第3話


クレアはその言葉通り誰にも見つかる事なくアーシャを城から連れ出し、アーシャは約束通りクレアに“ニキビが消える薬”を作ってやった。


「ぅえぇっ!まずぅぃ!」


クレアは文句を言ったが、余程ニキビを消したかったのだろう。

目に涙を浮かべながらも薬を飲み干した。

飲んで徐々に効果は表れ始めた。

ニキビ顔の下からは、美しい娘の顔が出てくる。

1時間後、鏡を見たクレアは嬉しさからアーシャに抱きついた。


「ありがとう!全然違うわ!まるで私じゃないみたい」

「あ~~今はきれいだけど、半日もしたらまたニキビできると思う。しんから治すにはこの薬を毎日、30日間飲まないといけないの」


クレアは驚いたように体を離した。


「30日!このマズイ薬を?毎日??………ねぇ、アーシャ、もっとどうにかならないの?期間短くするとか、味を改良するとか?」

「う~~ん……出来ない事はないと思うけど、これがガントゥが教えてくれた薬なの」

「やってみてよ。全く同じじゃなくても効けばいいわ。アーシャオリジナルの薬、飲んでみたいなぁ」


この時、クレアはマズイ薬を飲みたくなかっただけなのだが、アーシャには自分のこれからを決定付ける言葉に思えた。


「分かった。やってみる」


その後、クレアは城に帰ろう、と言ったが、アーシャは森の家に留まった。

クレアは翌日も来ることを約束して、森を出た。

アーシャが城にいない事はすぐに分かり、半日もすると城から、王自ら連れ戻しに来た。

が、アーシャは絶対に城には戻らない、と言い張った。


「私はガントゥのように生きたい。お城には私の望むものが何もない。連れ戻しても無駄だから。私、魔法でここに帰ってくる」


クレアに連れ出された、というのは内緒にした。

実際、帰ろうと思えばいつでも帰れたのだ。

ただ、帰っていいのかどうか分からなかっただけ。

そのきっかけを与えてくれたクレアが怒られるのは………例え自分と一緒でも嫌だった。


「お前は一人、この家で暮らすというのか?」


王は頭を振った。


「お前はガントゥの遺志を継ぐものだ。が、彼と違ってお前はまだ幼い。城には食べ物がある。美しい服も、温かい部屋も」

「おじ様、私、そんなものは要らないの。この家で、ガントゥの遺した書物や道具に囲まれながら暮らしたい。それに………」

「それに?」


王は言い淀むアーシャを促した。


「お城は楽しくなかった。誰も私とおしゃべりしてくれなくて、遊んでくれなくて………たくさん人がいるのに、私は一人だった。ここなら最初から一人だから平気だと思うの」


アーシャの言葉を聞いて王は、何故、アーシャが病の床に着いたのか、合点がいった。

城の者達は、ガントゥの秘蔵っ子であるアーシャにどう接していいのか分からなかったのだろう。

だから腫れ物に触るようにした。

アーシャはまだ甘えたい盛りの幼い娘だというのに、誰もその事に気付かなかったのだ、と。


「アーシャ、お前は淋しかったのだな」


王はアーシャを抱きしめた。


「私が悪かった。いつでも会える気安さから、お前の元に行く事を後回しにしていた。すまない」

「おじ様………」


アーシャは泣いた。

ガントゥが死んで、体の中が空っぽになったような気がしていた。

城で大勢の人に埋もれて、自分が忘れられたような気がしていた。

“国王”も“王妃”も“王子”も知らない人のような気がしていた。

でも今、目の前にいるのは“国王”ではなく、おじ様だった。

その一つの事だけでアーシャは満たされた。

涙は後から後から出た。


「おじ様……ガントゥが…………死んだの………いないの…………」

「そうだ。ガントゥは死んだ。だが、いなくなった訳ではない」

「ぇ?」


アーシャは王を見た。


王はアーシャの両肩に手を置いて、アーシャの目を覗き込んだ。


「お前の中には、ガントゥが生きているのだ。彼の知識、彼の技術、彼の全てをお前は知っているではないか。目には見えなくとも、お前は一人ではない。お前の中のガントゥが、いつもお前を見守ってくれているのだ。それを忘れてはいかん。いいかね?」


