第1話 ブラック企業のクズどもから追放される俺

 その日、俺は電柱の横に座っている裸の女の子と出会った。


 サラサラでモフモフのライトブラウンの髪に、クリっと大きく綺麗な瞳をしている。白く艶めかしい体をひざで隠すように、体を丸めて身を潜めていた。


 その瞳は、まるで捨てられた子犬のようにキラキラと涙でうるみ、真っ直ぐに俺を見つめている。


「あ、あなたが……ご、ごしゅじんさまなの?」


 カタコトでそう問いかけながら、彼女の目はすがるように真っ直ぐ俺を見つめる。


 そう、俺は出会ってしまったのだ。


 どん底で苦しむ俺を救う天使に。全てを許し、全てを肯定するわんこ系彼女に。


 ――――――――――――




 少し時間はさかのぼる――――




 世の中はクソである。


 俺は犬飼いぬかい武流たける、ブラック企業に勤めるしがないサラリーマンだ。


 入社して五年目となる俺だが、すでに心は死にかけていた。入社当時は夢と希望に満ち溢れ社会人となったはずが、度重なる上司のパワハラと深夜までのサービス残業に明日あすへの希望さえ失ってしまったのだ。



「おいぃぃい、犬飼ぃぃ!」


 不快な声で俺を呼ぶ男がいる。


 上司の粕田かすだ龍一たついち、五十代手前で性格の悪そうな顔をした男だ。

 大学時代にアメフトをやっていたとかで、ガタイが良く声がデカく、怒声と根性論で部下を従わせようとする。端的に言ってクズである。


「おい犬飼! 早く来ぉおおおぉい! 俺が命令したら10秒以内に来るのが後輩ってもんだろが、バカ野郎!」


「はい、何でしょうか?」


 この男には何を言っても無駄だ。脳が筋肉でできているのだろう。


「お前、この前頼んた書類が違ってるじゃねーか! どうなってんだコラ!」


「その仕様につきましては、先週、粕田課長からこのように変更しろと言われたのですが」


 自分で言った内容も忘れているとは、コイツの記憶力はミジンコ並みか?


「あ、ヤベっ、忘れてた……な、何だとゴラっ! 言い訳か? ああぁん。その時は変更する気分だったんだよ! その後はやっぱり元に戻そうと思ってだな。お、お前も部下なら上司の頭の中を察して戻しておくべきじゃあねえのかよ! まったく使えねえ男だな。チッ!」


「察しろと言われましても、口で説明してくれませんと、他人の頭の中まで分かりませんので」


「はああ! お前はそんなことも分からんのか! 俺の時代は部活でも監督や先輩の心を察して先に行動するもんだったんだ。ああぁ、ヤダヤダ。これだから若けぇヤツは使えねえんだよ。昔は先輩に口答えしたらタックルサンドバッグ十回だぞコラ。殴らねえだけ有難いと思えよカス!」



 使えないだのカスなのと言われているが、実は社内システムを組んだのは俺なのだ。


 IT化が叫ばれる世の中で、いまだに紙とハンコとFAXを駆使したアナログ体質の会社を見兼ね、俺が自らシステムを作り効率化を果たしたのである。


 俺のシステムによって自動化と効率化が図られ、格段に仕事の効率はアップしている。社外に頼めば軽く数千万以上はするはずだ。


 だが、この上司を始め会社の幹部たちはパソコンやITにうとく、この恩恵を全く理解していない。


 この粕田に至ってはパワポやワードで文書も作れないていたらくさだ。こいつの書類は俺が代わりに作らされている。



「いいから早く作り直せ! テメェは社会常識もねぇのか低能お荷物社員がよ! お前みたいな低能男は、一生そんな調子で女もモノにできず死んで行くんだろうな。ガハハッ! ったく、俺の手を煩わせるな! チッ! 俺は忙しいんだぞコラ!」


「はい……」


(何が忙しいだコイツは。いつも暇そうに新聞や雑誌を読んだり、覚えたてのネットサーフィンで遊んでいるだけだろうが)


 俺は喉まで出かかった言葉を飲み込み席に戻った。


 この調子で毎日のように罵声を浴びせかけられ、俺のメンタルは最悪だ。会社に出勤する時には、胃がキリキリと傷み胸の奥が苦しくなる。



 カタカタカタカタ――


 俺が手早く仕様変更していると、暇そうにしていた粕田が新入社員の女子にセクハラをし始めた。


咲那さなちゃん、調子はどうだい」

 ポンッ!


