第2話


2章 “あなたの思い、私の思い“



動物の表情を見るのが好きだった。愛されて大事にされた動物の表情は、どこか柔らかくて見ていて癒される。

触るのが好きだった。人とは違う質感、ふわふわの毛並みとしっとりとした肌。撫でれば撫でるほどに美しく、そして気持ちが通ずる気がした。特にあの瞳はどこまでも私を魅了した。何処までも透き通ったあの瞳に見つめられると嬉しくなった。私を見てくれていること、私のことでいっぱいになってることが、嬉しくなった。動物が好きだ。可愛くて、ただとにかく可愛い彼らが大好きだ。

でも、母は私から動物を取り上げた。

それは私のためだと、父も同じようなことを言っていた。可愛くて可愛くて仕方がない彼らをもう触ることが出来ないと思うのはとても辛くて苦しくて切なかったけど、私がいない時、帰ってるとは知らない両親が私の将来を案じ泣いていた。父は母を支えながら「大丈夫」と悲しそうな顔をしながら慰めていた。その原因が私なのだと分かってから、両親の言いつけを守るようになった。

動物には触れない。それはきっと両親を安心させる。私には分からなかったが、でも安心してくれるのなら理解はできた。

私は動物に触れない。小学校の頃そう自分の中に落とし入れ理解した。




22:34

ミツキがグループを退会しました。


私は結局何も出来なかった。

ミツキが退会してすぐに通話をしたが、彼女は出てはくれなかった。5回通話の履歴を残したところでメッセージを送った。

「ミツキ、大丈夫?少し話しない?」

これが最善なのかわからない。今送るべき言葉ではないかもしれないし、言葉足らずかもしれない。ミツキの心境が精神状態が私にはあまりにも理解が及ぶことが出来ないことを、強くそして辛く実感する。

翌日ミツキは学校を休んだ。先生は風邪だと言っていた。正直私も休みたかった。

あの後私もグループを抜けて仲良し3人組は完全な解散となった。昼休み、フミが教室に顔を出してくれたが、私はまだ彼女と話す気になれなかった。

久しぶりの1人のお昼ご飯。2人がいたのが遠い昔のようで自然と涙が溢れてくる。

この感じ昔を思い出すな..

「福野。少しいいか?」

後ろから名前を呼ぶ声に慌てて涙を拭う。

「おい、大丈夫か?」

顔を見られないように体をよじらせて「なに?」

と端的に言った。

「...ミツキのことなんだけどさ。あいつと連絡取り合ってる?」

「知らない」

「...何か言ってなかったか?」

「だから知らない」

タイミングの悪さと男子に声をかけられた恥ずかしさからか、私の態度は少し高圧的だった。

でも、

「待って!」

帰ろうとする男子の足を止めて、私は改めて水野イノワとの会話を試みる。


「あんた、ミツキの何なの?」

教室から歩いて数分、中庭の木陰のベンチに腰をかけ、そこの隣に座るそこそこ顔立ちのいい男子に、私は相変わらずの態度を示す。

「聞いてないのか?幼馴染なんだよ。小学校低学年からの腐れ縁ってやつだ」

「そんな話聞いたことないけど」

「本当だよ。多分、思い出したくないんだろ。小学校の頃のアイツは今ほど楽しくしてなかったからな」

確かに私たちは小学校の頃の話はしたことがなかった。話すのが普通なのか、そうじゃないのかは分からないけど、知りたくないわけじゃない。水野は私の知らないミツキを知っている。

「ミツキの小学校時代はどんな子だったの?」

今は少しでもミツキのことを知りたい。昔話にヒントがあるかは分からないけど、ミツキの助けになれることがあるなら何でもしたい。

水野は特に不思議がることもなく、本来の用事もあったはずなのに、私の質問にすんなり答えてくれた。

「止まってた」

簡潔に答える水野のだが、私にはそれの意味が分からなかった。

「止まってたんだよ。何もしないやつだった。授業中も休み時間も、とにかく必要最低限の動きしか見せないやつだったな」

「...」

「ずっと1人だったんだよ。誰かが話しかけても受け答えは決まっているかのように。何が面白くて学校に来てたのか分からなかったほどだ。正直最初の頃は俺もあまり話したことがなかったけど、その静か過ぎる態度は逆に目立っててな、当時を知ってる人からしたら印象深いんじゃないかな」

「..そう..」

「それでも同じ班ってのもあって、何度か話しかけるうちに次第と口数が多くなってった。授業つまんないから始まって面白いテレビの話に、飼ってる猫..確かミケだっけか?そんな話ばっかしてたな」

