私の味

福ノ太郎

第1話



1章 ”将来のわたし“


もし私が私のことを書くことがあるのなら、膨大なページ数にただ一つの言葉を書き記そう。

”私の人生は白紙だが意味はあった“そいう意味を込めた私だけの本を。



抽象的で不明確。曖昧で漠然とした言葉がこの世には存在する。形も味も匂いもない、意味すらあるのか分からなくなってしまう言葉。“将来”そんな言葉を使った題名に私は悩んでいた。腰を曲げた皺くちゃな姿になるだけの将来に何を思えばいいのか。ただ死ぬだけの人生に、もし私がそのお題を書かせるとするならどんな文章をもって正解とするか。

思うがままに書く、“将来のわたし”。印刷された用紙に恐らく長文を書くことを予測、促しを踏まえ渡された2枚のその紙に。


「適当にします」


余白にはうさぎを描いておいた。



「無意味だと思うか?」

先生は言った。

「誰にとっても大切なこと、誰しもが通る道なんだ。簡単でいい、自分の将来を楽観的でもいいから考えてみないか?」

対面に座る先生の口調は優しかった。「適当にします」という文字は消され再び紙を前にする。

「好きな物でもいいし、なってみたいものでも構わない。消去法で嫌いなものを言ってくのもいい。何か、思いつくことはないか?」

放課後の教室で秒針が鳴り響く。

アニメの名前や漫画のタイトル、映画、小説、アイドルグループ、好きな番組、よく見るYoutube、好きなもの嫌いなもの。手当たり次第に思い出しては声に出し、私の様子を伺う。どうしても何か書かせたいらしい。他でもない、先生自身がこの言葉の不透明さを理解しているはずなのに。


「で、宮城にはなんて言ったの?」

「別になにも。黙ってたら、「もういいよ」って」

「えぇー、ミカ結構不良だねぇ〜」

「嘘でもよかったじゃん。何で言わなかったの?」

「うーん。言霊とかなんかそいう、言ったら最後かなって思ったらさ、なんか言えなくて」

「ないよー!絶対ない!だって学校早く終われっていっつも言ってるのに終わった試しがないもん」

「でも確かに思ったこと声に出してもそれが実際に起こったことなんてないよね」

「言霊なんてウソだよ。時間も勿体無いしさっさと終わらせちゃいなよ。また呼ばれてるんでしょ?」

「宮城、宿題とかは緩いクセにそいう道徳系のやつはうるさいもんね」

「親の気持ちとか、相手の嫌なこと好きなこととかね。小学生かっての」

「それねー」

「2人はなんて書いたの?」

一瞬会話が止まる。唐突に話しを掘り下げたことに2人は困惑しながらも話してくれた。

「私は公務員になりたいって。お世話になった人に公務員になったよーって報告したいし、お金稼げるしね」

「以外と普通。もっとぶっ飛んでるって思ったのに」

「うん、プロの選手とかって言うかなって」

流石にバカにしすぎー!と私たちの頭をワシャワシャして暴れるミツキに、チョコミントの補充。

「フミはなんて言ったの?」

ミツキよりも一層恥ずかしそうにする彼女に、ハーゲンダッツマカデミアナッツで誘惑。

「本当言うのすごい恥ずかしいんだけどさ。この3人でずっと仲良くいられますように...って」

題名の主旨と場違いなお祈りに「いや、初詣か」と、静まり返った場に突っ込みを入れると、時間差で私たちは笑った。

「初詣!たしかに!」とミツキは腹を抱え、「もうやめてよ」と恥ずかしそうにミツキと一緒に笑うフミ。

3人で集まるのはこれが初めてじゃない。静かだった私の家はいつからか親友たちが大きな口で笑い合う賑やかな家となっていた。

明け方、倒れるように寝ている2人を起こさないようにベランダに向かう。食べかけのポテチ、飲みかけのジュース、アイスの容器にお菓子の包み紙。散乱とするその物物に頭を掻きながらも今はそっとしておく。

ひんやりと冷たい外の風に髪を靡かせて、未だ眠る街の景色を眺める。不自由はない。不安もない。ただただ広がる安心感に再び眠気が襲う。このままが続けばいい。そう心から思う。



同じクラスのミツキとは授業中でもよく話す。

内容は大したものではない。授業つまんないと始まって話題となってるYoutubeの話から飼っている猫のミケの話など。だが今日は少しだけ違った。

「赤いポスト?」

私は思わず声に出す。大して驚く内容でもない普通のそれに前略との繋がりが見えなかったからだ。

「そう、噂の赤いポスト。聞いたことない?」

黒板に書かれている内容をノートに取りながら彼女は話す。この器用さのお陰かミツキが先生に怒られたことは一度も見たことがない。

「いや、そんな噂は知らないけど、赤いポストの何が変なの?普通じゃん。みんな赤いんだし」

それはそうだけどさ。と、黒板に書かれている全てを書き写したのか蛍光ペンで箇所ヵ所に線を引き、勢いのある声で顔を近づけて言った。

「願いが叶う、噂の赤いポストなんだよ」

ありがちなそれに思わず「あぁ〜。なるほどね」と溢す。

赤いポスト。人伝いに広まったその噂はこの地域だけの噂らしくネットにはその書き込みは存在しなかった。

「で、その心は?どんな願いを叶えたいのさ」

「叶えたいのは私じゃないよ、フミのこと」

「フミ?フミってなんか叶えたいことあったっけ?」

「フミのことだけど、フミ自身の願いじゃないんだよ」

「なによ、どいうことなの」

「フミのことが好きな人のお願い事」

「あぁ〜、そいう」

お節介、面倒見のいい、有難迷惑。そいう思考を巡らす前に彼女は動いてしまうのだろう。

「まあフミのことは応援したいけど、でもフミがその男子のこと好きってわけじゃないんでしょ?なんで男子の応援なんかするのよ」

「フミの性格的に気になる男子でも断りそうなんだよね。私も恋愛なんてそんなにしたことないけど、そいうのってやっぱ経験しとかないと多分後悔しそうじゃん?イノワがそうなんだけど、他の男子から聞いても優しい人みたいだしさ。しかももう半年も想い続けてるとかで本気度はまあ伺える!けど..」

ただ度胸がねぇ...と声に力が抜ける。

「それならそんな噂に頼ることある?ここまで想ってたのを根も葉もない噂に任せるって」

「きっかけは何でもいいの。願いが叶うその過程を踏めばその通りになるかもしれない。そう思えばそれでおk。告白に一歩近づけるかもしれないじゃん。何がきっかけになるかは分かんないんだし」

それに...、とすこし言い辛そうに「そいう噂って興味ない?」とおそらくこちらが本命なのだろうと、私は思った。


「えぇえ??いや..そいうの、ちょっと分かんないっていうか..なんていうか..」

「ほらね、いっつもこうやって濁されんの」

「いっつもって...」

いつも同じようなリアクションをしていると思うと、その進展のなさに根も葉もない噂に頼りたくなる気持ちも分からなくはない。まあ告白もされてない状態なんだし、仕方ないと言えば仕方ない気がするけど。

「イノワ君のことよく分かんないよ。あまり話したことないし、気になりはするけど..」

「大丈夫だよ、色々調べたら結構優しいヤツだって言われてるんだから。頭は少しアレだけど運動神経は抜群にいいんだって」

水野イノワ。ミツキはこう言っているが私たちは何気同じクラスだ。話こそあまりしたことはないが軽い挨拶程度はする仲のはずだったが、ミツキはあえてそう言っているのかそれともただ忘れているのか、今聞くことではないだろう。

