第29話 聖騎士と決戦宣誓
「却下する」
参戦を志願したアレンヌたちに対し、皇女はにべもなく言ったものだ。
「勘違いするな。砦兵の指揮権も、義勇軍の独立行動権も、コムニカッティオ公爵個人に対して認めたものでしかない。特務隊も任務を終えた以上は解散だ。それを志願などと……今や貴様らは我が指揮下にあると知れ。我が命令のもと帝都奪還作戦に参加せよ。傷病兵でも務まる役割をくれてやる」
かくして義勇軍残存兵力は一千三百六十七名はひとまとめに支援隊とされた。その主たる任務は輜重隊の補助と護衛であり、負傷者の介護や陣地設営にも可能な限り尽力するよう命じられたが。
「……保護だな、これでは」
「んぐ?」
「いえ、何でも……どうして眉に粥がつくのです?」
アレンヌは寸鉄も帯びていない。長櫃を椅子にしてポイと共に休んでいる。
匙を口元まで運び、戻して、小さく息を漏らした。
大川西岸に築かれた野戦陣地の中でも後方にして奥まった位置の幕舎をあてがわれている。つまりは傷病兵扱いである。武装のままならない者たちとて忙しく動いているが、アレンヌとポイは非力にして虚弱であるとして仕事もない。二万をきったとは聞くものの聖殿軍団は精鋭ぞろいであり、相当の備えが築かれつつある。
大川上流と山裾とで挟まれた隘路の先に帝都の空を望む……かかる平野が、策定された決戦地である。
灰色を濃くしていく空に遠雷が轟く。見えなくとも日は沈んでいく。
夜が来る。最後の戦いが始まろうとしている。
「同じものを口にしているとは思えない様子だな、お前たち」
アレンヌは椀を取り落としそうになった。皇女だ。伴った近衛兵に「粥を鍋ごともってこい」と指示しつつ設えられた床几に座った。向かい合う形だ。立とうとするが手で制された。
「どうということもない粥だな。しかし最後の食事となる者もいようし、多くの民にとっては平穏な日々の味わいでもあろう……ま、胃もたれはせずにすみそうだ」
カラカラと笑う様子はどこかが公爵に似ている。血縁であるからか。それとも高貴な身分ゆえか。
ポイも、不思議そうな顔をして皇女を見ていた。
透き通るように綺麗な双眸……その目元はまだ赤く腫れている。公爵の死を知らされた彼女は目を見開いたきり声も表情も消えて、ただ涙を流し続けたという。アレンヌとウラタがここへ到着した頃には眠っていた。起きてからは普段通りに見えている。
「どうした小娘。私の顔に何かついているか?」
「伯爵とそっくり」
「フウン? ああ、公爵のことか……伯父と姪ならば顔が似ることもあろう」
「顔は違う。命が似てる。立派な頑張り屋さんって形をしてる」
思いがけないことが言われ、思いもよらない届き方をした。アレンヌの見間違いでなければ、皇女の片方の目から水滴が一筋流れ落ちた。
「そう……そっかあ……そんなとこが、おっちゃんと似てるかあ……」
うつむき、絞り出すようにつぶやいて、皇女は粥をまた食べた。匙が細かに震えている。
「公爵ほどの料理達者はそういない。お前は幸せ者だ。何が一番美味であった?」
「ニコニコ笑顔で剥いてくれる果物」
「……ああ……そうだな。剥いてくれたな、色々な果物を。確かにあれはうまかった……」
アレンヌは改めて思う。この世界は残酷で、悲哀に満ち満ちていると。
しかし同時に思うのだ。どうしてこうまでも綺麗で、愛しいのだろうかと。
神剣に選ばれた少女と、聖剣の主となった女性とが、粥をすすっている。互いに慈しみ合いながら、もう会えなくなってしまった大切な誰かを想い合っている。
自らの手を、アレンヌは見た。すっかり萎えて血色の悪い手だ。握る。強く強く握って、身体中の熱を集めて、戦う力を欲した。覚悟はある。傷病者の横たわる幕舎を見やった。祝福の子を含む召喚術士たちがそこで何人も休んでいる。彼女たちは黒衣である。
「公爵の試みは潰えたが、なあに、私の試みは順調そのものだ」
去り際に、皇女は悠然と笑んだ。
「精々養生して我が勝利を見届けるといい。我らは我らに由来する力をもってして帝都を取り戻す……そのための用意がある。いつまでも得体の知れん化け物どもの跳梁跋扈を許すほど、人間は情けなくも弱々しくもないのだから」