アーシャは涙を拭いた。


「………はい。分かりました」


アーシャの返事を聞いた王はにっこり笑った。

では、と、王がアーシャを再度説得しようとした矢先。


「父上、僕が毎日アーシャの様子を見に来ましょう。そうすればアーシャはここに住み続けられるのではありませんか?」


王は後ろから掛けられた声に振り向いた。

笑顔の王子が立っていた。


「アーサー、お前は黙っていなさい」


王はアーサーを窘めた。

アーサーは軽く首を竦める。

が、その目は、悪い事を言ってはいない、と言っていた。

アーシャは目を輝かせ、アーサーを見た。


「兄様は私がここに住んでも良いって言うのね?」


アーサーはちらっと父王に目をやって、それからアーシャの問いに答えた。


「それは違うよ、アーシャ。本当は城に戻って欲しい。じじ様がいない今、僕は君から様々な事を教えてもらわなければならないからね。でも……それが僕の我がままで、君がここにいたい、というのなら、しょうがない、と思うよ」


王子は肩を竦める。

王はアーサーからアーシャに目を移した。

期待を込めた目が王の言葉を待っている。

王は小さく息を吐いた。

本当はムリにでも城に置いておきたい。

が、こうして勝手に抜け出されるのなら意味はない。

むしろアーシャがここにいる事で、彼女を守り易くなるのかもしれない。

ガントゥ亡き後、その愛弟子ともいえるアーシャを秘密裏に攫おうとする動きが隣国にあるのを王は知っていた。

攫えなければ殺そうと考えている事も。

強大な魔力は戦いを生む。

好戦的な隣国の王が今までこの国に攻め入らなかったのは、ガントゥの睨みがあったからだ。

あの国がアーシャを手に入れたらどんな事になるか、予想は簡単に出来る。

アーシャが殺されてしまった後の事も。

不要な争いを起こさない為にも、アーシャを守る事が王にとって最大の責務だった。


「いいだろう。私も今まで同様、ここに来る事にしよう。但し、この家は不用心すぎる。幼い娘が一人で住むなど危なくて放ってはおけん。見張りを……」

「おじ様、私、この家の周りに魔法をかけます。私の信頼する人しかこの家を見つけられないような魔法を。だったらいいでしょう?」


とっても簡単に出来るの、という声に王は声を失った。

簡単に出来る?

ガントゥでさえ、魔法を使いこなせるようになったのは、青年期になってからだ、と聞いていたのに。

この娘はこんなに幼いうちから、魔法を使いこなしているのか。

王は、その事実に心を震わせた。

そして思い出す。

ガントゥが亡くなる間際。

己に託された言葉。


『アーシャは素晴らしい魔法使いとなるはずじゃ。導き方を誤るでないぞ』


王は己の前に立つ娘を見た。

こういう事だったのだ。

アーシャが素晴らしい魔法使いとなるように、私はアーシャを育てなければならない。

己の肩に、国政よりも重い荷が乗ったのを感じた。

が、その瞬間。


『大丈夫。お主になら出来るとも。まっすぐに人を愛し、国を愛するお主になら、な』


ガントゥの声が聞こえた様な気がした。

もちろん、空耳である事は分かっている。

だが、今まで聞いた、どのアドヴァイスよりも、心に染みた。

心が急に軽くなった気がする。

私になら出来ると、ガントゥは言ったのだ。

出来ぬはずがない。


「おじ様とおば様と兄様と………そのくらいかな」


アーシャは王の返事がないので、指折って信頼する人を数えた。

本当はクレアの事も指折りたかったが、彼女の名を出すと、どうして知り合ったのか?を話す必要が出てくる。

自分から怒られるような事を教えなくてもいい。


「………いいだろう。アーシャが一人でいいというのなら、そうしなさい」

「ありがとう、おじ様!」


アーシャは心の底から喜んだ。

彼らが帰ってから、アーシャは森中に魔法をかけ、アーシャとその家を見つけられる人間を限定した。

こうしておけばアーシャに危害を加えようとする人間は、その目的を達せられない事になる。

少なくとも、森の中では。


それからアーシャは森の家に一人、住み続けた。

森を出るのは週に1、2度。

町に食料を買いに行くか、アーサーに夕食に誘われて城に行く時だけ。

ガントゥが生きている間から家事のほとんどはアーシャの仕事だったので、困る事もそうなかった。

時々……夕食のシチューを多く作ってしまった時や、嫌いなニンジンを頑張って食べたのに褒めてくれる人がいない時以外は。

それも日々を過ごすにつれ、量の加減を覚え、ニンジンが入っていても気にならなくなった。

日々の糧を得る為の金貨は城からアーサーが運んでくれたが、それに頼ったのは、ほんの少しの間だけ。

程なく、魔法薬を作って売る事で得るようになった。

これを助けたのも、クレアだった。

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