第2話 会社をクビになったら美少女を拾いました

 今日は久々に酒を飲んだ。


 酒は好きな方ではないのだが、久しぶりに飲みたい気分だったのだ。


 何故か後輩の藤倉が「先輩、私もご一緒しても良いですか」などと言ってきたのだが、それは丁重に断った。

 恋人同士でもない男女が一緒に酒を飲むなど、勘違いでも起こしたら厄介やっかいだからだ。


 藤倉は可愛いのだからモテるはずだろう。無用なトラブルはご免である。



「クソッ! ツイてねぇな。この五年間、ブラック企業で食いつぶされて私生活も滅茶苦茶だ。仕事ばかりで彼女もできやしなかった……」


 一人で飲んだ居酒屋を出た俺は、何も無い空に向かってつぶやいた。




 俺は社長室でのやりとりを思い出す――――


 粕田かすだのセクハラ騒動の後、俺は社長室に向かい退職の意向を伝えたのだ。


『一身上の都合で退職いたします。退職届は後日――』

『あのねぇ、キミ』


 俺の話を途中で遮って社長が話し始めた。


『こっちは人手不足で忙しいのだよ。そんな簡単に辞められたら困るんだけどね。まったく最近の若造は根性が無い。次から次へと辞めたい辞めたいってね。社員たるもの滅私奉公めっしほうこうの精神で、時間外も休日も寝る間も惜しんで無給で仕事をするべきだと思うぞ』


『は?』


 あの粕田もクズだが、この社長も相当なクズだ。


 社員はサービス残業で酷使させながら、自分は会社の経費で愛人を作って遊び惚けている。

 これだけ社員が相次いで退職しているのに、労働基準法を完全に無視した違法状態を改善しようとも思わないのだ。


『そんなんじゃ社会人として務まらないよ。何処に行っても役に立たない。社会人失格だよ。親御さんの顔が見たいねぇ。どういう教育をされてきたのか。社員たるもの会社の為に命を懸けて尽くすべきだよ。ほら、24時間サービス残業できますかってね』


『あの、退職日と有給休暇の件ですが――』


『ああーっ! ダメダメ。有給なんて取れると思ってるの? 馬鹿だねぇ。うちでは辞める社員に有休も賞与も出さないんだよね。何で辞める人間に金を払わねばならんのか。そんな金があったら高級クラブに飲みに行くよ。ガハハッ!』


『ですが法律で有給休暇の取得は決められていますが。これまで一日も有給を使っていませんので、何十日も溜まっているはずです』


『うちの会社は有給は取らせないんだよ! 全く失礼な若造だなキミは! もう明日から来なくて良いよ。キミは今日で退職ね。ほら、邪魔だ、早く出ていきなさい! シッシッ!』



 こんな状況で、今日が最後の出社日となった。粕田かすだが証拠を捏造するまでもなくクビになったのだ――――




 思い出しただけでも腹が立つ。


「クソッ! 今まで真面目に働いてきた結果がコレかよ。やりきれないな。所詮しょせん、世の中は悪い奴が得をして真面目に働いた奴は損をするんだ」


 しゃべり過ぎたのか、喉が渇いた俺は帰り道の途中でコンビニに寄った。



「あれっ? コンビニの入り口近くのポールに犬がいるぞ。可愛いな」


 入り口横のポールに犬のリードが引っかけてある。飼い主が買い物中で待たせてあるのだろう。


「くぅ~ん」


 その犬が、俺を見るなりすがるような目で鼻を鳴らした。


「大きい犬だな。ゴールデンレトリバーかな? 利口そうな顔をしているじゃないか」


「くぅ~ん」


「あれっ、何か毛並みが悪いな。ちゃんと食べてるのか? ちょっと痩せてるみたいだし」


「ワフッ、ワフッ」


 その犬が甘えるように俺に寄ってきた。


「よーし、よしよし。良い子だな。もっとたくさん食べて大きくなれよ。よしよしよし」


「くぅんくぅん」


 頭を撫でてやると嬉しそうな顔をして俺を見つめる。


(犬か……やっぱり可愛いな。また飼いたいけど今のアパートはペット禁止だしな……)


 俺は子供の頃を思い出していた――――


 子供の頃、実家では雑種の犬を飼っていた。俺に懐いていてとても可愛かった。


 だが、俺が高校に入学したと同時に死んでしまったのだ。寿命だった。

 その時に誓ったのだ。こんな悲しい思いをするのなら二度と犬は飼わないと。


「懐かしいな。こんな可愛い犬と暮らせたら楽しいだろうな。ははっ、あの時は二度と飼わないって決めたのに、また犬が飼いたくなってるんだから。まあ、こんな都会で失業者が大型犬を飼えるわけないか」



 その時だった、コンビニの入り口ドアが開いたと同時に、まるで雷のような怒声が降りかかってきたのだ。


「ちょっとアンタ! なに勝手にアタシの犬を触ってるんだい!」


 俺は慌てて犬の頭を撫でている手を退けると、声のする方を向いた。そこには意地の悪そうな顔の女が立っている。


「あっ、すみません。可愛い犬だったから。あなたのワンちゃんですか?」


 勝手に触ったのだから仕方がない。俺はトラブルを避けるよう、低姿勢で話しかける。


「はあ? アンタには関係無いでしょ! ほら、行くよ!」


 バシッ!

