第8話 サ〇ゼで喜ぶわんこ

『犬飼様の応募書類をもとに社内で慎重に検討しました結果、誠に残念ながら今回はご期待に沿えない結果となりました――――』


『今回はご縁が無かったものとして、どうかご了承くださいますようお願い申し上げます――――』


 世の中は無情である。


 俺のスマホに不採用メールが届いた。しかも立て続けに。

 何社か履歴書を送ってみたのだが、結果はこの通り面接することもなく不採用である。ニュースで報道している人手不足とは何だったのか。


「ぐっ、また不採用かよ……。自己肯定感がゴリゴリ削られるぜ」


 愚痴ぐちを言いたくなるのも仕方ない。人は他者から必要とされることで承認欲求が満たされるという。

 こう何度も不採用通知が来たのでは、まるで自分は要らない人間なのではとマイナス思考に陥ってしまいがちなのだ。


「タケル、どうしたの? 体調悪い?」


 心配そうな顔になった珠美が話しかけてきた。


 出会ったばかりの頃はカタコトだったのに、ここ数日で見違えるように話せるようになった。

 もう小学校高学年レベルの読み書きはできそうだ。


「何でもないよ」

「何でもなくないよ。タケル悲しそう」


 透き通るような純粋な瞳で俺をジッと見つめる珠美。その顔には、全く悪意も欺瞞ぎまんも存在せず、ただ素直な善意だけが見て取れる。


「ははっ、珠美には誤魔化せないか。仕事の求人に落ちたんだよ」

「落ちたの?」

「俺は要らないってことなんだ」

「要らなくないよ! タケルは必要な人」


 珠美が真剣な顔になった。


「タケルは良い人だよ。タマミのこと助けてくれた。迷子の女の子も助けたよ。優しいし、美味しいごはんも作れる。タマミの大切なご主人様」


「そ、そうだよな。珠美は俺のことを必要としてくれているんだよな。ありがとうな」


(珠美と話していると元気が出てくるぞ。折れそうな俺の心を勇気づけてくれる。なんて良い子なんだ)


 ナデナデナデナデ――

「わふぅ」


 頭を撫でてやると、珠美が気持ち良さそうな顔をする。もし尻尾が付いていたとしたら、大きく振っていたはずだ。


「そうだな、たまには気分転換で出掛けよう。昼飯はファミレスにでも行くか」

「行くぅううっ! わふっ」

「珠美、ファミレスって分かってるか?」

「ファミリーレスリングぅ」

「おしい」


 レスリングと聞いて気合を入れたくなってしまうが、俺たちが向かう先はレストランだ。

 無邪気にはしゃぐ珠美を連れ、安くて美味しいと噂のファミレスに向かった。



 ◆ ◇ ◆



 平日昼間なのに店内は込み合っているようだ。ちょうど昼時に当たったからだろうか。

 俺たちは、一つだけ空いていた奥のテーブル席に通される。


「わふっ、美味しそう。プリ……ン?」


 珠美がメニュー表を食い入るように見ている。デザートの部分を。


「甘いのも一つなら注文して良いぞ」

「やったぁやったぁ! タマミこれにする」


 料理と一緒に珠美が指差したプリンとティラミスが乗ったのも注文しておいた。


(ふふっ、あんなに喜んで可愛いな。これじゃ、何だかデートみたいだ。まあ、デートで安いファミレスに連れて行くのも何だが)



