アクアリウム
炊き込みご飯に鯖の塩焼き、だし巻き卵、青菜ともやしのナムル、根菜の煮物。
身体に優しいことをしている気分になれるから、
初日は外食だったし、昨日は夕飯の時間に間に合わなかった。家で一緒に食事をするのは初めてだ。どことなくそわそわしながら弁当のふたを開け、はっと思い至る。
この弁当、若い子には地味すぎやしないだろうか。これまで、食べるものについてケイが希望を述べたことがなかったので、気が回らなかった。チキン南蛮とかロコモコ丼とか、もっとパワフルで華やかなメニューがあったのに。
「炊き込みご飯、食べたことあります?」
後悔と反省と、もしかしたら和食派かもしれないという一縷の望みとがない交ぜになった結果、出た言葉がそれだった。なんなの、その質問。我ながら呆れるような問いかけだが、「あります」とケイは素直に首肯する。
「母が、日本食が好きなので。それに、うちは日本の雲が近いから」
「雲?」
「あ、運ぶものっていう……ちがうかな。こっちだと何になるんでしょう。日本と繋がってる場所というか」
「門みたいな?」
「そうです、そんな感じです。門が近いから、日本の食べものも手に入りやすいんです」
「へえ、そうなんだ」
「日持ちするものばかりですけど。だから、昨日みたいなケーキは初めて食べました。おいしかったです」
「ふふ、お口に合ってよかったです」
ケイの口数が多いことに、思わず顔がほころぶ。
同時に、罪悪感が刺激される。やはり、日中ひとりで過ごすのは退屈なのだろう。
なんとかならないかと部長にかけあってみたものの、一笑に付された。有休取得については、しかたない。芙弥も期待はしていなかった。しかし、今週は定時で上がりたいという希望さえも聞き入れてもらえなかった。「自分の仕事が終わってるなら、かまわないけど」と彼は言うが、そもそも芙弥の担当ではない業務を任されたからこうなっているのだ。他の課から担当者を選ぶまでの繋ぎという話だった。目途が立っていないのであればせめて他の人と分担させてほしい。精一杯の芙弥の主張は「考えとくよ」の一言で切り捨てられた。
はああああああ。長く重たい溜め息が漏れる。
「お仕事、大変ですか?」
「……んー、そうですねえ」
気遣うケイの視線に、飛び出しそうになった謝罪をすんでのところで飲み込んだ。彼女がなんと返してくるか、想像に難くない。
「フミさんも、研究職なんですか?」
「いえ、事務職です。どうしてですか?」
あれ、とケイが指したのは、水槽だった。
「両親の仕事場へ行くと、ああいうのを見かけるので」
「あれは、アクアリウムをやってみようかと思って、買ったんです」
「アクアリウム? って、なんですか?」
実際に見せたほうが早いかと、水槽を引き寄せる。水槽と一緒に用意した砂を敷き、人工水草や擬岩を置く。
「この中で泳ぐ魚や、揺れる水草を眺めて、癒されたいなあと思ってたんですけど、なかなか実現できなくて」
不意に、ケイがテーブルの上から何かを取り、両手で握りこんだ。ぽそぽそと呟いた言葉は芙弥の耳まで届かず、聞き返そうとした瞬間、ぽうと青白い光がケイの手を包んだ。彼女の両腕にはめられたリングが、淡く輝いている。
ケイが、水槽の中で両手指を広げると、そこから一匹の魚が放たれた。
「え? ……ええ!?」
白く透きとおった魚は、すいすいと水草の間を泳ぎ回る。
「す、すごい……魔法、だよね? わあ、初めて見ちゃった!」
赤い頭部と黒い斑点は鯉にも似た模様だが、全長は親指ほどの大きさしかない。
「あれ? これって、醤油差し?」
テーブルの上を見れば、弁当のふたに置いてあった魚型の醤油差しが一つ消えていた。
「醤油差しを、魔法で動かしてるの? あ、さっき何か言ってたの、もしかして、呪文? うわあ、本物の魚みたいに泳いでる。すごい。えー、ふしぎ。本当にすごい」
これほど大きな声を出すのは、いつぶりだろうか。自覚はあっても、弾む声を抑えられない。貴重なものが見られたのはもちろん、ケイが自分のために魔法を使ってみせてくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます」
水槽から目を上げれば、まん丸な瞳とぶつかった。
ふにゃり。八の字に下がる眉。小さく口元が緩み、そして。
照れたように、ケイは笑った。
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