第4話
4章 “2人の時間のズレ”
「ずっと私のこと探してくれてたんでしょ?」
夕日が照らす教室のその溢れ日は、廊下にいる俺たちを覗いている。
坂出ハルずっと笑っている。何が面白い。何で笑っていられる。その微笑を浮かべ何を見る。
状況を知らないはずがないのに彼女のその表情には違和感しかない。所在の有無、不敵な笑み、違和感の塊。坂出ハルには聞くことは幾つかあった。だがどんなことよりも優先して聞き出さなくてはならないことがある。
「昨日ケンジと会っていたろ。その時のことを聞きたい」
この状況に飲み込まれそうになりながらも、藁にもすがる思いで言い放つ。
「何で、そんなこと聞くの?イノワ君には関係ないよ」
嫌に耳に残る声が放つ言葉は、俺の鼓動早める。
「いいから、答えろ。祭りに一緒に行く予定だったろ」
坂出ハルは少し悩む素振りをして、
「...もしかして、嫉妬してる?私のことそんなにも気になるの?」
と言った。
...はっ?いや何故そうなる。意味も訳も分からない。何を言っているんだコイツは。
ただ何故だか、坂出ハルの声を聞くたびに頭がクラクラする。早くケンジのことを聞かなくては。早く..聞かなくては。
「ねぇ。もうフミちゃんには告白したの?」
待て、...何だ。..何なんだ。何故今喋る。何故今その話をする。それを何で知ってる。
「もしさ、もし振られちゃったら、私と付き合ってくれない?」
....
「ねぇ?だめ?」
「...いや、坂出ハルには..ケンジがいるだろ..」
「うん。ケンジ君も好きだよ。だからね、イノワ君も私のこと好きになってくれたらケンジ君も喜んでくれると思うんだ」
「...」
「だって同じ人を好きになるなんて、素敵なことじゃない?」
それに。
「今日、ずっと私のこと考えてくれたんでしょ?」
水野イノワは固まる。
坂出ハルの言い分に嘘はない。水野イノワは嫉妬して、告白もせず、振られた時を思う。そして坂出ハルのことを考えていた。今日の朝から、今この瞬間まで。ずっと。
彼の首に腕を絡ませて、耳元で囁く。
「..今日の夜、時雨病院で待ってるね」
時間がねじれるように、異様に長く感じられた瞬間が過ぎ去る。
水野イノワは彼女が去ってから数分後、息を吹き返す。まるで突然襲いかかる恐怖に飲み込まれたかのように、イノワは息を荒げる。予備動作もなく全力疾走したかの様な疲労感に彼は何を思うことなく、その足は帰路に向かう。
家に帰るとちょうどご飯の支度を終えたヒグチさんが出迎えた。
「おかえり。今日は遅かったね。ご飯の支度が出来たところだ。手洗っておいで。」
数年ぶりに帰った実家。俺にはそんな経験はないがおそらく今のような安心感に包まれる気分になるのだろう。
「イノちゃん、おかえり」
「...うん、ただいま」
ばあちゃんはうん、うんと頷き、少しだけ間を置いて、「大丈夫かい?」と咄嗟に言われた言葉に少し驚きながらも言葉を見繕う。
「大丈夫、全然大丈夫だよ。ところで今日は何してたの?」
「犬聲公園に行ってきたよ。柴犬が可愛かったねぇ」
「そっか。昔犬飼ってたもんね」
「そうなのかい?それは初耳だ。ヒヨさん、なんて名前の犬を飼っていたんだい?」
あぁーあぁーと挟み、ばあちゃんは言う。
「柴犬の太郎だよ。可愛かったねぇ..」
「どうりで、柴犬が近づいてきた時すごい笑ってたもんね」
うんうん、とまた頷いた。
「そうだねぇ、ありがとね」
その後もご飯を食べながらたわいのない話しをした。最近遠くまで散歩行きたがることや、犬聲公園の森林エリアが涼しかったとか、隣のヒサヨさんと一緒にお昼ご飯食べに行ったり、折り紙に興が乗って作りすぎてしまったとか。
少し前までは1日を迎えることに苦労し、ばあちゃんの表情も強張っていた。でも今は笑顔が絶えない。時々会話がすれ違うがばあちゃんは必ず「ありがとう」を口にする。どんな時も、笑ってありがとうと言っていたんだ。
