第8話 謁見
◇???サイド◇
ルミノアが女神・カナリア様の力で呼び寄せたという強き者たち。
その中でも飛び抜けた強さと、穏やかで心優しい者……
そして、この心にしつこく絡みついてくるこの不安感に、終止符を打ちうる者。
「あと24日後に、彼女は……」
不思議な心地だった。
初めて彼女と出会った時から三年、決して短くなかったこの三年間、ずっと待ち望んでいた日が訪れようとしている。
ずっと待ち遠しかったその日が……
「……怖い。」
その瞬間が近づくにつれて、大きな不安が心を締め付けてきた。鉄の鎖のように重く、イバラのように痛く、もがくことすら許さぬほどにキツく締め付けるその不安は日に日に大きくなって……今ではすっかり、その日が来るという、避けようのない事実に恐怖すら感じるようになってしまった。
24日後、彼女は……
ミレーナは18歳の誕生日を迎え、共和国を出て、俺と共にカナリア王国で……この城で、同じ時を過ごすことが許される。
だからこそ上手くやっていけるか不安で、一つの過ちで関係が壊れてしまうのではないかと思うと、それがひたすらに怖いのだ。
かと言っていつまでも悩んでいるわけにはいかないと思っているところに、部屋の戸をノックする音が聞こえてくる。
「アルバート王子、まもなく彼がご到着されます。」
「……わかった。今向かう。」
しかし、こうして怯えるのも今日で最後になるだろう。
「期待しているよ、オギワラ・カイト。」
◇荻原魁斗サイド◇
朝からシャワーを浴びたのなんて、これが初めてかもしれない。いつもよりもすっきりと目が覚めているような気がする。
(そういえば今まであまり気にしてなかったけど、この世界でも普通に電気やお湯が使えるんだな。)
こんな文字通りのファンタジーな異世界でガス設備が整っているとは考えにくいし、発電所のようなものがあるとも思えない。そもそも、街で電線やガスボンベのようなものを見たことすらない。そういうのもやはり、魔法の力なのだろうか?
……いや、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。
依頼を受けてから10日が経った今日、俺はついに、アルバート王子に謁見することとなった。
三日前にレオンさんから紹介してもらった店で仕立ててもらった服を着て、一度リビングの方へと向かう。ドアを開けるなり、食器を洗っていた楓が俺に気付き、声をかけてきた。
「あ、荻原くん。もう支度終えたの?」
「うん。それで、少し本でも読んで、騎士団の人たちの迎えを待とうと思って。……ミリィとライトは?」
「今は子ども部屋で遊んでるよ。二人とも、この前荻原くんに買ってもらったおもちゃが相当気に入ったみたい。」
その一言に、俺はほっとした。本当に買って良かったと思った。
三日前のこと、仕立てからの帰りで、俺は元いた世界にあったような、組み立てブロックのおもちゃを二人のために買って帰ってきてやったのだ。いくら異世界とはいえ、あの年頃の子どもは自分たちの世界とあまり変わりないようである。
「この頃、ずっとあのおもちゃで遊んでばっかりだよ。」
「そっか。早々に飽きなきゃいいけど……」
「考えづらいんじゃない? 私だって、たまにいとことブロックで遊ぶけど、この歳の割に夢中になっちゃうから。」
「なるほどね。」
楓に対する周囲の印象通りの可愛らしい話だが、妙に説得力があった。考えてみれば、現代にはサンドボックスゲームで建築に夢中になる大人がいるくらいなのだ、組み立てブロックに早々に飽きる幼子がいるとは考えづらい。
「というか佐倉さん、いとこいたんだ。」
「うん。お母さんのお兄さんの子どもたち。一番上は私と同い年なんだけど、歳が離れた弟と妹がいて、お母さんの実家に帰った時はいつも遊んであげるんだ。」
この時俺は、楓のスキルが『慈愛の母神』であることが腑に落ちた。聞いた限りでは、彼女はこの世界に来る前からそのような心構えの一部を有していたと読み取れる。
では、なぜ俺は『狩猟月の雷帝』なのか? その謎は一層深まるばかりだ。
そんなことを考えていたところ、外から馬車の音が聞こえてきた。
「あ、今の音、騎士団の人かな?」
立て続けにノックの音が聞こえてきた。どうやら迎えが来たようだ。
「らしいな。」
おもちゃに夢中で気づかなかったのか、珍しくミリィがいない玄関のドアを開けると、流石王国騎士団と言わんばかりの立派な馬車が玄関先に停まっていた。
「オギワラ・カイトさん、団長の命で迎えに来ました。どうぞ、お乗りください。」
玄関のドアをノックした女性の騎士が俺を誘導する。その声で俺が出てきたことに気がついた馭者が、俺に軽く会釈をした。
「じゃあ佐倉さん、いってきます。ミリィとライトのこと、頼んだよ。」
「うん。いってらっしゃい、荻原くん。気をつけて。」
楓に見送られ、俺は馬車に乗り込んだ。
「一つ、聞きたいことがあります。」
馬車に揺られてしばらく経った頃、女性の騎士がそう問いかけてきた。
「はい。何ですか?」
「アルバート様とお会いになったことはございますか?」
「……え?」
王子に会ったことがあるか? なぜ、わざわざそんなことを聞くのだろうか?
