さやかな
バーベキューコンロに高く積んだ炭の隙間から炎が揺らめく。
「大丈夫そう、かな」
下調べの甲斐もあり、無事に火が起こせたようだ。
「あとは、火が回るのを待ちます」
「どれくらいでできるんですか?」
「二十分くらい?」
「けっこう、かかるんですね!」
ケイが目を丸くする。いつもより声が大きく聞こえるのは、気のせいではないだろう。
辺りをぐるりと囲む雑木林や視界に映るテントたちが、非日常感を盛りあげる。芙弥自身、声が弾むのを抑える気にもならなかった。
バーベキュースペースだという東屋は、貸し切り状態だ。少し離れた場所ではテントを張っている人たちを何組か見かけたので、芙弥たちのように常設テントや調理用具をレンタルする利用者が少ないのかもしれない。
「その間に、ちょっと休憩しよう。荷物、重かったでしょう」
借りられるものはレンタルで済ませ、必要最低限のものしか持ってこなかったとはいえ、それなりの重量にはなる。電車とバスを乗り継いでの移動、スーパーでの食材購入に初めての火起こしで、すでに体力を削られていた。
テーブルへだらしなく両手を投げだす。丸太を半分に切って並べた断面は、ひんやりして気持ちがいい。
「フミさんは、前にも来たことあるんですよね?」
「うん。バーベキューだけで、泊まってはないんだけど」
芙弥がケイと同じくらいの年のころ、父の会社で企画された懇親会に、家族ぐるみで参加したことがあった。バーベキューと聞いてなんとなく水辺を想像していたのに、連れてこられたのはキャンプ場だった。テントの貸出なんてものがあると知ったのも、そのときだ。
だから、キャンプ地を探す際、真っ先にこの場所が浮かんだ。
「スーパーが近くにあるなんて便利だなって思ったのが、印象的で」
「ちょっと歩いただけなのに、今こんな自然の中にいるの、不思議な感じがしますね」
「ね。ここだけ、時間の流れが違うみたい」
蝉時雨と葉擦れの音が、耳に心地好い。午前中に小雨がぱらついたようで、しっとりと肌を覆う空気は土の匂いをまとっていた。
「雨、止んでよかったね。そんなに暑くないし」
薄曇りの空はお世辞にも美しいとは言えないが、過ごしやすくはある。
「フミさん、暑いの苦手ですもんね」
「ケイちゃんもでしょう」
からかうような瞳を冗談めかして睨めつければ、あははとケイは体を揺らした。
「そういえば、前に来たときも雨だったなあ」
「そうなんですか?」
「うち、母が自他ともに認める雨女なんだよね。で、私もその血を受け継いじゃってるの」
「あめおんな?」
「外でのイベントがあるって日に、ぜったい雨が降っちゃう人のこと。ほら、夏休みの初日も、どしゃぶりだったでしょう? 今日だって、朝は雨だったし。止んだのは、ケイちゃんがいてくれたからかな」
「えー? 天候を操るのは、すごく難しいんですよ」
難しいということは、やればできるということだろうか。尋ねたら真摯に実演してくれそうで、「そろそろ準備しようか」と、芙弥は話を切りあげた。
紙皿を並べ、まずは牛肉から焼いていく。
じゅうという音と煙に当てられ、胃が急激に空腹を訴えはじめた。
「これ、もう食べられると思う」
焼けた分は皿に上げ、新たな肉を網に乗せる。
「フミさんも、食べましょう?」
「うん、ちょっと待ってね。これだけ」
片面が焼けたものをひっくり返してから、トングを箸に持ち替えた。
「はい、お待たせしました」
いただきます。手を合わせるのもそこそこに、肉をほおばる。炭火で炙られた脂は香ばしく、旨みがじゅわりと口いっぱいに広がった。
「おいしい!」
「おいしいね」
次々に肉を焼いては、次々と胃に収めていく。牛に満足したら、今度は豚の番だ。塩だれに漬けこまれた豚肉が、甘辛いタレに飽きた舌を喜ばせる。「フミさん、これも開けていいですか?」とケイが手に取ったのは大きなフランクフルトで、いろいろな味が売られていた中からハーブ入りのものを彼女が選んだ。野菜を無造作に端へ寄せスペースを空けてやりながら、海鮮串はいつ出そうかと考える。
忙しい。けれど、それが楽しい。
食べ終えるころには、夕闇が迫っていた。曇天のせいか、暗くなるのが早い。
お腹が少し落ち着くのを見計らって、芙弥はリュックからスキレットを取り出した。
「ホットケーキ、つくるんですか?」
「ううん。でも、デザートをつくろうと思って。ケイちゃん、お腹まだ入る?」
「はい!」
元気な返事だ。ケイは、細身のわりによく食べる。「火、まだ残ってるかな」網に手をかざすが、あまり熱を感じられない。炭を足したほうがいいだろうか。
軍手をはめようとコンロに背を向けた瞬間、青白い光が芙弥を襲った。
「え?」