「きゅーん……」


 その女はポールからリードを外す時に、犬の頭を叩いたのだ。


「お、おい! 何するんだ! 犬を叩くのは虐待だろ」


「うっさいわね! アタシの犬にアタシが何しようと勝手でしょ! コレはアタシの道具なのよ! それ以上アタシに絡んでくるのなら警察呼ぶわよ! アハハっ!」


 最悪の飼い主だ。今日はなんて日だ、クソみたいな人間にばかり会ってしまう。


「くっ、くそっ」

「ああぁん! 何か言ったかい?」

「お、おい、ちゃんとエサはやってるのか? 毛並みも――」

「うるさいって言ってんでしょがぁああ! アタシの勝手でしょ!」

「なんだと……」


 暴言を吐きまくる飼い主に、その犬は悲しそうな顔をする。


「くぅ~ん、くぅ~ん……」


 リードを引っ張って連れて行かれる犬が、何度も俺の方を振り向く。悲しそうな顔で、俺に何かを訴えかけるように。

 もし許されるのなら、今すぐ飼い主の女を張り倒し、犬を連れ去りたいくらいだ。


「おい、せめてちゃんとエサをやれよ。犬も大切な命なんだぞ。飼い主に虐待されたら、どんなに悲しい思いをするか……」


「うっさいって言ってんでしょーがぁああ! アタシに指図するんじゃないわよ!」


 ピピピピ――トゥルルルル!


「あ、もしもし、警察ですか? 変な男に絡まれてましてぇ。すぐ来てくださぁい」


 その性格の悪そうな女は、俺をにらみつけ罵声ばせいを浴びせながら電話をかけ始めた。

 そして、すぐに駆け付けた警察に、俺は職務質問を受けることになる。



「だから俺は何もしていないんですよ。その女性が犬を虐待して……」

「あー、そういうのは関係無いから」

「関係無くはないだろ! 注意したら嫌がらせで通報されたんだよ」

「あー、警察も暇じゃないんだからね。当事者同士で話し合ってね」

「おい、どういうことだよ……」


 俺が職質を受けている間に、飼い主の女は勝手に帰ってしまう。


「まったくこの駄犬ときたら、ろくに金儲けもできやしない。動画サイトウィーチューブに犬の動画を上げたら金儲けできるって聞いたから高い金出して買ったのに。全く再生数が伸びないじゃないの! この犬が芸の一つもできないのが悪いのよ!」


 耳を疑うような怒鳴り声を上げながら女が通りを曲がって行った。その犬を無理やり引っ張りながら。


「待ってくれ、お巡りさん! あの女が虐待を!」

「あー、まだ話が終わってないから」

「おかしいだろ! 悪いのはあの女の方なんだ!」


 こうして俺は、無実なのに警官に説教される羽目になる。横柄な態度の警官が長話をしているうちに、女は犬を連れ何処かに消えてしまった。



「道具……あの女、道具って言ったよな。ペットを金儲け目的で買ったのか。確かに動画サイトで稼ぐ人はいるけど、それは愛情をもって育てるのが最低条件だろ。クソッ! ちゃんと餌をあげてるのかよ……」


 アパートへの帰り道を歩きながら、俺はあの犬のことが忘れられない。ちゃんと食べさせてもらっているのだろうか、虐待はされてないだろうかと。



 ◆ ◇ ◆



 それから数日――――


 俺はネットで職探しをしながら、送られてきた離職票を持って職安にも赴いた。


 無機質で事務的な窓口担当者から説明を受け、無意味に長い手続きを終えると俺は溜め息をつく。


「ふうっ……何だか肩身が狭いな……。気のせいか世間の目が冷たいような……」



 買い物を済ませてから帰路につくと、すでに日は傾き辺りは薄暗くなっていた。


「さて、明日からどうしようか……? もう会社に行かなくて良いと思うと胃の奥の重みがスッと楽になった気がするけど。いつまでもこのままでは……」


 ブラック企業やクソ上司とサヨナラしたのは良いが、早く再就職しなければ生活が立ち行かない。


「はあっ、そういえば……あの犬はどうなったんだろう。何故かあの時の犬が頭から離れない。元気にしているだろうか……できるのなら、あんな飼い主じゃなく、もっと優しい人に飼われたら良いのにな……」


 そんな独り言をつぶやきながら角を曲がると、そこで俺は信じられない光景を見てしまう。


「えっ、ひ、人? 人が……裸で……は、裸だと! いやいやいや、そんな場合じゃない。助けないと」


 突然の事態に、俺の思考回路がショートしたのだろうか? 電柱の横に座り込んでいる裸の少女を見て、俺は場違いなつぶやきをしてしまう。


「くぅ~ん」


 すがる様な目で真っ直ぐ俺を見てそう言った少女から、俺は視線を外すことができなくなってしまった。


 この瞬間、俺は出会ってしまったのだ。

 運命とも呼べる存在に。


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