Day6 呼吸

 店を出たらすっかり夜になっていた。賑やかな虫の声を聞きながら街灯のない田舎道を男と肩を並べて歩く。来たことのない道。スーパーへ向かう道以外はぜんぶ知らない道だ。

「おやすみ」

 男の声で家についたのだと気づく。おやすみを返そうと振り向けば男はどこにもいなかった。ずいぶんと足が速い。玄関に入り、引き戸を締めて鍵をかけたら漏れるように息が出た。どこかしら強張っていた体から力が抜ける。暗いまま靴を脱いで風呂場へ向かった。すぐに入ってしまわないと。一度座ると億劫で動けない。ボイラーのボタンを押して服を脱ぐ。風呂場のタイルは冷たい。水圧が弱いシャワーを浴びて、とりあえずで買ったシャンプーで洗う。疲れた。掃除しただけなのに体が重い。休み休みやってるけどまだ慣れない。疲れた。仕事辞めて休んでるはずなのにずっと疲れてる気がする。

 さっさと洗い終えて風呂場を出た。ゴウゴウいうボイラーを消したら換気扇の低いモーター音が耳につく。こっちにきた当初はうるさいと思ってた虫の声は、意識しないと忘れてる。

 水を飲んでからベッドに転がった。つけ忘れた扇風機をつけるのに起き上がってまた横になる。目をつぶると形にもならないごちゃごちゃしたものが頭の中をいっぱいにする。ああ、ダメだ。浅く荒くなる呼吸を意識して長く息を吐く。吐く吐く吸う、吐く吐く吐く吸う。繰り返して落ち着いてくると、ごちゃごちゃが形を結び、男の顔になった。前髪で半分見えない顔、笑う口。なにか話していた。だんだんと輪郭がぼやけていく。ほどけていく形に、ただ視線だけが残った。


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