「ぷはっ」

思わず吹き出す。水野は「大丈夫か?」と心配してくれたけど話を進めるように促した。

「何でずっと1人だったのか、なんでそんなに寂しそうな顔をしてたのか。小学校の頃の俺は、怖いもの知らずで聞いたんだ。中々教えてはくれなかったが、学校で飼ってたうさぎが死んだ日の帰り道で話してくれた。双子の姉が死んだことを」

「ミツキにお姉さんが..?」

「うさぎが好きだった姉はミツキとは別々の家で暮らしていたらしい。姉の方には障害があって、まあそれ以外の理由でもミツキの両親は別々にした方がいいって結論になったみたいだ」

「...」

「何で亡くなったのか分からないけど、それっきり笑って過ごすのが出来なくなったって言ってた。辛さを全部押し付けて私だけ笑えないって」

「...」

「でも今のアイツはスゲー楽しそうでよ。あの頃と比べもんにならないぐらい、よく笑うんだ。で、福野だったら今のミツキのこと、分かるかなって思ったんだ。ただの風邪ならチョコミントでも買って見舞いに行こうかなって思ってよ」

それに...水野は少し言いづらそうに、

「藍堂のこと色々気にしてくれたのに結果振られちまったからさ、謝っておきたくて」

藍堂フミ。唐突に彼女の名前が出た時、私の胸の中で、何かがザワついた。

「フミは..その、なんて言ってたの?」

私は抽象的な質問を投げる。

「振った内容聞いてんのか?お前趣味悪いな..」

と言われて引かれたが、黙って話させた。

「普通にコクったら“好きな人がいるので”って断ったよ。ミツキも手回してくれたみたいだけどやっぱ興味ないやつと付き合うのはそもそも無理ってもんなんだろうな」

赤いポストのことも結局ホラ話だし。

ボヤくようにそう言っていた。

そして私は水野の話しの中である疑問が浮かぶ。これは聞いていいものなのか?知らない方がいいかもしれない。だけど口軽く私は聞いた。

「何でフミだったの?なんでミツキのこと好きにならなかったの?」

質問に更なる質問を付け加えて聞いてしまった。

これはあくまで私の予想だけど今までの流れでおそらく、多分、万が一のそれだが、ミツキは水野の想いに嫉妬していた。

「なんでって...」

困った様子で、だけど答えははっきりしている口調で水野は言った。

「ミツキとは友達だしな。藍堂って可愛いじゃん?」

お節介な思いが手の先、足の先まで駆け巡る。とりあえずコイツにはこう言っておこう。

「バカ」

これだから恋愛が苦手なのだろう。



中学に上がり高校生になった頃、いつからか友達ができた。自由で楽しい子と、誰よりも私のことを大事に思ってくれる、帽子の似合う子。私の友達で大切な人。例え突然の別れが訪れても私もそして彼女も大切な存在だと信じ合える関係だと思ってる。恥ずかしくて2人には絶対言わないけど。

よく3人で遊んでよく笑った。旅行にも行った。美味しいものもいっぱい食べて夜景を見て花火をした。瞼を閉じるとあの日々の思い出が鮮明に蘇る。切符を落として駅員さんに助けられて、お気に入りの服に醤油をこぼして、バケツに組んだ水に足を突っ込んだ。本当笑える大事な思い出。帰り道はずっと寝てた気がする。イビキをかいてそれを動画に撮られて後で3人で笑ってた。2人がいるとずっと笑ってる。

でも、1人でいると唐突に2人が居なくなったらって考えることもある。3年に上がって卒業したら大学生になる。でも彼女は県外に行ってしまう。連絡は取り合うだろうけど次第に回数は減ってって、連絡を入れるのは誕生日と大晦日だけになるかもしれない。大事な親友だけどもしかしたらずっとは、あり得ないのかもしれない。そんなことを考え泣いている私は先の見えない将来に不安を抱いている。

不意に彼女の連絡先を見る。メッセージを送ろうにも言葉は浮かばず、何度も開いては閉じる。

1人は辛い。そんな見えない感情に押し潰されそうになる。



帰り道、水野が買ったチョコミントを持って私はミツキ宅のインターフォンを押す。

通話の折り返しもメッセージの既読すらつかない状況に居てもたってもいられなかった。

閑静な住宅街の一角にある、久しぶりのミツキの家に少し怯えながらもインターフォンを押すと、間髪入れずに勢いよく扉が開く。そこには涙を堪えるミツキが立っていて、私の顔を見た瞬間、言葉を発することなく深く抱きしめてきた。

もしかしたら、と何度も思ってここに来た。あれだけ元気なミツキが、ずっと一緒にいたミツキが、もしかしたら、もう会えないのかもしれない。不安に不安を募らせる中で、どうしようもない今を見るのが怖かった。でも。

