第8話


アーシャの初めての生徒、ロイは今のリックのように熱心に勉強した。

ぃや、勉強を始めたのが15を過ぎてだったロイの方が熱心だった。

リックに問題の解き方を教えながら、アーシャはあの頃を思い出していた。


ロイは朝早くから夕方まで店の片隅に用意したテーブルで勉強した。

アーシャが出した宿題も翌日までに仕上げてくる。

ABCから始めたロイはアーシャから出された宿題で満足せず、借りた本で自習し、3年後、城の文官になった。

店で過ごすうちに、毎日訪ねてきたアーサーと仲良くなったのは不可抗力だ。

ロイは実力を認められて未来を掴んだ。

ロジャーは狩りでウサギが獲れた、とか、美味いきのこがあった、と折りに触れて店に“お礼”を持ってきてくれた。

アーシャは多くの金貨を必要としていなかったので、その方がありがたかった。


ロイがアーシャの元に来るようになって後、クレアがその仲間になった。

クレアは親友が何かやり始めた事を手伝おうと思って来たのだが、一目でロイに惚れた。

ロイの横で勉強する振りをしながらロイに自分をアピールした。

が、ロイの目はノートに書かれた問題から離れる事はなかった。

そのうちロイの妹やマーサの息子がアーシャの店に通い始めた。


ロイが文官になって店に来るのをやめた後、町の人がウチの子にも教えて欲しい、と訪ねて来るようになった。

アーシャはその全てを引き受けた。

いつしかアーシャの店は誰でも自由に通える学校となった。



時計を見ると、そろそろ終わりの時間だった。


「はぃ、今日はここまで。キリがいい所でお仕舞にしてね」


子ども達はそれぞれのノートにアーシャから宿題を書いてもらい、机の上を片付ける。

店を出る前にアーシャの前に立ち、手を差し出す。

と、アーシャはその手の上に小さなキャンディーを置いた。

子ども達は嬉しそうな顔でそれを頬張ると、店を出て行った。

キャンディーはアーシャの店に来た印。

勉強を頑張ったご褒美だ。


「アーシャ、タマゴパン食べてね」


キャシーの言葉に頷いて、アーシャは手を振った。


「さぁ、リックもそろそろ終わりましょうか」


最後まで残っていたのは、いつものように朝から来ていたリックだった。


「………もう少しいては御迷惑でしょうか?」

「あ~~私は構わないけれど……お腹空かない?」


時間はもう昼。


「お家でお母さんが待っていらっしゃるんじゃないの?」


リックは頭を振って、カバンの中から小さな包みを取り出した。


「弁当を作ってもらいました。僕、もっと色んな事を勉強したいんです」


リックは真剣な表情でアーシャを見た。


「………じゃぁ、先にお昼にしましょう」


アーシャはリックを立たせると、杖を振って大きなテーブルとたくさんの椅子を消した。

店を狭くし、窓辺にいつも置いている小さなテーブルと椅子を出した。


「さぁ、そこに座って。スープはいかが?」


リックは目を丸くして立ちすくんでいた。

初めて店の中が魔法によって変わって行く様を見たのが衝撃だったのだ。


「リック?」

「ぁ……はい。頂きます」


リックは我に返ったように返事して、小さなテーブルに着いた。


「用意してくるから先に食べててね」


アーシャは家に続く戸を開けて、スープを取りに行った。

リックは弁当の包みを開けて、サンドイッチを食べ始めた。

すぐにアーシャがスープ皿を2つトレイに載せて戻ってくる。

どうぞ、と置かれたスープに、リックはスプーンを突っ込んで口に運んだ。


「ぁ……美味しいです」


伺うようにリックを覗き込んでいたアーシャが嬉しそうに笑った。


「それは良かったわ。私も頂こうかな」


アーシャは笑顔でキャシーが運んでくれたタマゴパンを口に運んだ。

タマゴパンはふっくらしていて、ほんのり甘く、優しい味がした。


しばらく二人は食事に専念した。

リックの弁当も皿のスープもなくなった所で、アーシャは二人分の紅茶を淹れ、リックにも勧める。


「さて、お腹も一杯になった事だし、リックに一つ質問があります」


リックは紅茶を一口飲んで、カップを置いた。


「なんですか?」

「どうして急にお昼過ぎまで勉強しようと思ったの?」


リックの家は貧しくはない。

本来なら学校に行く事だって出来たのにアーシャの店に来たのは、彼の母の勧めがあったから。

リックの母は体が弱く、アーシャの薬の世話になる事が多かった。

彼女はアーシャの人柄を好んでいて、溺愛する息子をアーシャに見てもらいたい、と願ったのだ。

幼い息子を知らない人間に託すのは嫌だ、という母親のエゴに近いものだったかもしれない。

また、息子と1日中離れていたくない、という我儘もあったろう。

アーシャはリックの母の心情をよく理解していた。

だから彼女が弁当を作り、息子を1日中外に出す事を認めた事に驚いていた。


「僕は早く働きたいんです。早く一人前になりたい。だからもっと勉強したいんです」

「それは素晴らしいわ。でもあなたはまだ幼い。いくら勉強しても18になるまでは城で働く事は出来ないのよ。ご両親もそう仰ったんじゃないの?」


リックは頷いた。


「母が。でも僕は、例外はある、と答えました。アーシャ先生、あなたはずっと幼い頃から魔法使いとして働いていらっしゃいます」

「それは………」


間違ってはいない。

アーシャはガントゥ亡き後、城や国の様々に関する事を担ってきた。

が、それはそうしたいとアーシャが望んだ事であり、それは他の誰よりアーシャが知っている事だった。

但し、アーシャは魔法使いだ。

魔法使いであるアーシャとリックを同列に並べる事は出来ないし、そうする事は間違っている。

アーシャはそう説明した。


「アーシャ先生が特別な力を持っていらっしゃる事は僕も知っています。でも僕は優秀な人材ならば年満ちる前でも働けるのではないか、と思うのです。そう言うと、母は納得しました」


リックは話を終ろうとした。

が、アーシャは納得できない。


「あなたのお母さんがその程度でお弁当を作って下さるとは思えないわ」

「母を安心させたいのだ、と言いました。先生もご存じのように母は体が弱い。だから、いつも僕の行く末を案じています。僕はその事が逆に母を苦しめているのではないか、と思いました」

「あぁ、そういう事なの。分かったわ」


だから、と話を続けようとしたリックの言葉をアーシャは遮った。

どうやらリックの母は、彼の気持ちに打たれたようだ。


「そういう事なら私も協力するわ。勿論、勉強を見てあげる事しか出来ないけれど」

「ありがとうございます。僕、先生の邪魔はしません」


リックは、ほっとしたように笑顔を見せる。

アーシャとリックは紅茶を飲んで、午後の勉強を開始した。

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