「イノワ君..?」
名前を呼ばれて気づく、頬を伝う涙。
「あっ、いや。すいません」
気づいても涙は止まらない。必死に隠そうとする中で、隣に座っているばあちゃんが俺の頭を撫でながら優しく、そしてあの頃のように「いつもありがとうね」と笑顔で言った。
止めようとしていた涙が溢れ出す。声にもならない霞む声で「いままでごめんね」俺はそう返した。でもばあちゃんはそれでも「ありがとう」を繰り返す。
しばらく忘れていたばあちゃんの優しさに、今日だけ、少しだけ甘えた。
「見苦しいところを見せてすいません」
食後、お風呂と歯磨きを済ませて、ばあちゃんを寝室へ。洗い物をするヒグチさんの手伝いをしようとするも、既に終わっており彼は1人リビングで座っていた。
「見苦しいなんて思ってないよ」
既に用意されている2つのティーカップに水出しの緑茶を淹れながら、「少し話せるかい?」と言った。
彼には話すべきなのかどうか悩んだが、おそらくもう気が付いているのだろう。
「はい」
淹れてもらった緑茶の前に座る。こうやって2人で対話するにはあの時以来だ。
「ケンジ君の彼女とは話し出来たのかい?」
単刀直入に切り出す。隠しても仕方がないのだろう。
「はい、ただケンジのことを知っている様なことは言いませんでした」
だがあの全容は話せない。あの時抱いた、坂出ハルに抱いた感情は口にすることは出来ない。
「それでも、坂出ハルが確実にケンジを監禁しています。あるいはもう既に..」
自分の思い、そしてあの僅かな時間で得た情報で俺は確信を得ていた。
「何故そう言い切れる?」
ヒグチさんは聞く。
彼はこの件で一体何の関係があるのか。ここまで首を突っ込んでくる理由は?ケンジのことも坂出ハルのことも知らないこの人が、何故心配する様な素振りをするのか。
それを考えるよりも俺は俺が得た情報をヒグチさんに伝える。あまり思い出したくない記憶を。
「彼女から、坂出ハルから、父が死んだ部屋の臭いがしたからです」
首元に腕を絡ませられた時、ほのかに香った死臭。鼻の奥の方にこびり付いているかのようにあの時と同じ臭いがした。
父親は自殺した。父は家族とは別の部屋を借りていた。出張と嘘をいい、数年間そこで暮らしていたのだ。でもだからと言って女の人と一緒に暮らしてたわけじゃなかった。その部屋は文字通り何もない部屋だった。家具も調理器具も寝具も、ただ電気と水道が通った部屋で、父がそこで何をしていたのかは結局分からないまま。
首を吊って死んだ父親の足元には、倒れた椅子と手紙が置かれていた。そこに書かれていた内容は一言だけ「つかれた」と書かれてあった。
その後、母は俺の親権を外して何処かへ行ってしまった。父が死んでから母の様子はおかしかったが、悲しむ様子ではなかった。
どうしてそうなったのか、何故こうなったのかは分からないままで、俺は母親方のばあちゃんに引き取られる形となった。
「父が暮らした部屋を見たかったので、見せてもらったんです。その時の臭いの元を聞いたら死臭だと教えてくれました。何もありませんでしたが、父がいたということが知れただけでもあの時の俺は嬉しかった」
「..その臭いがケンジ君の彼女から?」
「えぇ。確かです」
「...」
そうか。とただ一言いうと、ヒグチさんは俺を自分の部屋に行くように促す。「後は警察に任せよう。もう心配することはない」そう去り際の俺に言ってリビングを出る。
夜が更ける頃、リビングに降りると、そこには帽子とマスクを外したヒグチさんがいた。薄暗い中で彼の姿がぼんやりと浮かび上がっていた。
「やっぱり行くんですね」
俺は言った。
「..気が付いていたのか?」
手元を動かしながら、視線は落としたままヒグチさんは言う。
「何も。でもやけにケンジと坂出ハルのことを気にしていたので。顔も知らない2人のこと、用があるのは坂出ハルの方ですか?」
「...」
「何処にいるのかも分かっているんですか?」
「時雨病院だろ」
「...」
この人のことはずっと謎だった。でも、もうそれでよかった。いい人、ただのすごくいい人でいて欲しかった。困ってる人を助けるヒーローのような、そんな都合のいいことを俺は考えていた。でもそうじゃなかった。
「俺も、着いていっていいですか」
何が出来るかは分からないけど、このままにしておくことはできない。何よりも、彼がそのまま消えてしまいそうな気がした。
「したいようにすればいい」
彼はそう言った。
道中会話はなかった。とても夕飯を楽しく食べてた人と同一人物とは思えないぐらいに、何も喋らなかった。
時雨病院、何故地元でもないヒグチさんが知っているのかは分からないが、時雨総合病院は数年前から閉鎖されている病院。病院が潰れたことに連なって、徐々に近隣住民も少なっていき、その後も新しい病院が建つことも取り壊されることもなく、ここ一帯がゴーストタウンに近い状態となっていた。今訪れる者といえば、心霊スポットとして遊び場とする若者ぐらいだろう。一度だけケンジと共に来たことがあるが門構えだけでたじろぎ、帰ってしまった。その時は門にチェーンが何重にも掛かっていたが、今はそのチェーンは地面に落ち外れている。
病院内に入ると、ジュースやお菓子の袋など、明らかに閉鎖されてから訪れた者のゴミが散乱していた。手持ちの懐中電灯を点けるヒグチさんは、それらをモノともせず、迷うことなく奥へと進んでいった。途中明らかに人為的に積み上げられた障害物を乗り越え、隠されているかのようにあった地下へ階段を降りていく。一段、一段と降りる度に寒気が増すような気がする。長い廊下の先にあったのは“霊安室”と書かれた扉だった。
「イノワ君。いらっしゃい」
扉を開けると、中央に坂出ハルが俺たちに向かって小さく手を振っている。部屋の中には無数の蝋燭が灯り、部屋の隅に白い布を被った5つのストレッチャーが異様な雰囲気を醸しながら並べられている。そして漂う強烈な臭いに、思わず吐き気を催す。死臭。あの白い布の下にはおそらく死体が横になっている。
「イノワ君来てくれるって信じてたよ。ケンジ君だけじゃもう飽きちゃってさぁ〜」
坂出ハルの目の前の椅子に縛られている人影。おそらくケンジだ。動きはしないが肩が微かに揺れている。
「ケンジ君のこと、2人でイジメちゃう?それとも..2人が私をイジメてくれる?」
この中で唯一笑顔を振り撒く坂出ハルは、独り言を淡々と繰り返す。そこには、狂気とともに妖しい魅力が漂っていた。彼女の目には、狂おしいほどの幸福感と恍惚感が浮かんでいる。
「あれが..坂出ハルです」
選択の余地などない事実を、一様のことヒグチさんに伝えると彼は徐に胸ポケットからタバコを取り出す。
彼が吸っているところは見たことがないし、残り香も感じたことはないが、だとしても今吸う時か?
「イノワ君..ねぇ。こっちに来て..」
「..ゔっ...」
この部屋に入った瞬間から感じている、凍えそうな寒気と、頭の中の違和感が坂出ハルが喋る度にその強さが増す。そしてその苦しむ俺の姿をみて、なお歓喜の声を上げる。
「あぁ〜、イノワ君どこか痛むの..?早くこっち来て。ね?ストレッチャーもう一台あるから、ね?こっちに来て横になろ?」
坂出ハルが喋ると頭が押し潰されそうになる。それに同調するようにケンジの様子も後ろ姿からしても明らかにおかしい。小刻みに震え出し今にも地面に倒れそうな体勢だ。
「け...ケンジ...」
辛うじて保たれる意識の中で、ヒグチさんは何もする様子はない。坂出ハルの居場所も、病院内の構造も、そしてこの霊安室までの道のりも、何もかも迷いなく来ていたはずなのに、ここに来て無策なんてことがあるのか..?
