第32話 帝都大祭場と死にゲー

 つけ直した仮面の外し方も忘れて……狼は、戦場を睥睨した。


 血眼の遊軍らしき騎馬部隊は灰騎に殲滅されつつあり、炭火の兵団と人間軍により血眼の半数が包囲撃滅されている。残る半数も統制を失っており、人間軍の強固な陣構えに太刀打ちできていない。灰騎か、炭火か、いずれかが加わればすぐにも壊滅するだろう。


 つまり、人間側の勝利は確定的である。


 だから、狼は先へ行くことにした。帝都への先駆けだ。


 二百騎の群狼を率いて夜を疾走してゆく。暗雲は遠雷の轟きをわななかせ、妖しく蠢き、いよいよ孕んだものを産み落とそうとしている。それらは回避不可能の害意だ。灰騎を狙い撃つものだ。急がなければならない。


 山裾と大川に挟まれて関所があった。壊され方から察するに、あちら側から血眼の軍勢が殺到し、こちら側へあふれ出したのだろう。残骸には人骨や武装も多く交じる。壮絶に戦って誰かの退避を援け、悲惨になぶられて、今日の日まで誰に確かめられることもなかったのだ。数瞬の黙禱で哀悼と敬意を示した。


 つくづくと狼は思う。この世界の人々は美しいと。


 自分たちには何の罪も因果もない災禍に見舞われ、殺されに殺され、踏みにじられて……それでも決して抗うことをやめない。何が大切なのかを間違えず見失わず、それを護るためにこそ勇敢に命を燃やす。


 狼は、きっとそうではなかった。大切にすべきものを誤り、戦うことを諦め、くすぶっていた。もうおぼろげにしか思い出せないが。


 関所を駆け抜けると、そこは瘴気の大澱みであった。


 粘性すら感じる暗闇が停滞していて、灰騎の視力をもってしても三方に連なる山並みがおぼろげにしか望めない。尖塔の立ち並びようからして帝都帝城らしきものも見て取れるものの、近寄るためには進むというよりも潜るという意識が必要かもしれない。


 軍影を消し去り、神剣の赤熱を強くした。灯火のように掲げて帝都へ向かう。どこもかしこも敵意に満ち満ちているが血眼の姿はない。戦場へ出尽くしたのだろう。有象無象の骨格獣を適当に馬蹄で蹴散らし続けた。


 進めば進むほどに目撃する、凄惨な殺戮の跡。万死に値する蛮行。


 潜れば潜るほどに露見する、醜悪な真相の証。憤死を堪える苦行。


 大川を渡る大橋が瘴気溜まりと化し、見通せない暗黒の中に怨嗟が渦巻いていた。狼は唸る。とうとう日本語が聞こえてしまったからだ。他にも様々な言語……英語、中国語、ドイツ語、フランス語、イタリア語などだろうか……どの声も呪いそのものである。


 ポツリと、何かが地を汚した。


 雨だ。ついに降り出した。ノイズのような音を立てて何もかもを曖昧に、陰鬱に、みじめに濡れそぼらせていく。神剣が憤ろしそうにそれを弾き、熱量を高めている。


 瘴気溜まりが毒々しく沸き立ち、黒い汚泥を撒き散らした。


 それら泥の塊の一つ一つがおぞましく蠢き、伸長し、人型へ変じて……血眼が立ち現れた。


 ―――やはり……ああ……やはり。


 斬るも、虚しい。命を絶った手触りがない。かくも凶悪な殺人存在を出現させおいて、大元の呪詛吐きたちは無自覚であり、今も軽はずみに呪いを垂れ流しているに違いない。


 狼は神剣を瘴気溜まりへ刺し込んだ。


 不快音が鳴り響く。暗黒と赤熱がせめぎ合い、熱気と寒気が激しく絡み合う。せめて苦悶の声でも上げればよかろうに、ひどく不満げな唸り声だけを残して瘴気は散った。


 橋桁は遺骸と遺骨で塗装されていた。欄干にも絡みつきこびりついている。惨劇の内容は想像に難くない。


 罪なき者の悲痛と苦悶を苗床にしてとぐろを巻く……何という浅ましさか。


 一羽の白い鳥が、雨中を滑るように舞い降りた。光に照らされているわけでもなしに、その白色は妖艶なまでに鮮やかである。知性を感じさせる黒瞳が狼を見据えている。


「憐れな、異界の貴方様」


 意味が聞こえた。鳥は微動だにしていない。瘴気を介して届くもののようだ。


「神ならぬ身の分際を越えてしまったから、ほら、人間であったことを忘れかけてしまって。貴方様にも帰る家があるでしょうに、もう、駆けることの他に何もなくなってしまって」


 鳥に人間を語られる奇妙を、狼は謀略として受け止め分析する。敵中深くに味方がいるはずもない。


「お戻りなさい。この橋を渡ってしまったなら、貴方様は、灰銀色に成り果ててしまう」


 狼は目を細めた。望むところでしかなかった。

 

 すでにして考察は終えている。灰騎とは人型兵器であり、その存在意義は血眼をはじめとする敵性異物を撃滅することのみ。それは英雄的な戦争ではないし、献身的な奉仕でもない。責務としての除染であり、糞をひり出した尻をぬぐう類の行為でしかない。


