自由研究
好きな作家の新刊と、タイトルに惹かれ手に取った本の会計を済ませ、
店からは出ないという約束をして、本屋で別行動をとるようになったのは、いつからだったろうか。何度か立ち寄っているが、ケイは絵本か料理本の売り場にいることが多かった。日本語が読めなくても、眺めているだけで楽しいらしい。しかし、今日はそのどちらにも見当たらなかった。
写真集や旅行雑誌の売り場も覗いてみるが、やはりいない。端から探していくかと入口に向かったところで、見慣れた帽子の後ろ姿が目に入った。
「ここにいたんだね」
「フミさん。お買い物、終わったんですか?」
「うん。お待たせしました。何か、おもしろそうな本があった?」
「いえ。ただ、これも本なのかなと思って」
ケイが指した棚には、様々な写真が印刷された箱が並んでいる。
「ああ、自由研究」
「自由研究?」
「そう。夏休みの宿題の定番でね。自由にテーマを決めて、観察したり、実験したり、調べたりして、まとめるの。でも、自分でテーマを見つけるのって難しいから、それを助けてくれるような本がいろいろ出てるんだよね。これは、実験に必要なものと解説の冊子がセットになって箱で売ってるの」
「宿題で、研究を。すごいですね」
「ケイちゃんが想像しているような研究とは違うかもしれないけど。そうだ、どれか買ってやってみようか」
百聞は一見に如かず。それに、楽しむことを目的とした自由研究は、自分たちの夏休みにぴったりな気がする。
「いいんですか」
瞳を輝かせたケイは、「じゃあ、フミさん、選んでください」と言う。
「でも、写真見て、気になるものとかない? これは表紙の結晶を作ってみるっていう実験で、こっちは、レモンが電池の代わりになるっていう……」
説明しながら、ケイに電池というものが伝わるだろうかと首を捻る。そんな芙弥に、ケイも眉を下げた。
「あんまり、イメージできなくて。だから、選んでもらってもいいですか?」
「そっか。どうしようかな」
生物や植物を育てるのは手間がかかるし、成分分析や電気の仕組みはケイに馴染みがなさそうだ。手軽にできて、わかりやすいものがいい。
「あ、これは? なんと、お水が掴めるようになる、という実験です」
「え?」
驚きの表情に、これは実験の甲斐がありそうだと思う。しかし、彼女の口から出たのは予想外の言葉だった。
「水って、掴めますよね?」
「え?」
「え?」
ケイの腕輪が青白い光を放つ。
受け止めきれず溢れた水はそのままシンクへ流れていき、彼女の両手に残った水だけが球形の塊となってふるりと揺れた。
実験キットで作った水の球を自身の手に乗せ、彼女が魔法で生み出した水の塊と見比べる。
「似てるね。ケイちゃんのほうが、透明度が高いかな」
「そうですね。あと、そちらのほうが、おいしそうな感じがします」
彼女らしい感想に、思わず吹き出す。言われてみれば、芙弥の手にある水の球はわらび餅みたいだ。水の塊とは揺れ方が違うせいか、弾力があるように見える。
「こっちは粉が混ざってるからかな。ケイちゃんのは、純粋なお水だもんね。触ってみてもいい?」
「どうぞ」
ケイが差し出してくれた水の塊をつつこうとする。が、芙弥の指はなんの抵抗も受けず水に包まれてしまった。試しに親指と人差し指を使って掴もうとしてみるが、やはり結果は同じ。コップの水に指を入れている感触と変わりがない。
「ええ? どうして」
私は持てるのに、と水の塊を摘まみ上げたケイは、はっと何かに気づいた顔をした。
「持ってないかもしれません」
「うん?」
「水に魔力を通して操作してる感じなんです。だから掴んでいるというより、指の間にとどまるよう魔力で調整してるのかも」
「ケイちゃんは、浮いてる水の塊に指を添えてるだけってこと?」
「そうですね」
答えるが早いか、ケイは水の塊から指を離す。反動で震えたそれは、しかし落ちることなく浮かんだままだった。
「考えてみたら、普段はこの状態で使うことのほうが多かったです」
おそらく、彼女が操作しているのだろう。移動を始めた水の塊は、シンクの上でぱしゃりと弾けた。それを見届け、ケイは芙弥の手から水の球を持ち上げる。
「これ、表面に膜ができるから掴めるようになるんでしたよね」
「うん、そうらしいよ。化学反応って言うんだけど、水に入れた粉同士が影響し合って膜が作られるんだって」
「ってことは、表面だけ固くできたら、掴めるようになるのかな。でも、魔力は水全体に通しているんだから、一部だけっていうのはムリかも。水を浮かせる役割と、表面を固める役割と二人いれば……」
水の球を手のひらで転がしたり弾力を確かめたりしながら、ケイはブツブツと考えをこぼす。科学でできることを魔法で再現しようとするなんてあべこべなようだが、彼女は真剣そのものだ。
芙弥がごそごそとスマートフォンを取り出したことにも、気づく様子はない。
研究者の素質があるのでは、なんて。余計なお世話だろう。ただ、この没頭している顔を彼女の両親にも見せてあげたいと思うのは、許してほしい。
可能性に満ちた眩しい横顔へ、芙弥はそっとカメラを向けた。
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