。

着替えてマントを手に取り、店に戻る。

しばらく待つ事もなく、店の戸がノックされた。

アーシャが戸を開けると、アーサーが立っていた。


「用意は良いかい?」

「兄様。ちょっと寄って欲しい所があるのだけど」


アーシャはカウンターに戻り、置いてあった薬瓶を見せた。


「誰かの薬?」

「えぇ。これがないと、明日の朝、泣きそうな顔する女の子がいるの」


カウンターに置かれたままなのを見つけたのは昼過ぎ。

取りに来るかと思って待っていたが、キャシーはすっかり忘れているらしい。

本来なら店を閉めた後持って行ってやる所だが、今夜は予定が出来た。

アーサーは快く寄り道をしてくれるだろう、とアーシャは思っていた。

その予想通り、アーサーは笑顔になる。


「マーサの所の娘だね。名前は確か……」

「キャシー。とても可愛らしい女の子よ」

「そうだった。僕はどうも人の名を覚えるのが苦手で。困ったものだ」


アーサーはそう言いながらアーシャの手にあったマントを取ると、彼女の肩にかけてやる。


「ありがとう、兄様」


アーシャは薬瓶を持ってくれたアーサーに礼を言って、マントの紐を結んだ。


「ここからマーサの家はそう遠くなかったね。歩いて行こうか?」

「はい、兄様」


二人は店を出る。

アーシャは杖を振って店の戸締りをすると、アーサーが差し出した腕に手を預けた。

外にはリックの父が自分とアーサーの馬の手綱を持って待っていた。


「フランク、少し寄る所がある。そのまま来てくれないだろうか」

「はい、アーサー様」


フランクは頭を下げると、2頭の馬を曳いて二人の後について歩き出した。


「フランク、ごめんなさい。マーサの家までだから」

「はい」


アーシャは気遣うようにフランクに話しかける。

が、その返事は短い。

いつもの事だ。

フランクは必要以上話さない。

リックに聞くと、家でも余り話さないそうだ。

こんな無口で良くストレスが溜まらないものだ、とアーシャは感心する。


アーシャが口を閉ざすのは極めて重要な事だけ。

子ども達の相手をしているので、軽口やおしゃべりは人より多い、と思う。

そうする事で、アーシャは色々な気鬱を晴らしていた。

フランクには気鬱はないんだろうか?

心配事や、悲しい事は?

ない事はない、と思う。

全てを抱え込んでいるのか、どこかで発散させているのか?


「キャシーはまだ知らないのかい?」


アーシャの考えはアーサーの問いに中断した。


「え?あ、ううん。この前9つになったのを機にマーサが話したわ」

「そう。それで?」

「秋から私の元に来る事になったわ」

「そうか………マーサも大変だね」


アーサーは小さく息を吐いた。

マーサは今、息子と二人で店を切り盛りしている。

前の冬の始めに働き手であった連れ合いを、急な病で失ったのだ。

アーシャは彼の為に薬を作り、なんとか治って欲しい、と手を尽くしたが、人の命は魔法使い如きがどうこう出来るものではない。

人はいつか死ぬ。

物がいつか壊れるように。

己の力不足を嘆き謝るアーシャに、マーサはそう言って笑った。


「アーシャの薬のおかげで、ウチの人は苦しまなかった。それまで辛そうだった息が穏やかになり、熱が下がり、ほんの少しだったけど私達と話す事も出来た。それで十分さね」


マーサの言葉にアーシャは救われたような気がした。

それまでもアーシャの中でマーサは恩人だった。

彼女の一言が学校を作るきっかけとなり、町の人と仲良くなれた。

だから彼女の為になるような事は出来る限りしたかった。

それが一時的にでもマーサからキャシーを奪う事になるなんて。

運命は思うようにならないものだ。


話している内にマーサの家に着く。

アーサーがノックすると、すぐに家の戸が開かれた。


「ぉや、アーサー様、どうかなさいましたか?」

「キャシーの忘れ物を届けに来たんだよ」


アーサーの後ろから、アーシャが顔を出す。


「薬をカウンターに置きっぱなしだったの」


マーサは、しょうがないねぇ、とアーサーの手から薬瓶を受け取った。


「あの子はほんとにそそっかしいんだから。ありがとうございました。アーサー様にこんなお使いのような事をさせちまって。アーシャも悪かったね」


マーサはアーシャにも礼を言った。


「あの子はもう寝ちまってるんで、明日よぉく言い聞かせるよ」

「怒らないでね。私の為に昼食用のサンドイッチを買いに行ってくれたの。知ってるでしょう?それで忘れちゃったのよ」

「怒らないよ。ただ、もうちょっと落ち着いて周りを見る事を覚えないと、アーシャに迷惑がかかっちまう」

「迷惑なんかじゃないわ」


マーサは頭を振った。


「いいや。あたしがあの子に教えてやれる事は、出来るだけ今のうちに教えとかないとね。後悔だけはしたくないから」


マーサはそう言って笑った。

アーシャはそんなマーサに言葉を見つける事が出来なかった。


「では、これで」


アーサーがマーサに暇を告げる。

マーサは二人にもう一度礼を言って、戸を閉めた。

アーサーがフランクから手綱を受け取り、馬に乗った。


「アーシャ、おいで」


差し出された手に捕まって、アーシャはアーサーの馬に乗った。

アーサーは馬を進めた。

馬に乗っている時、アーシャはアーサーに抱きしめられるような格好になる。

アーシャにはアーサーの鼓動が聞こえる。

とくとくと規則正しいその鼓動は、アーシャに安心をくれる。

アーシャは待ち合わせの場所を森の家にすれば良かった、と思った。


城で食事を取る。

テーブルにいたのはアーサーだけで、王と王妃は別に済ませる、との事だった。


「お客がいるのだよ。お二人は彼と会食中だ」

「………私は何故呼ばれたのかしら?」

「その客を紹介する為だろうね。迎えに行く前に紹介を受けたけど、悪い人ではなさそうだった」


アーサーは客の第一印象を話す。


「栗色の髪に深緑色の目。賢そうな男だったよ。年は………僕と余り変わらないだろう」

「そう。二十過ぎってとこなのね」

「楽しみかい?」


アーサーは悪戯そうな顔をアーシャに向ける。


「さぁ。面倒な事にならなければいい、と思うだけ」


王がアーシャに客を紹介するなんて、余程の事だ。

予想としては、どこかの国の国王か王子。

あるいはそれに準ずる程の地位を持つ人。


貴人に会う前にはドレスを着なければならない。

客人に会うのが億劫おっくうなのか、王の思惑が分からないのが不安なのか、はたまた窮屈なコルセットが煩わしいのか。

そのどれもを思ってアーシャは会う前から気が重くなった。

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