 なぜならば、血眼も異鬼も、地球社会に由来する疫病や汚染物質のごときものに違いないからだ。


「聡明さは不憫さ……貴方様もまた弱者であることを証明している」


 人災なのか天災なのかは知れないが、地球社会の呪詛がこの世界へ流入して……かかる甚大な戦禍となった。大陸は瘴気が吹いて血眼が跳梁跋扈するところとなってしまった。


 だから神を名乗る者たちは「イモータルレギオン」を始めたのだろう。


 すなわち、血眼予備軍とでもいうべき者たちをむしろ除染要員として拾い上げ送り込んだ……それがつまりは灰騎の正体ではなかろうか。だから時として血眼側へも転じうる……異鬼の正体ではなかろうか。


「灰騎は廃棄。異鬼は遺棄。どちらも帰属社会から捨てられた迷い子。憐れにもこの先へ行くのならば―――」


 鳥が飛び立った。不思議と闇にも染まらない白色で空を漂う。


 雨に打たれながら、狼は橋を渡っていく。哀れな屍を踏み崩すたびに武装が力を帯びていく。贖罪と報復が、蹄の音の中で誓約されている。神剣が行く先を照らしている。


「―――せめて、心ゆくまでの闘争を」


 川向こうの地は、瘴気に沈む帝都であった。


 敵が湧く。外壁の崩れたところから、廃屋の屋根の上から、荒れ果てた庭園や池から、辻という辻から……血眼が骨格獣が次々に湧き出でる。穢れた雨を浴びて毒気もいや増しに増し、襲いかかってくる。


 戦闘秘術「軍影発現」発動。


 発動するなり、二百騎を全て分散させた。帝都の全てが戦場だ。狼自身も数えて二百一騎による掃討戦だ。一体たりとてこの夜を越えさせるつもりはない。


 戦って、戦って、大通りへと出た。呪怨の津波のように押し寄せる敵を斬り裂く。神剣が赤色に発光して暗黒を払い祓う。脈動する血管のごとき赤熱がさらに長く細かく伸びていく。切っ先から柄頭までのみならず、篭手にもそれは伸び来たる。何かの残滓が燃焼し、熱力が増大した。


 戦闘秘術、追加発動。


 新たに出現した二百騎と共に津波を押し戻し、遡る。魑魅魍魎の出所は大通りの突き当たるところ、すなわち帝城だ。高い内壁よりもさらに高く尖塔が並び、おどろおどろしく汚染に濡れ浸っている。


 猛然と攻め上がり、帝城の門内へと押し入ったが。


 狼は踏み込まない。超常の感覚が城内部に強敵がいないことを教えている。二百騎を攻め込ませて終いである。


 再びの単騎となって門外へ出た。最も闇濃きところへ……東方へ一区画離れた場所へと向かう。石造りの巨大な施設で、激しく破壊されてはいるものの円形であることは窺える。


 野外劇場のようで闘技場のようでもあるそここそが、帝都大祭場。


 瓦礫と等量の遺骸が転がっていて足の踏み場もない。せめてと下馬したが踏んでいくよりない。一歩一歩が慚愧に堪えない。この場に集まったのか押し込められたのかわからないが、悲惨を極めたろうことは容易に想像されて遣る瀬ない。


 施設中央には祭壇らしきものがある。濁々と汚穢を垂れ流す巨大な鉄皿と、五角形の石台座だ。


 石台座へすがりつくようにして、小柄な遺骸。その腹部に小さな遺骨。


 闇が冷たく深まっていく……無垢なる命の絶望を踏みにじって、闇が確固たる輪郭を整えていく……異鬼の出現である。左右の手それぞれに黒大剣を握りしめている。熊を模した兜の奥に紅の妖光が灯った。


 言葉はなかった。ただ致命的な一撃が吹き荒れた。


 さしもの神剣も大質量とぶつかってはただでは済まない。それが異常な膂力で左右絶え間なく振り回される。体幹も超人的で身のこなしにも安定感がある。攻め入る隙がない。


 しかし当たるはずもなかった。攻撃し続けることを、狼は敵に強いただけである。


 さあ、来た。待っていた攻撃型だ。


 右の黒大剣の軌道を、神剣でずらした。左の黒大剣と接触させた。素早く前転。両の大剣が力任せに振りかぶられた時には懐の内だ。脇へ神剣を突き刺した。赤熱の力が発揮され、狼は感知した。地球上のどこかにあるのだろう半地下の不衛生な部屋で、誰ともわからない男が死んだと。


 狼は己が手を見た。装甲と鎖帷子に包まれて、震えることもなく、力がみなぎっている。頭では新たな戦闘経験をふまえた戦技戦術の向上が図られている。そして心には……。


 大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。また何かが燃焼した。


 狼は祭壇へと近づいた。それだけで鉄皿からも石台座からも水気が飛んだ。神剣がただならぬ熱気を放っている。


 少し考え、神剣で鉄皿へ触れた。熱力を注ぎ込む。力が満ちに満ちて、一気に吹き上がった。天を衝くような大火炎だ。放射される熱量も凄まじい。大祭場のことごとくが熱に洗われていく。仰げば暗雲すらも退いていくではないか。


 夜天から月光も降りて……灰騎が現れた。一騎、また一騎と戦闘形状を顕わにして止まることもない。


 やがて円形の領域には灰騎が溢れんばかりになったから、狼は神剣を振り上げ、その切っ先で東を指した。なるほどそうかとばかりに灰騎たちが駆けていく。意気揚々と死地へ出撃していく。


 かかる次第をもって、火神祭祀は成ったのであった。

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