第31話 死にゲーのデッドエンド
男は戦場を胸いっぱいに嗅ぎとり、ゆっくりと吐いた。
空模様は鈍色のベルベットを思わせて妖しく、風の血生臭くに湿気が乗る。雨が近いのかもしれない。決着を急ぐ必要がある。さもなくば食いしん坊少女が濡れてしまう。
「お、狼さん……どうして……」
少女は地にへたり込んでいる。か細く哀れな姿だ。いつだかの召喚を連想したが、大丈夫、少女は槍に貫かれてなどいない。介添えの女性もそばにいる。
「召喚術なしに……銀狼殿……貴殿は、私たちのために」
狼と呼ばれ、畏怖され、信頼もされているらしいことに苦笑した。男からすれば好意的にすぎる態度だからだ。もしも男が逆の立場であったなら灰騎を忌み嫌う。制御も交渉もできない超越的暴力など受け容れられない。
軍馬を呼んだ。随分と大柄で強靭な白馬だ。鞍上から世界を見渡した。
ここは野戦陣地の最奥で、少女を護るべく一千人からの大人たちが懸命の備えをしている。立派なことだと思う。無辜の子を理不尽な暴力から庇護することこそ普遍の正義であろうとも。
一跳躍でもって陣地を離れた。疾駆しつつ、担ぎ持った神剣から熱力を引き出した。
戦闘秘術「軍影発現」発動。
たちまち現れた二百騎の騎影……神剣こそコピーされなかったものの弧月装備らしきものは三種そろえたそれらを、十騎ずつ二十隊に分けた。軋みを上げる戦場各所へと急行させる。勇敢に戦う人間たちを援けなければならない。
男は、この地に生きる人々を健気だと思う。忍耐強さにも頭が下がる。
血眼という理外の災厄に呪われて、よくぞ挫けず抗い続けていると思う。
どうも戦死者の蘇りと思しき集団まで戦っているが、死んでもなお戦う気概には言葉もない。
イモータルレギオンの絡繰りを理解し、灰騎へと成り果てた男には、はっきりとわかったことがある。騎馬の疾走にすらつきまとう瘴気……自己の輪郭が大気を毒する感覚は、常にして静かに真実を教えてくれている。
灰騎は異物である。しかも何らかの毒性がある。
血眼と同様に、この世界に在ってはならない存在だ。
人間の騎士や兵士を跳び越え、血眼を一撃した。神剣は恐ろしいほどの切れ味だ。甲冑ごと血眼を斬り裂いて微塵の刃こぼれもない。
縦横無尽に斬り払う。黒い霧が舞い散った。馬蹄が灰を踏む。地に散らばるそれら。
どちらも塵芥だ。さしたる違いもなく、異物の異物たる証左でしかない。
「貴様が神剣の灰騎、群狼の抜群であるか」
勇壮な女騎士がいる。誇りの旗のもと、決意の騎士を侍らせ、いかにも立場のある人相風体だが……その身に大役を課しているからこその威風だ。等身大の人生を捨ててでも大事を成さんとする志は、その者を英雄とするだろう。男はまぶしく思うし、尊敬せずにいられない。
「何故かな、初めてという気がせんぞ……我が虎と雰囲気が似る……多少若々しいか?」
面覆いを上げてまで見つめられたが、会釈も返さない。灰騎は戦うこと以外でこの世界に関わるべきではないと男は考える。それは余計で、傲慢で、おこがましい行為であると。
身をひるがえして神剣を一閃、血眼を三体まとめて屠った。馬を跳ばせ駆けさせ斬りに斬る。多少は手強さもあるが雑に押し切れる程度だ。一合も剣が合わない。いや、今はじめて剣と剣がぶつかって―――剣も首も諸共に断ち切った。大した手応えもなしにだ。
別な血眼たちが目を剥き、血涙をまき散らした。声はなくとも激情を読み取れる。理不尽への憤慨、恐怖を忘れるほどの怨嗟、報復を欲する荒々しい衝動……どれにも男は共感できる。
つくづく思うに、灰騎も血眼も根底は何ら変わるところがない。
社会に絶望し破滅を願望している。
しかも、お門違いな八つ当たりをしているように思えてならない。
痛烈な一撃を回避した。長柄の刃による横薙ぎだったが、男は避けられたものの周囲の血眼が二体ほど霧と散った。さらに来る嵐のような斬撃を、斬った。波打つ蛇行刃がくるくると飛んでいった。
漆黒の異鬼だ。庇の陰から紅の眼光がギラギラと突き刺さってくる。
すぐにも血眼が攻め寄せ、その後ろに隠れてしまったが、すぐそばに潜んでいる。常に殺気を感じる。間合いの外から戦闘能力を測られている。神剣という新たな武器をまずは観察する姿勢……死にゲーのゲーマーであれば当然のものだ。異鬼はやはりイモータルレギオンのプレイヤーか。累計スコアランキング一位のR1。
異鬼は同郷の人間であるとして、血眼はどうなのだろうか。
異鬼も血眼も灰騎も、そろってこの世界における異物であり毒物であるが。
比較対象がいる。この戦場で戦うもう一つの超常戦力……炭火を思わせる兵団だ。その様子は軍影でつぶさに見ることができる。戦意凄まじい彼らは瘴気をまとわない。この世界にとって異物ではない。むしろその炎のごとき力はこの世界に立脚しているようだ。
血眼を造作もなく斬り崩しながら、男は血眼の霧を嗅ぐ。肺腑で味わい、分析する。
ここで異物ならば、どこに由来する?