「ミカも何か言ってあげて、彼氏なんて望んでほいほい出来るものじゃないって」

「確かにほいほい出来るもんじゃないけど...フミに想いがないなら無理強いしなくていいんじゃない?そこんところはどうなの?」

私はフミに問いかけた。

「....」

悩んでいるようで答えはない。ミツキもフミが嫌がることはしたくはないだろうけど、これは嫌がっているのかそれすら判断できない。

それなら...と私は次の質問を出す。

「相手から告白されたらどうする?」

「うーん...」

更に悩ませてしまったようだ。彼女の中に決定的な話の落ちどころがないのだろう。それならばミツキの告白に一歩近づけるかもしれない噂話を当てにするのも悪くはないのか。

「実際に付き合ってみてダメだったら別れればいいよ。その後はどうにでもなるよ」

「相手も相手よ。さっさとコクって粉々に粉砕すればいいのに」

「いや、何で振られる前提なのよ。負け戦なんて誰もしたがらないでしょ」

「負けるか分からないのに勝手に負けを認めんなよ!」

「さっき自分が負けることを口にしたんでしょ...」

フミをそっちのけで水野の話題に火が付きそうになった時、今まで開かなかった彼女の口がようやく開く。

「ミカ...ミカもミツキも、ずっとそばにいてくれる?」

今ここで聞くような内容なのかと一瞬言葉が詰まる。それに口火を切ったミツキは勢いよく

当たり前でしょ!と言った。

「そんなことでフミと友達やめるとかなんないから」

「...ミカも同じ..?」

その言葉が必要なのかとも思うが、彼女には必要な言葉なのだろう。

「ミツキと同じ、当たり前だよ。断ってきてもそばにいるからね」

歯痒いことを口にすると目を逸らす癖は早く治さないと、こいう場で真剣味が薄れてしまう。

「..そっか..なら、付き合ってもいいかな..」

何が決定打だったのか、本当に何がきっかけになるかわからない。


昼休みも終わる中、フミの言葉を聞いたミツキは一目散に行動に出る。おそらく水野のところに行ったのだろう。

ミツキのお弁当をフミと一緒に片付ける中、フミは言った。

「もしさ、告白されたら何をすればいいの?」

そのあまりにも無垢な質問に、改めて藍堂フミという女性への愛しさと、同時に不安を覚える。

「えぇっと、どっか遊びに行くとか?映画とかディズニーとか水族館とかでも。まあ近場でフラフラするのもありなんじゃない?」

フミは少し考えて、

「ミカも一緒に来てくれる?」

と、付き合うという解釈を履き違えている言葉に先ほど覚えた愛しさは薄れる。


「いやいや、流石に無理だよ。異性と付き合うのは、まあ大体が結婚を前提に考えてるものだし、私やミツキが入るこむことは出来ないよ。それに相手だって、2人っきりで一緒にいたいと思ってるはずだよ」

だから同じ時間を過ごして、本気なのかどうか確かめるんだよ。

とは言いつつも、好きかわからない相手と付き合うのか、という問いを自らでした時、回答には困ってしまうのだろう。

「でも、一緒には居てくれるんだよね?」

いつも話している時とは違い、明らかに動揺している様子だ。いや、これは変化の恐れか。確かにこの子は、今ここで異性への接し方を理解しておかないと後悔しそうだ。だけどまさかここまで恋愛に対して無頓着だったとは思いもしなかった。


「で、水野は未だ渋っていると」

帰宅部の私たちはフミの帰りを待つ間、昼休みの行動の事を聞く。

「ヤバいよね。優しいってのもなんか怪しく思えてきたわ」

「いや、それとこれとは関係なくない?」

明らかに毛嫌いしてそうだがミツキはそれでも水野を応援するのだろう。他でもないフミのために。

「どちらにしてもアイツのケツ引っ叩いてでも告白に持っていかなきゃね」

「噂話を頼るの?でもそれで水野が告るとは思えないんだけど」

「まあ噂話だけじゃね。ぶっちゃけイノワだけじゃないんだよ」

「えっ?」

「フミのこと気になってる人はイノワだけじゃないからね。昼休みはその人を使って焚き付けたの」

「ちょっとまじ?フミってそんなにモテてるの?」

「ミカはそいう話あんま興味なさそうだったから話さなかったけど、今までも結構いたんだよ。フミはその度に逃げるか、そのままにするかしててね。どうせこの先もモテるんだから、今のうちに男という生き物を理解しといたほうがいいなって思ったのよ」

はぁあ...

