第30話 決戦攻防の聖騎士
霊妙な現象に臨み、アレンヌは呆然と立ち尽くすよりなかった。
帝国史にいわく。
戦乱の大陸は一人の英雄騎士……後の帝国初代皇帝の活躍により平和の時代を迎えることとなった。神はその偉業を讃え、彼の佩剣へ特別な祝福を施したという。すなわち伝国の神剣の起源であるが。
つまり神剣は記念物に過ぎないと祭殿は説明する。
英雄騎士には巫女が付き従った。神の加護を受けた彼女……三人存在したという説もあるので彼女たちと言うべきか……いずれにせよ巫女の手には一振りの大剣が抱かれていた。聖剣だ。巫女の父親の遺剣であるというそれは炎に祝福されており、邪悪を焼き祓うのみならず、死せる戦士たちを戦場へ帰還させたとされる。
すなわち聖剣こそが人間の決戦祭器であったと、祭殿は今に伝えているのだ。
―――伝承の真実を、私は目撃している!
そら、戦塵の中から戦士たちが次々に立ち上がってくる。
彼らは灰騎のようであり、同時に、血眼のようでもある。
甲冑は騎士や兵士のそれだが兜の頂から足甲の先まで黒く染まっている。目元口元は暗く陰っていて人相を知れないが、瞳の代わりに灯る光は炭火を思わせる。全身から熱を発しているのかもしれない。体表には陽炎がゆらめき、所作には歴戦の趣きが漂う。
明らかに生者ではない。しかし不死とも何かが違う。アレンヌはその理由の一つを視線に見つけた。
一万人を超える彼らは、一人残らず皇女に注目している。
彼女との再会に歓喜し、再びの戦場に奮起し、彼女から下される命令を待っている。その姿は余りにも見覚えがある。すぐそばに似姿がある。聖殿軍団だ。皇女に率いられて死地の只中にある彼ら彼女らの気炎万丈を、炭火のごとき戦士たちはそのままに体現している。
―――まさか、これを計算に入れた戦略だったのか!?
聖殿軍団は当初七万からの兵力を城砦に集結させた。それがいまや二万を割る。帝都への進軍に際して各地の拠点を利用せず、野戦を繰り返したからだ。それは大軍の鈍重さが原因でもあろうが、それだけではなかったのかもしれない。必要な犠牲を数えていたということはあるまいか。実際、聖殿軍団は戦いのたびに鎮魂の儀式を執り行っていたという。聖剣を埋め尽くす血の刻印は、そうやって増えていったのではないか。
全てが聖剣伝承を再現するため……言ってしまえば五万を死なせて一万の炭火の戦士を得るためだったのだとすれば、その所業は兵士に対して酷薄であるばかりでなく、皇女に対してひどく残酷だとアレンヌは思う。
万を超える戦死を背負い、万を超える戦士を束ね戦い続ける。
それは、はたして、一人の人格に耐えうる責務なのだろうか。
「よくぞ舞い戻った! 我が同胞! 死の安寧からも馳せ来たる英霊たちよ! 決戦である! 速やかに鋒矢陣形をとるべし!」
皇女の声に応え、炭火の軍勢が隊列を整えた。その動きはまさに精鋭の機敏さである。
「突撃せよ! 突撃せよ! 突撃せよ! 汝らの勇猛をもって怨敵の中央を突破してのけよ!」
心得たりとばかりに剣槍を掲げ、炭火の軍勢が前進を始めた。多兵種混合軍であるがゆえに騎馬の襲歩の速度はないが、遠ければ矢を射かけ、近づけば槍を投げつけ、近接の間合いに入るやそれぞれの得物で襲い掛かる。獰猛さは血眼に優るとも劣らない。
アレンヌは知らず拳を握っていた。我がことのように力が入った。怒りに共感するからだ。戦士たちは激しい怒りをもって血眼を襲っている。嚙みつくことさえしかねない狂奔は、まさに人間の復讐心そのものだ。
聖殿軍団も動いた。
一度は場所を譲るべく分かれていたが、再び横陣を整え、炭火の軍勢の後に続く。その歩みは整然としていて着実だ。弓射を主として牽制し、炭火の軍勢を半包囲せんとする敵の動きを押しとどめている。
そんな両軍の隙や弱点を、的確に補う騎兵部隊……灰騎たちだ。
百騎ずつの十隊となって戦場を縦横無尽に駆けまわる。味方の劣勢あらば駆けつけて拮抗状態にまで回復させ、拮抗状態を見つければぶつかっていって味方の優勢を招き、味方の優勢へやって来るや猛烈に突き崩してみせる。やはり強い。しかも鮮やかだ。戦術眼と戦闘力が頭抜けている。
優勢だ。血眼の三万兵力を明らかに押し込んでいる。
全体としてかくも味方優位であるのは、三軍の思わぬ連携もさることながら、血眼の動きが鈍いからだ。いつもの凶暴さがない。原因ははっきりとわかる。炭火の軍勢だ。彼らの猛攻に、血眼が怯んでいるようにも戸惑っているようにも見受けられるのだ。
「……貴様らも、味わえ……」
アレンヌの口からついて出たのは、そんな血眼の振る舞いに対する、憤りだった。
「恨んで、憎んで、襲いかかってきておいて! 恨まれ憎まれ襲いかかられることを想像だにしないなどと! そんなことが通るか! まかり通ってたまるものか!」
叫びつつ思う。これで公平だと。これは正当な逆襲なのだと、血眼には思い知らさなくてはならない。それではじめて戦争になる。災害への対処ではなく、勝利を目指す戦いになる。
―――祭殿がイモータルレギオンを拒否する理由は、これか?
