第16話 申請
俺と珠美が狭い自室で朝食を食べていると、テレビから衝撃的なニュースが流れてきた。
『昨日、株式会社〇〇の取締役社長、
「ブファァァァアアッ!」
飲んでいたコーヒーを盛大に吹いてしまい、珠美に笑われてしまう。
「タケル、面白い! ブフォァーって」
「珠美、真似しちゃダメだよ」
「ブファァアア」
「こらこら」
コーヒーを吹こうとしてる珠美を止めていると、テレビからは記者に囲まれて文句を言っている社長の声が流れてきた。
『ワシを誰だと思っておる! 経営者で上級国民だぞ! ワシは貴様らとは違うのだよ! ワシのような上流階級の人間は、愛人を何人も作ったり会社の金を私的に使ったりは許されるなずなのだ! ガハハッ!』
アホなのか? あの社長はアホなのか? 記者に暴言を吐きまくり
これにはスタジオのコメンテーターから
『えっ、これは本気で仰っているのですかね? 本気だったら相当問題だと思いますが』
『国民を舐めるのもいい加減にしろって感じですよね』
『会社の金は俺の物、俺の金も俺の物って理論でしょうか?』
『ふざけてますね。これは首相が悪いんですよ。早急に辞任してほしいですね」
良いネタを仕入れたとばかりに、スタジオは盛り上がる。
「何やってるんだよ、あの社長は……。前からクズだと思ってたけど、ここまでクズだったとは。これじゃ俺が元社員なのも恥ずかしいぞ」
愚痴をこぼしていると、続くニュースで更に衝撃を受けることになるとは思いもしなかった。
『はい、次のニュースです。元部下の女性に酒を飲ませホテルに連れ込み暴行したとして、会社員の男を不同意わいせつ罪の疑いで逮捕しました。男は会社員、
「ブファァァァアアッ!」
再びコーヒーを吹くなんて誰も予想していなかった。偶然にも元勤務先の奴が二人も同時に逮捕されるだなんて。
テレビでは、『俺に好意があると思った。部下なら俺にサービスしてスッキリさせるのは当然だ』や『グヘヘ、裸でヘソ踊りするんだよぉ』などと、粕田の恥ずかしい供述や捜査内容がセンセーショナルに取り上げられている。
『上司の立場を利用して犯行に及ぶなんて最低ですね』
『うら若い娘に裸ヘソ踊りさせるとか変態ですか』
『許せませんね。刑務所でキッチリ罪を償ってもらいましょう』
『これも首相のせいですね。きっと経済問題が原因です』
これにもコメンテーターが一斉に批判の声を上げる。
それにしても、最後のコメンテーターはブレていない。さり気なく……いや、全くさり気なくないがブチ込んでいる。放送事故じゃなかった。
テレビには粕田のニヤケ顔が大きく映し出されている。見ているだけでも腹が立つ嫌な顔だ。
粕田のクズには全く同情しないが、こんなクソ男が身内な家族はさぞ恥ずかしいことだろう。
「おいおい、粕田はクズだと思ってたが、本当にドクズだったんだな。何が裸でヘソ踊りだよ」
(ほんとクソだな! 俺は他人の尊厳を平気で踏みにじる奴は大嫌いなんだ。粕田のようなクズには、なるべく長く刑務所の中に入っていてもらおう)
心の中で毒づきながら、藤倉が被害に遭わなくて安堵した。あのまま飲ミュニケーションとやらに付き合わされていたら危なかっただろう。
◆ ◇ ◆
朝食を食べ終え片づけると、珠美が俺に抱きつきじゃれてきた。
「わふっ、わふっ、タケル、遊ぼう」
「よしよしよしよし」
わしゃわしゃわしゃ――
「わふぅ♡」
髪をわしゃわしゃと撫でてやると、珠美は大喜びする。
(珠美……いまだに珠美が、あの時のゴールデンレトリバーだったなんて信じられないよ。でも、俺は現実に見たんだ。そうなると、珠美への愛着がどんどん膨らんでゆく。止められないほどに)
しかし俺は、珠美を抱っこしながら自分に言い聞かせる。
(ダメだ! 珠美のそれは恋愛じゃない。飼い主に対する愛情なんだ。俺が一時の感情に任せて珠美を抱いたりしたら、俺は俺を許せなくなる。珠美が本当の恋愛を知るまでは、絶対に手を出さないぞ)
無邪気にじゃれてくる珠美を離すと、俺は表情を引き締めて言った。
「珠美、今日は真面目な用事があるんだ」
「わふっ、真面目?」
「そうだぞ。珠美の戸籍を作る相談に行くんだ」
ネットで調べただけだが、どうやら無戸籍の人間の相談窓口があるようなのだ。
今日は役所に出向き、戸籍を作れないか相談に行こうと思う。
役所の人間に異世界転生と説明しても信じてもらえないので、珠美は記憶喪失で、日本人男性と外国人女性の間に生まれた記憶だけ薄っすらあると説明するつもりだ。
このまま黙ってずっと一緒に居たいが、もし珠美が警察に職務質問でもされたらヤバい状況になってしまう。
「いいか、珠美。役所の人にこう言うんだぞ」
「わふっわふっ」
「記憶喪失」
「魔力消失」
「かなり不安だ……」
一抹の不安を抱えながら、俺たちは役所へと向かった。
◆ ◇ ◆
「犬飼様、お待たせいたしました」
係りの者が俺の名を呼ぶ。何度か窓口を回されて、やっと担当者に辿り着いたのだ。
「はい」
「こちらにどうぞ」
珠美と二人でカウンターの椅子に座り、気難しそうな顔の担当者と相対した。
「本日はどのような用件で?」
銀縁の眼鏡を光らせる女性担当者に、俺はあらかじめ決めていた話をする。
「――――という訳でして。この珠美に就籍許可をいただきたいのです」
一気に話し終えた俺は一息つく。
担当者は、無言で相槌を打ちながら話を聞き終えると、書類を眺め始めた。
世の中には様々な理由で
記憶喪失だったり、戦争により残留孤児となったり、不法滞在の外国人との間にできた子だったり、元夫のDVなどにより出生届を出されていなかったり。
普段、何も気にせず暮らしている戸籍のある者には分からない世界だ。
かくいう俺もネットで調べて知ったのだが。
「なるほど……そちらの珠美様は、外国人の母親との間に生まれた方で、記憶喪失になり、気付いた時には路上で座り込んでいたと……」
ペラペラと書類を見ながら担当者が言う。
「はい、なぜ自分がそこに居たのか分からないようなのですが、うっすらと母親の記憶だけは覚えたいたようでして」
「わふっわふっ、タケルの言う通り」
念を押すように俺が言うと、珠美が首を縦に振りながら同意する。
(偉いぞ珠美、異世界転生とか魔法の話を出さなくて。うっかり転生の話をしても、役所は信じてくれないからな)
計画通りに行っているはずなのだが、担当者の顔はハッキリしない。さっきから書類を眺めて渋い顔をしているだけだ。
「えー、この話が正しければ法務局に各種書類を提出し、家庭裁判所で就籍の申し立てをすることになります」
そこまで話してから担当者は俺の顔を見た。
「保護者の方は貴方ですか……」
そう言って
その顔の意味を、後で俺は知ることになるのだが。
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