 テーブルに並んだピザやパスタに、珠美は涎を垂らしそうな顔で見つめている。もしかして、『よし』と言わないと食べないのは御主人様と慕う俺への配慮だろうか。

 本当に犬のようだ。


「食べて良いぞ」

「いただきます! あむっ、あむっ」

「慌てて喉に詰まらせるなよ」

「わふっ、大丈夫」


 言葉はカタコトではなくなってきたのに、フォークの握り方は以前と同じで手をグーにしている。


「美味しいねっ」


 満面の笑顔で言った珠美に、俺は感慨深い気持ちになってしまう。


「ぐはっ、サ〇ゼで喜ぶ彼女って現実にいたんだ。都市伝説じゃなかったんだ。俺は感激したぜ……」


 もうバブルの昭和は遠くなりにけりなのだが、いまだに男が女を高い店に連れて行くという風潮が根強い。デート代は男が全部奢るという暗黙のルールも残っているのだ。


 そんな俺たちだが、案の定カップルに見えているのか、隣のテーブルの女性グループから噂する声が聞えてきた。


「ねえねえ、隣のカップルってデートよね?」

「彼女を安いファミレスに連れてくってどうなのよ」

「それ! デート代をケチる男って最低よね」

「最近の若い男は甲斐性が無いのよ」


 盛り上がっているところ悪いが、彼女たちの声は全部聞こえている。

 俺はカルボナーラを食べながら聞き流した。


 仕方がないだろう。こちとら失業中の身だ。貯金を切り崩して生活しているのだから、派手な散財は控えたいのである。


「貧乏な男はナイわぁ」

「女をデートに誘うなら、最低でも星付きか回らない寿司屋よね」

「車は当然持ってて、年収は一千万以上でしょ!」

「「「だよねぇええ!」」」


 益々ヒートアップしたのか、もう大きな声で笑いながら話している。年収一千万というフレーズは、どうなのだろうと思うところなのだが。


(くっ! 以前なら年収一千万以上希望のところで『ありえねえ』とツッコんでいたところだが、今の俺は無職だから何も言えねえ……)


 そんなことを考えていると、珠美が興味を示してしまったのか、身を乗り出して女子会に加わってしまった。


「お姉さん、この料理美味しいね」


 女子会メンバーが、面白くなさそうな顔をする。


「えっ、誰よあんた……」

「いきなり何なの?」

「わたしタマミだよ」


 普通に名前を答えた珠美に、女性たちはあからさまに見下す表情になった。


「いや、名前じゃなくてさ……」

「何か用なの?」


 困惑する女性たちとは対照的に、珠美は無邪気な顔だ。


「この料理、すごく美味しいよ。お姉さんたちの言ってる、星付きってお店は、もっと美味しいの?」


 珠美は純粋に星付きの店が気になるだけのようなのだが。


「そりゃ高い店なんだから美味しいわよ」

「デートでファミレスなんてアリエナイから」

「あんた、安い店ばかり連れて行かれてるから知らないんでしょ」


 珠美が首を傾げた。


「そうなの? タマミは、このお店が好きだよ。タケルと一緒ならどこでも楽しいよ」


 思い通りにならない珠美に、女性たちの眉間みけんがピクピクする。


「なに言ってんのよ。男が奢らなきゃ意味無いでしょ」

「そうよそうよ。女の価値は、どんだけ男が金を使ったかなのよ」


「わふぅ? お金をたくさん使うより、一緒に楽しいコトした方が良いよ」


 無邪気な顔でそう言われ、女性たちが怯んだ。しかし、負けじと立ち向かうようだ。


「お、男の価値は年収でしょ! 最低八百万、やっぱ一千万以上が理想なのよ!」


「そうなの? お姉さんは、年収……? はいくらなの?」


「えっ、あのっ、えっと……私の年収なんてどうでも良いでしょ!」


 珠美に悪気は無いのだが、どうやら女性たちに余計なことを言ってしまったようだ。


「腹立つガキね!」

「でも、学生時代を思い出すわ」

「あの頃は金じゃなく、好きかどうかだったのにね」

「そうそう、サッカー部の風間君素敵だったわよね」

「それそれ」


 途中から流れが変わってしまった。

 女性たちがノスタルジックな気持ちになったのか、初恋っぽい話で盛り上がっている。


「はぁ……あの頃は良かったわね」

「いつから金のことばかり気にするようになったのかしら」

「やっぱり愛よね」

「愛されたいわぁ」


 すっかり珠美に毒気を抜かれてしまったのか、女性たちの話が180度変わってしまった。

 珠美には人を浄化する能力でもあるのだろうか。


(そろそろ俺が止めに入るとするか)


「おい、珠美、そのへんで」


 とりあえず珠美を席に戻した。


「何なのよもうっ!」

「玉の輿こしを夢見たって良いでしょ!」

「そうよ、男だって若い子が好きでしょ」

「それよ!」


 珠美への対応は良くなったのに、相変わらず俺には厳しいようだ。


「で、ですよね。そんなの人の自由ですよね」


 俺の言葉を最後まで聞かずに女性グループは出て行ってしまった。

 キョトンとした顔の珠美が手を振って見送っている。


(くっ、年収一千万なんてメチャクチャ大変なんじゃぁああああ! ふぅ、言ってやったぜ。心の中でだがな)


 俺が非建設的な心の叫びをしていると、珠美が顔を覗き込んできた。


「わふっ、タマミ、なにか間違えた?」


「珠美は何も間違ってないぞ。間違ってるのは世知辛い世の中だからな」


 昨今の男女関係を嘆いても仕方ない。格差が広がり生活が厳しくなったり、SNSの発展で他者と比べてしまう現代社会では、皆少しでも良い条件を求めてしまうものだからだ。


「ふふふっ、ちょっとスッキリしたよ。ありがとう珠美」

「わふぅ、タマミえらい?」

「えらいえらい」


 ナデナデナデナデ――


「ふへぇ♡」


 嬉しそうな珠美の顔を見ていると、心の中が洗われていくようだ。まるで愛犬と戯れているかのように。


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