「きゃっ、あ、あの課長……」


 藤倉ふじくら咲那さな、まだ初々しさの残る新入社員だ。突然粕田に肩を掴まれオロオロしている。


咲那さなちゃん、仕事頑張ってるかい? 今日も良い匂いだね。うーん、シャンプー変えたのかな? すーはー」


「あ、あの、やめてください」


「やめてなんて言われると、オジサン余計に燃えちゃうぞお。実は咲那ちゃんって俺に気があるね? ぐへっ、良い店を見つけたんだよ。今夜一杯どうだい? ほら、飲ミュニケーションって言うじゃないかあ」


「い、いえ、今夜は用事がありまして……」


「んああぁ、用事だとお! 上司に飲みに誘われて断るなんて社会人失格だろ! 俺の若けぇ頃はな、上司に誘われたら喜んで朝まで付き合ったもんだ。上司が『脱げ!』って言ったら裸でヘソ踊りするんだよ! 咲那さなちゃんも裸で踊るんだよ。ぐへへっ」



 この男の頭はどうなっているんだ? 今時、こんなセクハラは犯罪だぞ。


 こうやって毎年入った新入社員をセクハラとパワハラで追い込んで辞めさせてしまう。しかしこの男は反省するどころか、口を開けば『最近の若いもんは根性が無ぇ』とほざいている。

 どうしようもない社会のゴミだ。



「ほら、咲那さなちゃん。酔って終電無くなったら泊まれば良いだろ。オジサン何もしないからさ。それとも……上司の命令が聞けねえってのかオイッ!」


「ひっ、す、すす、すみません……」



 藤倉は気の弱そうな女性だ。恐怖で過呼吸気味になってしまっている。


 強面の粕田は、相手が断れないのを承知で迫っているのだろう。目上や強い相手には媚びへつらい、部下や弱い相手には恫喝どうかつする。そういう男だ。


(クソッ! 上下関係を利用し人の弱みにつけ込むクズが! 酔わせてから強引にホテルに連れ込む気だな。俺はコイツみたいな男が大嫌いなんだ。もう我慢の限界だ。このパワハラ上司も、人を道具のように使い潰すブラック企業も、見て見ぬふりする同僚たちも)


 ガタッ!

 俺の体は勝手に動いていた。


「粕田課長、それセクハラですよ。やめてください」


 俺の声を受けて粕田が血走った目で睨んできた。


「おい……犬飼ぃぃい。お前、誰に口を利いてんだコラっ! ああぁん! 誰に口を利いてんだって言ってんだよ!」


 俺は藤倉を守るように間に入った。すると震えている彼女が俺の背中に手を置いて隠れる。


「犬飼さん……」

「大丈夫だから。俺に任せて」

「は、はい」


 俺に良いところを持っていかれたとでも思っているのか、粕田の顔が茹でダコのように怒りで真っ赤になった。


「ああああっ! 馬鹿野郎っ! 貴様はクビだ! 出ていけ! 使えねえ若造のくせにデカい態度とりやがってよぉ。この俺が根性を鍛えてやろうと指導してやったのに、まるで仕事ができやしねえ。お前は役立たずのゴミだ! 存在価値が無ぇ!」


(コイツは馬鹿か? 何回俺が、この使えない上司の尻ぬぐいをしてやったと思ってるんだ。この無神経な男が顧客を怒らせてしまい、何度も俺が謝罪に行って話をまとめてきたというのに。底なしの無能か?)


 このクズ上司に嫌気がさした俺は言ってやった。


「はい、私も残業手当が出ない会社を辞めて転職しようと思っていましたので。これで粕田課長の顔を見ないと思うと清々します」


「な、なな、何だとゴロォァアアッ! そ、それが上司に対する態度か! テメェは許さねぇ! この俺に逆らったからな! 証拠を捏造ねつぞうしてクビにしてやる! 覚えてろよ!」


「もう上司じゃなくなるので敬意を払う必要もないですね。そもそも粕田課長は尊敬できませんので敬意も必要ないかと」


 それだけ言って俺はオフィスを出た。後ろでギャーギャー言っているようだが、獣が吠えている思えばどうということは無い。



「犬飼先輩」


 振り向くと、今にも泣きそうな顔をした藤倉が立っていた。俺を追いかけてきたのだろう。


「犬飼先輩、ありがとうございます」

「いや、当たり前のことをしただけだよ」

「で、でも……私のせいで先輩が……」

「俺のことは気にしないで。あの粕田にはうんざりしてたからさ」


 藤倉がジッと俺を見つめている。


「先輩……わ、私……」


「藤倉さん、今度セクハラされたら労基に通報するんだよ。粕田みたいな男は、相手が弱いと思うとつけ込むクズだから」


「あ、あの、今度……そ、相談したいです。よろしければID交換を……」


(ID? ああ、メッセージアプリか。俺に相談って何だ? まあ、今後のセクハラやパワハラの対策とかだろうか。こういうのは彼氏にでも頼めと言いたいが、まあ後輩の頼みだからしょうがないか)


「分かった。交換しよう」

「は、はい」



 藤倉とID交換してから、俺は社長室へと向かう。これでブラック企業ともおさらばだ。


 だが、この時の俺は知らなかった。


 金も職も社会的地位も何もかも失ったこの俺に、信じられない奇跡が起こるということを。






 ――――――――――――――――


 ちょっとでも「面白い」「期待できそう」「続きが気になる」と思った方は、作品フォローと☆☆☆を★★★にしていただけると幸いです。

 作者のモチベが上がります。

 星はいくつでも思ったままの数を入れてくれて構いません。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る