また、思う。これだけでは勝ちきれないとも。
確かに戦況は優勢であり、血眼を後退させてはいる。しかしそれは三軍の連携による戦果であり、灰騎たちの的確かつ強力な支援がなければ成り立つまい。
そら、血眼が徐々にだが両翼を伸ばし始めている。炭火の戦士たちを中央で受け止めつつも聖殿軍団を左右から直撃しようという動きだ。騎馬同士のぶつかり合いになったが、灰騎の来援があってようやくの五分と五分。やはり人間と血眼では地力が違う。かかる死地においては生者であることが不利に働きすぎる。
地力においての最強は、やはり灰騎だ。
どんなに弱い灰騎であろうとも血眼の三体くらいは軽くあしらうし、強い灰騎ともなると文字通りの一騎当千ともなりうる……灰銀の狼であれば、当たり前のように単騎で血眼の千体くらいは討てそうだ。
その抜群の力を目の当たりにしたロイトラは、しかし考えを改めることがなかった。むしろより拒絶した。
―――滅亡に瀕しても手段を選び、灰騎を利用しつつも厭う……警戒心も露わにして。
神剣は明滅を強めている。まるで心臓が熱く鼓動するかのようだ。ポイはそれを抱しめているというより、抱きとめているといった格好である。まるで暴れる獣をなだめるかのようだ。
―――そうも灰騎を危険視する、何かしらの根拠があるのか?
戦況が動いた。近衛騎士団が左翼側へ迂回し、敵右翼への側面攻撃を敢行したのだ。
味方左翼はそれで盛り返した。血眼へぶつかり、押し出していく。灰騎もその動きに合わせ……ない。動かない。いや、離脱した。戦場左方へだ。方々から灰騎が集まってくる。そのことで味方が劣勢になることも構わず、灰騎一千騎は戦いへ背を向けてしまった。
「……違う。彼らは私たちを助太刀してくれる、味方だ」
何を否定し、誰に言い聞かせたのだろうか。アレンヌは灰騎を信じ、彼らの見つめる先を眺めやった。
敵の新手だ。
山裾から馬列も整然として駆け来る敵、およそ一千騎。
速い。弾かれたように速度を増して、草原に恐るべき弧を描く。狙いは近衛騎士団か。
―――あれは! あの、黒い大蛇のような動きは!
灰騎が迎撃すべく駆ける。これも速いが、助走の問題なのか最高速度の差なのか、間に合うかどうか際どいところだ。拍車をかけたのかさらに加速したが。
黒蛇が二匹に分かれた。五百騎の小回りでもって旋回し、灰騎の馬列半ばへ突き刺さる。
灰騎は加速に注力した隙をつかれた形だ。蛇同士の対決と見るのなら、灰色の大蛇は腹を喰い破られたようなものだ。そのまま両断され、のたうつ後尾がさらに襲われる。危険だ。進路を塞がれ速さを失っている。殲滅されかねない。そうはさせじと前半分が戻り来る。黒と灰の馬列が複雑に絡み合う。
そうする間に、もう五百騎の黒蛇が近衛騎士団を襲っている。
騎士も近衛兵も応じきれていない。敵の接近に気づいてはいたろうが、後背からの騎馬強襲とあっては、陣形の変化が追いつかない。三千人からの人間が意図をもって列を整えるというのは難事である。精鋭であっても限界があろうに。
不思議と、崩れていない。被害を出しながらも隊列の組み替えが進んでいる。精鋭の精鋭たる所以か。
否。灰騎だ。
ただ一騎の灰騎が長大な剣を振るって獅子奮迅の働きを見せている。
―――あれは聖剣の……皇女に侍る、特別な灰騎!
遠目にも凄まじい剣さばきで血眼を討ちに討つ。その活躍が歯止めとなって蹂躙を抑止している。しかし数の差は如何ともしがたい。しかも、かの敵は普通の血眼ではない。袋叩きだ。馬を斬られ、手を足を射られ突かれ……それでも灰騎は奮闘をやめない。いよいよ鋭く斬撃が閃く。
―――皇女殿下……貴女は、そうも献身的に守護されているのに!
首級が天高く舞い、灰へと砕け散った。
波打つ刃の剣を振り抜いたのは、漆黒の甲冑に身を鎧った、異様なる血眼だ。血眼を黒蛇たらしめる、あの血眼だ。首を振り、肩をすくめ、長柄と持ち替え人間を殺し始めた。
ポイが何かを叫んだ。神剣が燃え上がり、投げ出され、地に突き刺さった。
とてつもない熱量を放つ炎の中に、アレンヌは見た。灰銀色の篭手が現れ、神剣の柄をつかむ様を。
つかまれるや刀身に明滅する刻印が激しく脈動し、赤熱を伸ばして古錆びを破砕していく。古い時代の意匠なれども間違いなく馬上から敵を斬るべく鍛造され、研ぎ澄まされた刃……今や灰銀色に澄み渡る刀身には幾筋もの赤熱が血管のように張り巡り、鼓動のような明滅を繰り返す。
神剣を引き抜いて……灰銀の狼が、この世界に現れ出でていた。
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