「もぅ!はやくしてぇ!早くこっち来て!」
坂出ハルが地団駄を踏む。ケンジが大きく震え出し倒れ込むと、彼の口からは泡を吐き出しているように見える。
「ケンジ!」
「ケンジくぅん!ケンジくぅん!」
坂出ハルは倒れるケンジに近づき、吐き出す泡を舐め回す。その悍ましい光景、漂う死臭、そしてヒグチが吸うタバコの臭いに当てられて、水野イノワは吐きながら気絶する。
「...イノワくぅん...あぁ..」
腐りかけの花のような香りを纏った声が、ねっとりと滲み出る。その腐敗の香りと声は、重く、ドロドロと流れるように空間に充満する。
「ケンジ君は“好き”って言ってくれたの..イノワ君も好きって言ってくれたら、絶対幸せだと思うの...」
「坂出ハル。お前が赤いポストか?」
「イノワ君なら私のことわかってくれる..だってここまで来てくれたんだもん..私のこと考えてくれたんだもん..」
「坂出ハル。お前が赤いポストか?」
「ケンジ君とイノワ君を重ねて、その間に入ったらさぁ、きっと幸せだと思うんだぁ。あぁ、イノワくん..すき..」
「お前は赤いポストか?」
「イノワ君くん。イノワくん。イノワ..くん..」
「お前は赤いポストか?」
「あぁ..イノワ君の..あったかいなぁ..」
「お前は赤いポストか?」
「もううるさい!なんなのあんた!イノ..い..。あれ?えっと..い..い..。もう邪魔だから出ていって!向こうに行け!」
「お前は赤いポストか?」
「あれ..なんで..誰だっけ..名前が出てこない..ケンジ君と..イ..い..い..」
「お前は赤いポストか?」
「ねぇまって..ダメ..だめ!分かんない分かんないよ。名前..名前が思い出せない..誰..ねぇ!誰!」
「お前は赤いポストか?」
「ヒロヒコ君!ねぇヒロヒコ君だよね?それにアカネちゃんでしょ?ヒナミちゃんと..カズヤ君、マシロ君...と、と。あと...えっと..えっと...」
「....」
「ダメ..ダメだよ...みんなダメ..。ヒロ...君。あ...あ..。えっと..何だっけ..何でぇ..。みんな..みんなの名前..分かんないよ..」
「坂出ハル。お前は赤いポストか?」
「....」
「...」
「..」
一本のタバコを吸い終わる頃、坂出ハルの意識はなかった。
目が覚めると知らない天井があった。
腕には点滴が施されていて、後は全部真っ白だった。
「イノワ君?」
ボヤける視線の中に、よく聞き慣れた声が覗き込む。
「ヒグチ..さん?」
頭がまだボケているのか、病院だということは独特の匂いで分かったが、えっと。何があったんだっけ..?
「昨日のこと、覚えているかい?」
昨日..
「ケンジ。ケンジはどうなりましたか..?」
「ケンジ君は隣の病室で眠っているよ。命に別状はないから安心して。イノワ君は大丈夫かい?体痛むところはないか?」
昨日の件はどうにかなったらしい。全く覚えていないが、胃のあたりのムカムカと頭に違和感を感じる。
「体...えぇ、今の所痛むところはありません」
いつものヒグチさんに戻っている。
いや、これは演じているのか。
「すいません」
「君が謝ることは何もない」
それでも、これが演技だとしても俺は。
「その様子なら、おそらく今日には退院出来るだろう。俺は一度帰るけど、夕方にはまた迎えにくるよ」
「ヒグチさんは、もう帰ってしまうんですか..?」
目覚めた時、ヒグチさんの声がしたことに正直驚いていた。彼が“目的を果たした”のなら、もう会えないのだろうと、どこかでそう思っていたから。
これがもし最後の挨拶なら、彼とはもう会えない。
「...」
部屋を出ようとしていた手が止まる。
一呼吸置いて、ヒグチさんは背を向けながら話す。
「坂出ハルは、俺が探していたものではなかった。だが、“そこにいた”という痕跡は見られた。だからもう少しここに居るつもりだ」
「その後は..?」
「...」
気持ち悪さと吐き気を抑えながら、消えてしまいそうな彼の背中にしがみつく思いで、俺は言う。
「正直ヒグチさんには居てほしいです。居なくなった後が不安っていうのもありますけど、ヒグチさんが来てから家は変わったんです。会話が増えて、自然と笑顔になって、こいうのが家族なんだなって、勝手に思っていました。迷惑かもしれませんが、本当の父のように思えて嬉しかったんです」
「...」
「図々しいのは分かってます。でも俺はもう誰かが居なくなってしまうのは嫌なんです。お金は要りません。だから家に居てくれませんか..?」
ヒグチさんはこちらを向く、相変わらず顔が見えないが、でもなんとなく彼が思っていることがわかった気がする。