フミのことはよく知ってるつもりだった。だが何よりもミツキがここまで恋愛において、行動力を見せることの方が今は驚きを隠せない。フミの将来を気にしている、この子はいい加減で適当な時があるがやっぱり友達思いなんだと改めて嬉しく思う。

「で、そのもう1人って誰なの?」

「坂出ハルっていうんだけど知ってる?」

「何組?」

「1組だよ。イノワより成績よくて部活の部長やってんだっけね」

「へー。しっかりしてそうじゃん。てかそんな人にも目付けられてるフミってすごいね」

「うん、でもあんまいい感じしないんだよね。自分の立場を理解している人間っていうかさ、なんか鼻に付くっていうか」

「あぁ〜、だから水野をってこと」

「そう。坂出は今すぐにでも告白しそうでね。

それならイノワの方がフミのこと考えてる気がするから、癪だけどアイツを応援してあげよってね。同じクラスだし何かあればすぐとっちめてやれるし」

言葉に棘を感じる。やっぱ毛嫌いしてるな。

「とりあえず私の考えは、噂話でイノワをその気にさせて後日フミの気持ちをイノワに伝える。確信を持ったイノワは坂出という存在に焦りを覚えてようやく告白!てな流れよ!どう?どう?」

「いいんじゃない?てか完璧でしょ」

「でしょー」

2人で意味もなくハイタッチを決めるとフミが奥の廊下から歩いてくる。

「2人とも〜ごめんね!お待たせ」

「部活お疲れ様。フミは一旦家帰るよね?ミツキは直接家に、だよね?」

「うん、一回顔出さないと、お母さんうるさいから」

「私はおk!親にはもう伝えてあるし、てか朝から泊まり道具持ってってあるからね♪」

「準備早っ。さすがミツキだね。私も準備できたらすぐ行くね」

「了解、買い物して行くからそんな慌てなくていいからね」

「はーい!」

久しぶりの泊まりだからか、フミはいつものフミに戻っている。ミツキも先ほど見せてた顔つきよりも、気持ち柔んでいるように見える。

兼ねてより計画していた泊まりだが、都合都合と先延ばしになって、ようやくこの日を迎えた。だから私も今日という日はとても楽しみにしていた。

3人で歩く帰り道、分岐のところでフミは自宅の方へ、私とミツキは2人で近くのスーパーに寄って家に着く。友達との買い物はやっぱり楽しいが、買いすぎてしまうのが痛い。

フミが来る準備を進める中で唐突に先程の話の内容を思い出す。

「てか、水野はなんて言ってたの?」

「噂話のこと?そんな信じてなさそうだったかな。でもまあ実物を見れば信じるでしょ」

「実物?見たことあるの?」

「ない!でもエリが見たって。日がある時には絶対になかった赤いポストが夜になって立ってたんだって」

「エリって新聞部の?なんかますます怪しくなってきた気がするけど...」

「まあね。でも結構見たって人多いんだよね。よく通る道でふと周りを見渡すと見慣れない何かが立っていた、って」

中々ホラーな展開に少しだけ背筋が凍る。

「う..うん。ならそれがなんで願いを叶えるって噂話が広がったの?」

「え?」

「うん?」

「いや、知らない」

「...」

「まーま!それはあくまで建前!その後のサポートをこっちがすれば赤いポストの真偽なんてどうでもいいってことよ!」

途中までは良かったのに..ミツキらしいと言えばらしいけど。

「なら決行日はいつなの?坂出だっけ?今にも告白しそうなんでしょ?」

「まあ確かにそうなんだけど、多分坂出が告白しても大丈夫だと思う。どうせ断るかちょっと待ってって流石に言うだろうし」

「なんでそんなこと言えんのよ」

「だって坂出、女だもん」

「あぁ〜、そいうこと..」

「そいうこと」

だからと言って納得できるような言葉ではなかったが、私は早々にこの話題を終わらせた。どうやらミツキが言うように、私は恋愛絡みの話題は好きじゃないらしい。同性のそれは尚のことよく分からない。フミのことは大切だがこの件に関してはミツキが上手くやってくれるだろうと思っている。そもそも今のところ、私はなんの役にも立っていない気がする。

ちょっとしたパーティの準備もそろそろ終わる頃、時刻は19時を迎えようとしていた。

お菓子でキメるのも悪くないが、以前から気になっていた簡単な料理を作ってみた。

餃子の皮で作った一口サイズのピザ風と、ホットプレートでやるチーズフォンデュ、更に抹茶のチョコレートフォンデュの具材のカット。自炊はできるが、やはり簡単に済ませてみんなとの時間を過ごしたいのでそこは適当に。

