Day26 深夜二時
陽が高みへ昇っていき光から色が失われていく。それにつれ海の青が鮮やかになっていった。男が言った通り、ぼーっと眺めてられる。と思ったけど強くなる日差しには勝てず、バッグから水とサイダーのペットボトルを出した。サイダーを男に渡して、自分の水を飲む。カニにもと思って探したら、カニは水お化けの手の上にいた。水でできてそうな手は、水たまりみたいにカニを濡らしてる。
「じゃあ友達んち行こう!」
じゃあってなに。友達、海から来てたけど。ツッコミは口にださず、家はどこら辺か聞いたら、カニと水お化けがアハハと笑った。
「もー人間てば。海だよ、海。ここら辺の海ぜんぶだよ。広いんだー、ザリガニいないから」
「カニもいないしね」
また二人でアハハと笑った。カニジョークが通じてる、というか水お化けも使いこなしてる。さすが友達。
崖の細道をびくびくしつつ降りて狭い岩場に着く。カニは波のかかる岩に降ろしてもらって、「貝はー」と言いながら探し始めた。俺も飛び石になってる岩を足場に、海の上に立つ。水の上は涼しい。スニーカーはちょっと濡れるけど気持ちいいからいいかと思ってたら、膝上まで海に入って歩く男が見えた。えーっていう、えー。着物の裾を帯に挟んでるけど、歩くたびに波が跳ねてあんまり意味ないような。なのにぜんぜん気にしてなくて、こういう大胆なイメージなかったからすごい驚いた。
しばらく海を楽しんで、隠れるとこのない日差しがきつくなって帰ることにした。家に着いたら裾が濡れたズボンを脱いで、横になった。
目が覚める。少し暗い。今がいつなのかわからず、床に置きっぱなしのカバンからスマホを出してようやく、夜になりかけの暗さだとわかった。寝すぎて怠い。喉が渇いてる。水分を取るためになんとか二度寝しないで起きた。水を飲んで台所の窓から、雨が降ってるのを見る。いつから降ってんだろ。お腹空いた。冷蔵庫から出したベビーチーズをかじり、卵とパンを焼く。トマトを切ってつまみ食いする。酸味がなんか体にしみた。
食べながら家にあった小説を読んだら案外面白くて止まらなくなった。集中してたのか読み終わったときには体が硬くなってて、はあーと達成感のため息と一緒に伸びをした。あくびも出たけど眠くない。時計を見たら十時すぎで、まだ雨の音がしてる。のってきたので、シリーズものらしい続きを探し出した。水を用意して新しい本のページをめくる。
半分をすぎるころになるとさすがに疲れてきた。目をこする。もう二時だ。まだ雨が降ってる。トイレの帰りに、明日は水やりいらないなと窓から庭をみてみた。電気の明かりがガラスに反射するからくっつくくらい顔を近づけて覗く。紫陽花、庭木、その向こうに白。長い髪が振り向く。真っ黒の目が俺を見た。息をのむ。その一瞬、視界いっぱいにそれが。
後ろに飛びのいて背中を打った。反射して見えないはずなのに、長い髪と真っ黒い目が窓ガラスに映ってる。大きく笑いだした口の中も真っ黒で。
ぱっと白いものが眼の前を覆った。それなのにはっきり視線を感じる。
「しっかり気をもってください」
俺に振り向いた真っ白い男が言う。こっちも目が真っ黒なのに怖くない。あれとは違う。あれは目というより、穴
パンッと破裂音がして思考が途切れた。目の前の男が手を打ったらしい。
あ、やっこさんだ。
「引かれたんでしょうね。追い払います。外は見ないでください」
言うが早いか、俺を居間に押し込めて玄関から出ていった。心臓がうるさい。おとなしく座ったら、足が震えた。カーテン閉めてたはずだけど、もし窓が見えたらと思うと怖くて俯く。思い出さないように、ペットボトルのラベルの小さな文字を黙読した。
読み終わるころに玄関が開く音がして飛び上がる。やっこさん? やっこさんだよな。息が荒くなる。立ち上がったまま動けずにいたら、やっこさんが顔を出して、ようやく息を吐いた。
「追い払いました。ここへは近づけません。もう大丈夫です」
やっこさんは優しく笑う。そして紙のやっこさんになって肩の定位置に戻った。そのあと話しかけても無反応でふよふよ浮いてるだけだった。
……なんかさぁ、理由とか、なんかそういう説明してくれてもよくない? いや、助けてくれてとてもありがたい。ありがたいけど、仕事だけしてすぐ帰るって、正しいけども。なんかもうさぁ、やっこさん、ビジネスライク!
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