もしかしたら会っていたのかもしれないと考えた俺は、この世界に来た後のことを注意深く思い出す。が、城内に用意されていた部屋で暮らしていた頃や、王城の訓練場を利用している時に会った人たちは、使用人か騎士団の人で、王族どころか、ルミノアさんやステラさんにも、あれ以来、城の中では会ったことはなかった。
「いや、なかったと思います。もし、レオンさんと戦った後の三日間で何かあったのなら別ですが。でも、どうしてそんなことを……?」
「それは……」
彼女が返そうとしたところで、馬車が止まる。
「城に到着致しました。」
「え、ええ……わかりました。では、降りましょうか。」
到着を告げる馭者の声を聞き、騎士はそそくさと降車の支度を始める。その様子は、まるで返答することから逃げるかのようだった。
「足下、気をつけてください。」
「ありがとうございます。あの、さっきの質問の答えなんですけど……」
「それは……じきにわかります。」
「それって、どういう……?」
「やあ、カイトくん。待ってたよ。」
俺が騎士に問い返そうとしたところで、向こうからレオンさんがやって来た。
「レオンさん。」
「たしか、馬車に乗るのは初めてだったよね? 疲れてたり、酔ったりはしてない?」
確かに馬車に乗るのは初めてだったが、疲れや酔いは特に感じない。むしろ、初めての割には快適だったと思う。整備状態や馭者の腕が相当良かったのだろう。
「ええ、大丈夫です。」
「良かった。じゃあ、謁見室に向かおうか。迎えの件、急に頼んで悪かったな、カレン。」
「いえいえ。では、失礼致します。」
そう言い残して、カレンさんは馬車と共に城下へと去って行ってしまった。
結局答えを聞けていないことに気がついたのは、城の中に入ってからのことだった。
「あっ……。」
「カイトくん、どうかした?」
「馬車の中でされた質問の訳を聞きそびれてしまって……。」
「質問って、どんな?」
「それが……」
そして俺は、馬車の中でのカレンさんとの会話の内容をレオンさんに伝えた。
「結局理由は聞けなくて……何か、心当たりはありませんか?」
レオンさんは俺の問いかけに、考える素ぶりも見せずに沈黙し、少ししてため息をつきながら俺に背を向けて一言、
「あのバカ、後で懲罰室行きだな。」
と、小さく溢した。そして、俺の方へ向き直り、説明をしてくれた。
「知られてしまったのなら仕方ない。今回、僕が君を選抜したというのは、実は全くの虚実だ。本当は、王子自ら『君を付けてくれ』と申し出されて、僕はそれを、君たち救世主の訓練の監督官としての立場で承諾しただけに過ぎないんだ。聞かれると思うから先に答えておくけど、王子は一度も君と会ったことがないよ。」
「じゃあ、一体なぜ……?」
「僕も、詳しい事情は知らされていない。」
「そうですか……。」
その決定を承諾したレオンさんも、理由は聞かされていないようだった。
一国の王子ともあろう者が、何かしら特別な事情もないのに、面識すらない相手を護衛に付ける訳はない。ならば、どんな理由で俺を護衛に付けようと思い立ったのだろうか? 少なくとも俺には、思い当たる節など何一つなかった。
でも、レオンさんは違った。
「ただ、思い当たる節なら一つだけあるよ。憶測に過ぎないけど……多分、カエデさんのことだろうね。」
「え……?」
俺がアルバート王子に選ばれた理由が、楓?
突然話に出て来た楓の名前に俺が頭を捻ったのも束の間、突然ハッとした様子でレオンさんが俺の肩を揺らした。
「しまった! カイトくん、今はそんな場合じゃない! 謁見室に急ぐよ!」
それを聞いて、俺もやっと思い出した。
そうだ。俺は今日、アルバート王子との謁見のために城に来たのだった。
「あっ、はい!」
「貴方様が付いていながら、何たる不始末でしょうね、レオナルド団長? 私があの場にいなければ、どうなっていたことか……。」
「面目ない……とんだ手間をかけさせたな、ステラ。」
「よろしいのですよ。こちらこそ、常々より妹がお世話になっておりますので。」
結局俺たちはあの後、城の二階の廊下から窓越しに俺たちの様子を見ていたステラさんに『このままでは間に合わないから』と謁見室の前の扉まで転送してもらったのだった。
「本当に助かりました、ステラさん。ありがとうございます。」
「いいえ、お気になさらず。私は当然のことをしたまでですから。それでは、蔵書の整理がございますので、失礼させていただきます。」
そう残すと、ステラさんは無詠唱の転送魔法を発動させ、姿を消した。
「さて……それじゃあ、中へ入ろうか。」
「そうですね。」
そして、俺たちは扉の前に立った。
「王国騎士団団長、レオナルド・アーウィル。救世主、オギワラ・カイトを連れ、参上致しました。」
「……わかった。入ってくれ。」
扉の先から、聞き覚えのない若い声が返って来た。言うまでもないが、この声の主はアルバート王子だろう。でも、何だか元気がなさそうな声色だった。大丈夫なのだろうか?
「失礼します。」
レオンさんが大きな扉を開け放つ。
偶然か必然か、こちらの世界に転移した日から、ちょうど50日。俺は、あの日以来の謁見室に、再び足を踏み入れる。
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