振り返れば、コンロから大きく火柱が立ち昇っている。何事か理解する間もなく、それはしゅんと消えた。
「ケイちゃん!」
呆然と立ち尽くすケイの肩が跳ねる。
「大丈夫? ケガしてない?」
「あ……ごめんなさい」
顔から服の裾、靴の先まで全身を見回す。手の甲や指先にも火傷がないことを確認し、芙弥はようやく息を吐いた。
「びっくりした」
「ごめんなさ……」
「さっきのやつ、お客さんたち?」
弱々しい謝罪に、しわがれた声が重なる。割って入ったのは、受付にいた管理人の男だった。足早に、東屋へと向かってくる。
「駄目だよ、ここで魔法使っちゃあ」
言われて、先ほどの青白い光がケイの腕輪から放たれたものだと気がついた。コンロに火を入れようとしたのだろう。ケイがうろたえているのを見るに、火柱は彼女自身も想定外のことだったのかもしれない。
事態を把握し、芙弥は前に進み出た。できるだけケイから距離を取ろうと、管理人に駆け寄って頭を下げる。
「すみませんでした」
「魔法使用禁止って、張り紙してあったでしょう」
「申し訳ありません。私がちゃんと説明していなくて」
「困るよ。どんな魔法使ったか知らんけど、何かあってからじゃ遅いんだから」
「はい」
「次やったら警察呼ぶからね」
「はい、申し訳ありませんでした」
魔法の痕跡や損害が見当たらなかったからか、管理人は釘を刺すだけで去っていった。
「フミさん」
「ごめんなさい」
今にも泣きだしそうなケイのセリフを、芙弥が引き取る。これは、完全に芙弥の失態だ。
「ちゃんと説明しておかなきゃいけなかったのに、忘れてて。恐い思いさせちゃって、ごめんなさい」
「私が、魔法使わなかったら」
「ケイちゃんは、何も悪くないよ。魔法禁止だって知らなかったんだもん。ごめんね、はじめに伝えておかなくて」
「いえ」
「早くしないと、暗くなっちゃうね。ケイちゃん、りんご出してくれる? バターとお砂糖で、焼きりんごにしよう。本当は、バニラアイスがあると最高なんだけど。あ、いっぱいつくって、家に持って帰ろうか」
「……いいですね」
明るい調子で言えば、乗じるようにケイも微笑んだ。
「朝ごはんにも、使えるんじゃない? パンにはさんでも、ぜったいおいしいよ。ハムチーズと、焼きりんご。しょっぱいのも、甘いのも食べられる」
「豪華ですね」
せっかくのキャンプで、落ち込んでいてはもったいない。切り替えよう、という言外の提案を、ケイはちゃんと察してくれた。
焼きりんごは完食してしまったし、テントに敷いたエアマットは意外にも寝心地がよく、ごろごろとその感触を堪能した。ランタンで照らされた天幕に影絵をつくって遊び、理想の秘密基地について案を出し合う。シャワーがてら散歩に出れば、懐中電灯に寄ってくる虫や蹴躓く段差にでさえ、ふたりではしゃいだ。
それでも、時折ふと、ケイの表情が翳る。
だから、闇に包まれたテントの中、小さく鼻をすする音が聞こえても、驚きはしなかった。
「ケイちゃん、眠れない?」
そっと呼びかける。逡巡する気配がし、観念したのか「すみません」と彼女はこぼした。
「……私、迷惑かけてばっかりで」
そんなことはない。しかし、否定すれば、ケイが吐露したいものを飲み込ませてしまう気がして、芙弥はただ「迷惑?」とだけ聞き返す。
「私のせいで、フミさんにお仕事休ませて。お金も、いっぱい使わせちゃって。私なんかのために、フミさんいろいろしてくれるのに、なのに、私は余計なことして、そのせいで……っ、あんな、代わりに怒られて」
ごめんなさい。しゃくりあげる背中に、かける言葉が見つからないまま手を伸ばす。
「あんなに魔力を使うつもりじゃなかったんです。だって、どんなに力を込めても、ちょっとしか出なかったのに。学校でも、家でも、練習したけど、全然できなくなっちゃって。なのに、なんで急に、あんないっぱい出てくるの? なんでか、わかんなくて。もう、私、魔法がうまく使えなくて。だから、だから私、お母さんたちにも見放されちゃうんだ……」
くぐもった嘆きは、ひどくか細い。けれど、この深閑とした暗がりでは、さやかなランタンの灯りのように芙弥のもとまで届いた。
「大丈夫って言ってたのに。気にしないで、お仕事がんばってって、言ってたのに。それでも、私、邪魔になっちゃう」
これまで見てきたケイの姿に思いを馳せる。大人びた笑顔、遠慮がちな態度、一緒に食卓を囲み話をするだけで充分だと頬を緩める裏で、抱えてきたもの。杞憂だと断言できるほど、芙弥は彼女のことを知らない。
嗚咽が、やがて寝息に変わるまで、小さな背にトントンと温もりを添えることしかできなかった。
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