「来てくれてありがとう..」

震える声は、震える体はこれまでの辛さを物語っていた。それでも私は彼女とまた会えたことが嬉しかった。

久しぶりに聞いた彼女の声にすがるように、私も強くミツキを抱きしめた。

「ミツキは1人じゃないからね。大丈夫だからね」

私の精一杯を伝えると、彼女は人目を憚らずに大きな声で泣いてしまった。私はただただそれがうれしかった。嬉しくて釣られて、私も思わず泣いていた。


「ミカ..本当に来てくれてありがとう..」

鼻を啜りながら言うミツキに案内され家の中に入ると、部屋中に置かれるダンボールと、ミケが使っていたであろう遊び道具が置かれていた。

「..もういないからさ。お母さんが帰ってくる前に片付けようと思ったんだけど、上手くいかなくて..」

繋がれる手にまた力が入る。一向に離れようとしないミツキをそっとソファに座らせて私も座る。

「ゆっくりやればいいよ。私も手伝うから」

ミツキは黙って頷く。また溢れそうな涙を堪えているのだろう。

もう片方の手に持っていた袋からチョコミントを取り出して、イノワからミツキに。

「イノワも心配してたよ。メッセージ送っても返事来ないって。色々聞きたいことがあるとか」

すると少し調子を取り戻したのか「アイツが?」と涙を拭いながら、鼻で笑って見せた。

机に置くチョコミントを見て「まだ覚えてくれてたんだね」と呟く。

「ミカも連絡入れてくれたんでしょ?ごめんね、返事できなくて」

「返事もしたくない時ってあるから謝んなくても大丈夫だよ。みんなわかってくれると思うし」

「うん。でもそいう理由じゃないの」

「そいう理由じゃないって?」

「そもそもスマホを見るのも怖くなっちゃって電源落としてるんだよね」

と、ミツキは少し間を置いて言った。その意図は分かる。だが私はあえて口にした。

「フミのことだよね..?」

静かに頷く彼女を見て、改めてあの時の戦慄が蘇る。未だ私自身理解しきれていない。

「ずっと考えてた。何か勘違いしたのかなって。でも、もし。もし私に対する嫌がらせだったら?私はフミに知らぬ間に辛いことを押し付けていたんじゃないかって..」

震えるミツキの手に、手を重ねながら身を寄せる。

「フミがそんなことする人じゃないって一番私たちが知ってるでしょ?確かに断ることができない性格してるけどでも、だからってその後にフミが悪態を吐くことなんてなかったじゃん」

そう思っている。そう思いたい。

「またフミと話してみるから。大丈夫だよ。またあの頃のように戻れるから」

「..うん」

あの頃のように。それがミツキが求めていることなのかどうかは分からなかった。そう分かっていながら、私は口にした。

でも、もしかしたら本当に間違いで、彼女もミツキと向き合いたいと思っている、その僅かばかりの可能性を残しておきたかった。フミはそんな人じゃない。私の中にはそう思う自分がいる。

それから...と、私は続けた。

「水野と話す機会があってさ、その。ミツキの..お姉さんのこと聞いちゃったんだよね..」

勝手に聞いてごめん!

水野から聞いた時から思っていた違和感を自分なりに考えて、やはり本人の意図にそぐわないところで聞くのは、正直に話して謝ったほうがいいと思った。水野の口が軽すぎるとも考えたがそこは私を信用してくれたのだろうと、思うことにする。

「アイツ、ほんとよく覚えてるなぁ..嫌になっちゃうね」

ミツキはここに来て初めて笑顔を見せる。

「あぁ、でも大丈夫だからね。そんなことで謝らないで。ミカには隠すつもりもなかったし、タイミングがなかったってだけで別にアイツが特別だから話したって訳でもないよ?」

ただ、とミツキは続ける。

「アイツのおかげで小学校の頃は、いじめられることもなく過ごせたんだよね。ミカにはちゃんとお姉ちゃんのこと話したいから、また聞いてくれる?」

「もちろん。その時には私のことも話すね」

水野から聞いてよかったとも思う反面、私は少しだけ嫉妬した。


数分後、私たちは分担してミケちゃんの物物をダンボールに詰めた。ミツキは涙を流しながらもその手を止めることはなかった。

親御さんが帰ってきてご飯に誘ってくれた。当然断ることなく親御さんの手料理にあやかり帰路に着く。

布団に体を預けてスマホを確認する。昨日のあのメッセージからようやく1日が経った。ミツキからのメッセージ1件。明日は休んで一緒に火葬に行く。その時間の知らせに、返事を済ませる。

そしてフミからのメッセージ0件。正直話してみると言った手前、私は戸惑いを感じていた。



暗い部屋。2人が消えたグループLINEを、唇を微かに歪め、深い吐息を漏らしながら見つめる。

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