あまりにも美味しそうな匂いに2人で盛り上がっている中、掛け時計が19時を指す。

未だ到着していないフミに連絡を入れるミツキだが、呼び出し音はならなかった。

「...通話繋がんない...」

「まじ?」

フミが遅れることは今までなかった。少し心配する性格をしてはいるが、約束事を忘れるような子じゃない。

「自宅の電話番号しってる?」

「分かんないけど、お母さんなら知ってるかも。聞いてみるよ」

「私もう一回掛けてみる」

ミツキは自宅の母からフミ宅の電話番号を聞き出すと急いで電話を入れる。だがフミはもう既に家を出た後だった。

「フミの家からここって30分もかかんないよね?」

「自転車なら10分ぐらいかな。やっぱ全然出ない」

フミ宅にまだ着いていないことを電話で伝えるミツキの声は震えていた。

「ど、どうしよ、ミカ..探しに行ったほうがいいよね?」

ミツキの不安が伝わる。私も不安を隠せずに何度も通話を試みる。

「家族の人、警察に電話するって..」

「私たちも探そ。なんかあっても近くだし警察も来るなら大丈夫だと思うから」

急いで身支度を済ませて扉に向かう。物騒な事件が頻発する中で自分達には関係ないと無意識に思い込む、その全ての慢心にミツキとミカは酷く後悔する。だが、

「ミカー!いる?開けて〜」

インターホンと扉越しから聞こえる声に聞き慣れた声に、2人は思わず座り込んだ。

扉を開けるとそこにはハーゲンダッツマカダミアナッツを買い込んだ、怪我一つないフミが状況も知らぬまま笑顔で立っていた。

スマホの充電が切れていたことと、ハーゲンダッツマカダミアナッツを探して2、3店舗転々としていたことが、警察が動く手前までいった事の発端らしい。両親には通話でこっ酷く怒られたと言うが、今はともかくフミが無事で良かった。

「心配かけてごめんね」

そいうフミの顔はいつも通りの笑顔だった。



数日後、ミツキの計画が動いたらしい。

計画、というほどのものなのかどうか怪しいところだったがミツキも自信満々だったし、上手くいくものと思っていたが、ミツキからの報告でそれが失敗したことを私は知った。

それもあの水野が告白をするところまで行ったのだが、フミは水野の告白を断ってしまったらしい。

「...えっと、そいう手筈だっけ?」

「全然違う..」

元々フミが男性に慣れるための計画のはずだが、付き合ってもいいと言った本人が断ったそれを意味するものが、恋愛経験不足の私たちには分からないことだった。

「フミと話した?」

「まだ話せてない。まあでも自分で決めたことならそれでいいんだけどね。今まで逃げたりそのままにしてたんだから、それに比べたらずっとマシ。てかちゃんと言葉にして言ったんだからイノワは役に立ってくれたでしょ」

とミツキは言った。

「でも、なんかフミらしくない気がするね。ずっと奥手だったんでしょ?最近まで恋愛に対してあんなに取り乱してたのに、よく断ったじゃんね」

「うん..というかさ、勘違いならいいんだけど、あの日以来フミ変わった感じするんだよね。私の勘違いかな?」

あの日、ミツキが思うあの日が私の家でのお泊まり会を指しているのであれば、確かに感じた。変わったと思うけど、でも大きく変わった訳じゃない。いつも通りの口調でいつも通りの笑顔でいつも通りの天然。ただそれに一層磨きがかかったような、いつも通りの元気に隠し味のようなものを足された感じ。変わったけどいつも通りのフミ。おそらくミツキも同じような違和感を覚え、そのままにしていた。いやあの日はそんな程度を掘り起こすほどのものじゃなかったから、何も出来なかったと言うべきか。

「明るくなったと言うか何というか...関係あんのかな?」

「...」

部活帰りを待つ私たちのテンションは思った以上に低い。彼女への心配事が消えたのならまだしも、フミが違う方向へ変わってしまったのではないか、目に見えない不安が更なる不安を掻き立てる。