ここに有毒ならば、どこで安定する?
一つ、忌まわしくも疑わしい仮説があって、男は忸怩たる思いを唸り嚙みつけた。
虚をつく突進で異鬼を間合いに捉えた。素早く伸ばした切っ先は、しかし装甲の一部を飛ばすにとどまった。その欠片を手で取り、握り潰して、吸う。濃厚な黒霧の中に含まれるものを感じ取る。確信への材料がまた一つ増えた。
異鬼が逃げる。血眼に妨害をさせ、間合いを切ろうとしている。
追いつつ、男は自らの軍影を呼び戻した。すでにして戦況は改善している。炭火の兵団が中央突破に成功し、切り分けた敵を片方ずつ圧倒しようという形勢である。
ついと並走してきた灰騎があった。僚騎で馴染みのR9、兎耳兜の軽装灰騎だ。二本角の弓騎兵、R4もいる。手信号で合流の必要性を問われたから、男は無用と返した。戦いが予想通りに展開するのなら、男はもう戦場全体へ関われなくなる。他の異鬼への対処を任せたかった。
やはりか、漆黒の異鬼が戦闘秘術を発動した。
次々に現れる二百騎は、どの一騎も手強く、連携に関してわずかな隙も期待できない。
対する男もまた二百騎の軍影を率いる。こちらもまた血眼をものともしない強力さだ。
追うと追われるとの位置取りではあるが、高速の中で互いに隙を伺っている。どちらも本体が急所であると同時に最強の一騎であり、衝くべき弱点とならない。相手を動かす取っ掛かりがない。
つまりは地形の変化が引き金となる。
進行方向にそれなりの林が見えてきた。異鬼はそれを左右どちらにもかわさず、隊伍を乱してまで駆け入った。乱戦に誘っているのか、それともわずかな時間差で伏撃を狙ったものか。
男は五十騎だけを突入させ、自らは百五十騎を率いてむしろ後退した。
敵がこちらの特異性に気づいていないのなら召喚元の火を狙う。木立の乱戦に紛れて少数を離脱させ、戦場へ戻す。その中にこそ異鬼はいる。
百を数えるよりも早く、来た。
林の脇から飛び出してきた敵百騎の進路を遮るよう駆ける。舌打ちが聞こえた気がした。百騎はそのまま駆けさせ、五十騎と共に鋭く旋回、直撃を狙う。
察せられた躊躇いは二秒ほどか。敵五十騎が向かってくる。互いに相手を右側に見て馳せ違う軌道だ。
先頭に漆黒の異鬼。男もまた先頭である。
交錯した。
兜を大きく斬り裂いたが、致命傷とは思われない。向こうは端から身をひねって避けていた。それでも男の右手首を狙ってきたのだから、技巧といい執念といい侮れない。浅いが手傷を受けた。馳せ違い自体は相互に被害軽微であったが。
もう、討てる。
男は五十騎ずつの三隊で攻めている。敵五十騎の駆け行く先はもはや手のひらの上だ。もはや林の中の百五十騎との合流も叶わない。
それは異鬼の方でもわかったのだろう。
真っ直ぐに突っ込んでくる。五十騎ひと塊となっての突撃だ。二隊で挟み込むようにして受け止めた。三隊目も追い付かせ、馬列を広げて、完全に包囲した。
あとはもう殲滅を作業するのみ。剣が薙刀が閃きに閃いて、黒霧が夜を夜よりも暗くしていく。
暗闇の中心に、漆黒の異鬼。もはや両腕もない。
兜は脱げ落ちたか、立体感なき暗黒の中に硬質の紅色だけが禍々しく光を放っている。毒性の強い妖光だ。男を呪おうとしているのかもしれない。憎悪が質量をともなって甲冑へ爪を立てる。引っ掻いてくる。
神剣を突き刺した。異鬼が燃え上がった。
燃やされる暗黒の奥に、部屋が見えた。暗く狭く散らかった部屋だ。VRゴーグルをつけた痩せぎすの男が横たわり、もがいている……死にかけている。
―――呪え。お前を孤独のまま殺す男の名を知り、呪いながら死んでいけ。
男は仮面を外し、自分が人間であった頃の名前を告げた。告げたことでその名前を忘れ果てた。
漆黒の異鬼は燃え尽きた。もう二度と、どちらの世界にも現れることはない。
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