「迷惑なんかじゃない。ありがとう。俺も仕事でなければここに居たかった。水野家の暖かさに、居心地の良さを感じていたから。でも、すまない。俺はここに居続けることは出来ない。仕事を終わらせたら、俺は帰るよ。それに、俺はまだ他にもやることがある」
そう言うと、ヒグチさんは帽子とマスクを取る。
あの夜、確かにその姿を見たが、薄暗くてよく見えなかった。でも今はその姿がしっかりと両の目に映る。肌白く、痩せこけた顔。今ベットに横になるのは彼の方じゃないか?そう思うほどの顔色だった。
そして彼は語りだす。
「俺のことは詳しくは言えない。もしかしたら巻き込んでしまうかもしれないからだ。出来るのはこの素顔を見せるところまで。分かりにくいかもしれないが、俺の誠意だと受け取ってもらえるとありがたい。
..あと、水野家の家に上がり込んだのは、恩返しだからじゃない。償いだ。だけどヒヨさんへの態度も、君に対しての言葉も全部が全部嘘じゃない。演じて君たちと笑っていたわけじゃない。あれは本心だということは信じてほしい。
だが、本来の目的を言わなかったのも事実だ。騙すような形で、家に上がり込んでしまってすまなかった」
ようやく、彼の本心が聞けた。それはずっと望んでいたことだ。でもやっぱり彼への謎は消えることはなかった。
「ヒグチさんには助けられたんです。少なくとも俺はあなたに感謝してます。だからもう謝らないでください。話してくれてありがとうございます」
分かっていた。だから言いたいことを全部言ってやった。そんなことはありえないと、そう思っていたから、その思いは今ここで無くしておきたかった。
窓から見える清々しいほどに晴れた青空は、まるで今の俺の気持ちを表しているようだった。
「えっと...赤いポストというのが今回の元凶ということなんですか?」
「あぁ。この地域のみの噂話。そして坂出ハルの狂気じみた行動に言動。君たちが坂出ハルに影響を受けていたのも、赤いポストと言われるものが原因だと考えてくれていい」
「..でもあの場にそんなもの、ありましたっけ?」
「一個体ではないのかもしれない。あるいは分裂か、それとも坂出ハルの中に居たのか、坂出ハルがそいう人間だったか。そもそも目に見えないものかも。正直なところ、情報という情報はないんだ。そこでもし噂話を聞いているなら教えてほしい」
「噂話...俺もそこまで詳しくはないんですが、“夜の行き慣れた道で、目の端にある赤い物体”とかって友達には聞きました。それから..」
「...」
「願いを叶えてくれると。でもあちこち探しはしたんですが、結局見当たらなくて、まあそいう話題性を求めた作り話なんだろって思っていました」
「..そうか。噂話なんていくらでも曲解されるものだからね。願いを叶えるというのは、広がっていったついでに生まれたホラ話かもしれないね。ところで探したってことはイノワ君も願い事を?」
「え?あ、いや。...はい。情けない話ですが、好きな人に振り向いて欲しくて、友達が教えてくれたので自分も実践してみようと...」
「はは、そうだったのか。いやはや、イノワ君の本心が聞けると、君はまだ高校生なのだと、改めて思い出させてくれるね」
「それ、バカにしてるんですか..?」
「そうじゃないよ。君は人一倍苦労を背負っているからね、そいう子供らしい一面が見れるとなんか嬉しんだ」
「....俺のことはいいですよ。ともかくその赤いポストについて、色々調べてくればいいんですね?」
「あぁ。でも聞いてくれるだけでいい。そのものにもし出会っても逃げるかしてくれ」
「分かりました」
「それじゃあ、俺はそろそろ行くね。お隣さんにヒヨさんを預けて来てしまったからね。
あっ、イノワ君」
「はい?」
「そんな噂なんて頼らなくても、君ならうまくいく。だから自信持って」
「..ありがとうございます..」
という会話があったが、そもそも今の俺は入院中なので情報収取は限られるわけだ。
「ミツキなら何か知ってるだろ」
スマホを取り出して、彼女にLINEする。その画面には今までの会話が残され、そこには藍堂フミの名前が何度も出て来ていた。
そして俺は、ミツキから聞き出した藍堂フミのLINE画面を開き、通話のマークをタップする。どうなるかは分からない。ミツキは大丈夫と言ってくれていたが、あいつは結構いい加減なところがある。だけど今の俺はどこか自信がある。
震える手、早まる鼓動。ろくに目も合わせられない俺がこの時のために考えて来た、告白のセリフをここぞとばかりに復唱する。
「もしもし」
彼女が通話に出ると俺はありったけを彼女に言い放つ。上手くいく。そう信じて。
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