ただ一つだけ、明らかな変化と言えることが一つだけあった。それは多分ミツキが一番感じていることだと思う。

「ミカー!お待たせ!いつもごめんね、待たせちゃって。早く行こ」

「フミ、お疲れ様」

「ミツキ。お疲れ」

断定的でない違和感。この感じは以前にもあった。お互いがお互いを意識して警戒するような溝を2人から感じてならない。帰り道3人で歩いているのにも関わらず口を開くのは私とフミだけ。私はミツキにも話を振るが、その返事はあまり元気がない。

別れの分岐、フミの家は左の道を曲がった先にあるが、私たちの家は右の方向。私とミツキの家はすぐそこにあるので帰り道が一緒になる。

「ミカ、また連絡していい?」

フミは私の手を握って顔を見つめる。

今までもなくはない。だがこれはあからさま過ぎる気がする。

「うん..また3人でグループでやればね」

「ミカと連絡したいの」

「いやでも..」

これは今までのフミじゃ考えられないほど距離が近い。その違和感にミツキは言う。

「フミ、ミカが困ってるじゃん。相談したいことがあればいつものグループの方でしてよ。私も聞きたいし」

「...」

ミツキの提案を辛うじて飲む。おそらくそれは私の表情を読み取ってのことだろう。分かりやすくその顔色は暗い。

「なんかあったの?2人とも?いつもと感じ違くない?」

息苦しい中で、私はこの状況の真意を確かめる。あまりに歯切れの悪い言葉で目は泳ぎっぱなしだろう。

「私がなんかしたのなら言ってよ。謝るから。だからその態度やめてほしい」

私の言葉に便乗する形でミツキが言う。私以上に心配してたミツキからしたら一言あってもいい状況だが、その口調は交戦的ではなく、母親が子の悪戯の意図を確かめる時のような優しい口調だった。だが、

「..べつに?」

帰ってきた言葉は、その一言だけだった。



じゃあまた後でね。と言葉を残しフミはその場を去る。

確実に何かが壊れたような、胸がキュッと締め付けられるような、そんな気分に私は何も言えなかった。

「嫌われたのかな、私」

ミツキは小さくそう言った。その言葉に何も返してあげられないことに、また胸が締め付けられる。

それからというもの私たちの間には以前ほどの距離感はなくなっていた。フミは部活の大会でいつもより帰りが遅くなり、ミツキは飼っている猫が入院したらしく、学校終わりには家と反対方向の病院へ向かう。グループLINEもあの日お泊まり会をした日付から更新はない。

いつかまた3人で笑って歩ける日が来るのだろうか。静けさを孕む家は更に私を押し殺す。ずっといれたらいい。ずっと3人で笑ってればそれだけでよかった。もう戻れないかもしれない。不意にそう思うと辛くて痛くて。

数日後、久しぶりにグループLINEに通知が入る。学校でもフミは相変わらず話しかけてくるが、ミツキはあの日から1人でいることが多くなった。だから私はミツキからのLINEに飛びつきすぐ内容を確認した。そのあまりにも辛く、どうしようもないLINEの内容に通知の嬉しさは消え、言葉を失う。


「ミケが死んだ」


簡潔で、その文字から彼女の置かれている精神状態が伺えるほど。私の目の前は真っ暗になった。

かける言葉、かける言葉。今のミツキにかけてあげられる言葉が、果たしてこの世にあるのだろうか。なんて声をかければいいのか。

大丈夫だよ。心配ないよ。元気出して。可愛かったのにね。明日学校で会おうね。

違う、違う、違う!

どれもミツキのためにならない。何が正解なのかわからない。ミツキには何度も助けられたのに、ミツキが助けを求めている時に私は何もしてあげられない。あの時のように、また私はミツキに声すらかけてあげられない。

LINEの既読1が2に変わる瞬間をミカは見る。フミがこの中でどんな言葉をかけるのか、もしかしたら2人の離れていた距離が戻るかもしれない。そんな希望を思いフミのメッセージを待つ。もし送られて来なくても後で通話しよう。なんて言葉を掛ければいいか分からないけど、ミツキを1人にしたくない。そして数秒後、フミからのメッセージに彼女の淡い希望は紡がれる。


「美味しかった?」


血の気が引く。その表現では足りないぐらいの悍ましさがミカの脳を駆け巡る。

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