堂々とした後ろ姿に近衛兵たちが、騎士たちが、兵士たちが力強く付き従う。力なくも粛々と召喚術士たちが後を追う。運ばれていく者も多い。行く手には大篝火の準備が整っている。聖剣を捧げ持った大僧師と聖騎士たちが控えている。
そっと、しかし強固に柵が閉ざされて、前方と後方とは区切られた。
「アレンヌ」
ポイに裾を引かれた。神剣を抱え、半ば杖のようにしている。手も、顔も、粥を平らげたとて血色を取り戻せていない。
「狼さんは、化け物じゃないよね?」
「もちろんです。私たちを助けてくれる無敵の騎士……そうでしょう?」
「うん……そうなんだけど……」
いつも動じない態度でいる彼女だから、その不安そうな様子はアレンヌを驚かせた。
「……胸がザワザワするの……」
震えるポイをアレンヌは神剣ごと抱きしめた。奥歯がギリリと鳴る。自らの不甲斐なさが憤ろしいからだ。公爵への申し訳なさで身体が熱く……いや、何か熱いものに触れている。ポイではない。
ただ事ではない熱を発しているのは、神剣だ。
錆に塗り固められた刀身の刻印……狼を意味するそれが、赤々と明滅している。
「ポイ殿、召喚術を!?」
「ううん、何もしてない! ぼく、何もしてないよ!」
「し、しかし、これは……!」
柵向こうで鐘が打たれた。夜を目前にしてなにがしかの弁舌が振るわれ、猛々しい喊声が上がった。太鼓が鳴る。その音に導かれるようにして軍勢が展開していく。陣地には最低限の守備兵しか残さない。
―――打って出るのか! 野戦で、血眼と真っ向勝負を!
音を立てて大篝火が燃え上がった。炎の輪郭が天高く激しく揺らめく。暮れるよりも早く空を焼こうというのか。それとも呼び水ならぬ呼び火なのか。曇天が赤黒く染まっていく。不穏さを極めていく。
黒い軍勢が、山裾からにじみ出てきた。
瘴気を呼吸し蠢動するそれらの、なんと多勢なことか。あれなる塊を二千と数えて、あちらにもそちらにも黒影が群れて……六千……一万……帝都方面からも来る……一万八千……二万四千……三万。少なく見積もっても三万に余る。
大軍だ。
国を崩し、この地の人間を一掃するのも容易いほどの大軍勢だ。
対する聖殿軍団は、中央に長槍兵六千竿、その両脇に弓兵それぞれ一千張、さらに外側に散兵それぞれ一千五百卒、そして両翼として左右に騎兵二千騎という陣容だ。皇女は近衛騎士団三千兵力と共に中央後方にあるが。
合算して一万八千。すでにして数に劣る。一体の血眼に対抗するためには十倍以上の人数を要するというのに。
灰騎が次々と召喚されるが、しかし、その数も一千騎と少々である。術の行使で力尽きた者もいるだろうほどに無理をして、それである。
―――これで、どう勝てるというのか!
事実、灰騎たちの動きにも慎重さが感じられる。いつものように駆け出さず、さりとて退くこともせずに、隊列を整えて平野を進んでいく。敵味方どちらかの視線も集めて勇壮な行軍とも映るが……死兵ないしは捨て兵のようにも見えてしまうから、アレンヌはうめいた。
灰騎は助太刀だ。どこかここでない異邦から祈りに応えて駆けつけてくれる騎士たちだ。不死かどうかは問題ではないとアレンヌは考える。ありがたいのは、その心意気なのだと。
―――まさか、灰騎を見殺しにした上で、玉砕するつもりなのか!?
叫び出したくなるような激情は、新たな驚愕によって消し飛んだ。
霊威が、これまで感じ取ったこともないほどの強烈なそれが、戦場に吹き上がったからである。灰騎の召喚に用いられた大篝火からではない。ポイの抱きしめる神剣からでもない。
聖殿軍団の中央後方……皇女だ。皇女が何かを掲げている。
遠いはずのそれがアレンヌにはよく見える。声も聞こえる。尋常ならざる何かが起きている。
「熱よ。生きて燃え、死してなお燃え尽きぬ命の熱量よ」
呼びかける皇女の手には、今や異様な有り様となった聖剣がある。古錆びを覆いつくす血文字、その一つ一つから霊威が噴き出している。咆哮すら聞こえてきたかもしれない。
「我、群れ来たる敵を打ち砕くための力を欲するがゆえに、勇敢なる英雄諸氏へ再びの参戦を要請するものなり。我が血、我が剣、我が宣誓を通じ、ここに今一度の戦いを挑むべし」
今や嵐のごとく吹き付ける無形の力の中心で、皇女は言い放った。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます