第20話 戸惑い

「ただいま! 珠美、やったぞ」


 いつもより元気に帰宅した俺に、珠美の表情も嬉しそうになる。


「わふっ! タケルお帰り。良いコトあった?」

「まあな。やっと就職できそうなんだ」

「やった! やったねタケル!」

「おう、お祝いの準備だな」


 また決まっていないのに受かったつもりになる俺だ。しかし、面接の手ごたえはあった。


「入社が決まったら一緒にお祝いしような」

「わふわふっ、一緒にお祝いしたい」


 まるで自分のことのように喜ぶ珠美を見ると、心の底が温かくなるようだ。


 そこで俺は違和感に気付いた。


(あれっ? いつもは抱きついてくるのに、今日はしないんだな。朝はハグしてた気がしたけど……)


 一度気になり始めると、どんどん不安が大きくなってしまう。


(俺……何かしたのかな? もしかして……嫌われたとか? ま、まさかな)


 そんなモヤモヤした感情を抱えながら夕食の準備を始める。


「わふっ、タマミ、タマネギ切る」

「あっ、俺がやろうか?」


 タマネギで目が染みそうなので、俺がやろうと手を伸ばす。


 ちょこっ!


「きゃっ」

「あっ」


 ふと、俺と珠美の手が触れた。珠美はサッと引っ込めてしまうのだが。


「えっと、珠美?」

「ううう~ぅ♡」


 やっぱり珠美の様子がおかしい。うつむいたまま俺と目を合わせようとしない。


「えーと、珠美さん。いつもみたいにギューしてみるか?」


 何を血迷ったのか、俺は珠美の愛情表現を求めてしまった。


「えっ、ダメ。恥ずかしい」


 ガァアアアアアアアアアアーン!


(や、やっぱり嫌われたのか? 今朝までは、あんなにギュッてしてたのに。何でなんだよぉおおおお!)


 タタタタッ!


 動揺する俺を他所に、珠美は本棚に並べてある漫画を取り、大事そうに抱えている。

 確か、あれは先日行ったラーメン屋の帰りに買った少女漫画だ。


 コンビニに寄った時に、珠美が雑誌コーナーにある恋愛系の少女漫画を物欲しそうに見つめていたから、置いてあった5巻まで一緒に買ってあげたのだった。

 日本語の勉強にもなると思って。


(もしかして、少女漫画を読んで恋に芽生えたとか? ないか……。やっぱり反抗期なのかな? とほほ)


 あんなに珠美の抱き着きに困っていたのに、いざ無いと思うと寂しくなってしまう。


(珠美の気持ちを尊重しなきゃだから、しょうがないか。例え珠美が俺のもとから巣立ってしまったとしても……)


 珠美が居ない生活を考えると恐ろしくなってしまう。それほどに、俺の中で珠美の存在が大きくなっているのだ。


 ジィィィィ――


 ふと、珠美が俺を見つめている気がして顔を上げた。


 サッ!


 二人の目が合うと、珠美が目を逸らしてしまった。


「珠美?」

「きゅぅぅ~ん♡」

「どうかしたのか? 珠美」

「な、何でもないよ」


 何でもないはずはないのだが、聞くのも怖い。

 俺たちは、ぎこちない雰囲気のまま食事をするのだった。



 ◆ ◇ ◆



 翌日、俺は藤倉から『相談したい』との連絡を受け、駅前で待ち合わせしていた。

 どうやら会社の方は社長の特別背任事件以来、急速に経営が傾き始め、藤倉は自宅待機になっているようだ。


 そういえば、今日も珠美の様子がおかしくて、何やらずっと少女漫画を読み返している。

 まあ、藤倉が俺一人で来て欲しいと言っているので、ちょうど好都合だったのかもしれないが。


(どうしちゃったんだよ珠美……。いつもは風呂上りに下着が見えまくってたのに、昨夜は恥ずかしがって隠してたし。まあ、それが普通の反応かもしれないけど)


 前が犬っぽかっただけで、今が普通と言えば普通なのだろう。少し寂しい気もするが。



 しばらく待っていると、駅の改札から藤倉が出てくるのが見えた。大胆に脚を出したミニスカート姿だ。


「せんぱぁーい!」

「ふ、藤倉……」


 いつになくセクシーな装いで、つい目を逸らしてしまった。


「どうしたんですか、先輩?」

「えっと、目のやり場に困ると言いますか……」

「よっしゃぁああっ!」


 何故か藤倉がガッツポーズをしている。相変わらず変わった女子だ。


「そ、そうだ、暑いし喫茶店にでも入るか?」

「はい、お供します♡」


 俺が駅前の喫茶店を指さすと、藤倉は嬉しそうな顔で身を乗り出した。


「お、おう。藤倉、何か近いぞ」

「普通ですよぉ」

「そうかな」


 藤倉は俺の肩に少し触れる距離で歩いている。これでは誤解してしまいそうだ。


「きょ、今日は暑いな」

「そうですね、先輩……」


(くっ、珠美の距離が離れたかと思えば、藤倉の距離が近付くとかどうなってんだ? 女心は分からないぜ)


 微妙な感じになりながら、二人並んで喫茶店に入った。



「えっと、それで相談ってのは?」


 窓際のテーブルに向かい合って座っている俺は、それとなく藤倉に話しかけてみた。


「そ、そうですね……あ、あの……」


 おかしい。藤倉の様子がおかしい。

 さっきからうつむいて顔を赤くしているのだが。


「そ、そうだ、粕田と社長が逮捕されたようだな」


 重い沈黙を破るように、俺はクズ上司の話を振ってみた。


「あ、はい! そうですよ! 粕田が逮捕されて」

「そうそう、ホントクズだよな」

「あはは」

「ははは」


 すぐに話は途切れてしまう。前はあんなにクズ上司の話で盛り上がっていたのに。


「あ、あの、先輩……」


 注文したコーヒーフロートのストローを掻き混ぜながら、藤倉は思い詰めたような表情で話し始めた。


「先輩は私の恩人です。あの時も、粕田に強く迫られて……私は行ってしまうところでした。私って、普段はこんなすけど、言葉や態度が暴力的な人は苦手なんですよ。粕田に強く迫られて、断れずにいたのです」


「うん」


「でも、犬飼先輩が止めに入ってくれて、私、本当に嬉しかったんですよ。暴力的で強引な男性が多い中で、先輩は優しくて紳士的だって思ってまして」


「はは、藤倉は俺を買いかぶり過ぎだよ。俺は平凡な男だ」


 あの時は、目の前で新入社員が粕田の毒牙にかけられるのが見ていられなかったんだ。

 悪い奴が立場や上下関係を利用して人を食い物にするのがな。

 結果的に藤倉が助かったのなら良かった。


「そ、それでですね……わ、私は……男性が苦手だったのですが……。せ、せせせ、先輩は怖くないと言いますか……」


 藤倉の緊張が一気に増した。


「せ、せせ、先輩!」

「おう……」

「あ、あのですね! わた、私……」

「うん」

「せ、先輩が好きです!」

「ええっ!」


 予期せぬ告白をされ、俺はアイスコーヒーを持ったまま固まってしまう。


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