第27話 死にゲーのイモータルレギオン

 天も地もない暗黒に灯る火……焚火のそばには人影が二つあった。


「ヌ? 暗闇に迷うたかね? よいよい、こちらへ来て火に当たるとよいぞ」


 中世の音楽家のような風貌の男が手招きする。いかにも鷹揚な態度であり、莞爾とした微笑みには気恥ずかしくも甘えたくなって……迷い子は隣へ座った。


「なんだ坊主、お前、泣いてんのか」


 粗暴な髭面の男が顔を覗き込んできた。皮肉げな表情に腹が立ちかけたが、その瞳には深い悲しみとしか言い様もないものが湛えられていて戸惑う。泣いた方が楽になるのにとも思う。


「大の男が泣いてたまるか。だからお前はガキなんだよ」

「ヌハハ、泣きべそをこらえて言うのでは恰好がつかんぞ? さぱっと涙を流しておくか?」

「勘弁してください。意地ってもんがありますわ、何十年も男ってのをやってきたからには」

「おお、見事に貫いてのけたものなあ」


 語り合う二人に迷い子は疎外感を覚えたが、火の中に映ったものを見て「確かになあ」と頷くこととなった。


 髭面が血眼と戦う映像だった。


 騎馬部隊同士の機動戦だが、片や人間で片や不死、まともにぶつかっては勝負になるまいに……髭面は戦果を出し続ける。一千騎からの自隊を分けるもまとめるも変幻自在で、追ってくる血眼を翻弄しつつ、少数の血眼を見つけるや巻き付くように強襲して一息に滅ぼす。


 警戒されはじめると死兵を使い出した。数十人規模のそれを適宜切り離し、あえて敵に襲わせて隙を伺う。隙あらば襲い掛かり、隙なくばそのまま駆け去る。冷徹なものだ。


 それすら対応されると、今度は全騎が死兵と化した。


 体当たり上等の速度で突撃を繰り返す。あまりの勢いに血眼の側が避けるほどだ。


 その動きではっきりとわかったが、血眼の側の指揮は漆黒の異鬼である。よく見れば背景に炎上する林が映り込む。これは先の戦いだ。灰騎が現れるより前に繰り広げられた戦いの記録なのだ。


 つまり、人間の騎馬隊は全滅する。最後の一騎となったのが髭面の男である。


 立ち現れた漆黒の異鬼に髭面は何事か啖呵を切ったようだ。殴られ蹴られなぶられて……白髪交じりの頭をつかまれ持ち上げられた瞬間に、驚くべき機敏さで腕へ巻き付いた。そのまま地面へ引きずり倒して、異鬼の腕を一周半もひねってのけた。直後になます切りにされた。


 壮烈な死に様に感じ入り、迷い子は改めて髭面の男を見た。「うるせえうるせえ」と顔を背けられてしまったが。


「お前もよ、凄えもんだぜ」


 火のためか赤らむ頬と耳の陰から声が届く。


「灰騎にしろ血眼にしろ強えやつばかりだが、おっかねえのはお前だけだった……迷わねえから早えし、怠けねえから鋭いし、楽しまねえから油断も隙もねえ……つまりお前は戦の天才ってやつなんだろうさ」


 誉められたのかもしれないが、美しい在り様とは到底思えなかったから、迷い子は苦笑した。平和な暮らしの中では何の役にも立たない力でもある。


「なんのなんの! まさにお主をこそ我々は求めたのだ! 人間の美しさを知り、それを尊び、それを護るために勝利する万夫不当の英傑をな!」


 大きな手が迷い子の背を叩き、撫でさすり、温めた。


「立派なものだ。お主は頑張ってくれておるよ」


 そうなのだろうか。みじめな独りよがりにならないだろうか。


 迷い子には何もない。誇れるものがなく、醜く薄汚れている。誰に疎まれるよりも早く自分で自分を疎んでいる。自分をみじめにする世界を憎みもしたが……現実逃避のためのゲーム遍歴の末にイモータルレギオンと出会い、美しいものを目撃した。生まれて初めて涙が甘かった。


 頑張ったと、立派だと、自分のことを認めていいのだろうか。


 ああも美しい人々を知っていて、そんな自賛が許されるのだろうか。


「許すも許さぬもあるものか。事実である。儂の娘がお主を選んだ……選ばれたことでお主の奮闘が始まったと言ってもいいのかもしれん……今また小娘に呼ばれ、お主は最も苛酷な戦場を駆け続けておる。何を報われることもなく、ただ美しいものを護らんがために」


 手を、両手で握られた。真っ直ぐに見つめられた。


「ありがとう。お主が在ってくれて、本当に良かった」


 頭も下げられたが、迷い子もまた頭を下げていた。


 目から透明なものがとめどなくこぼれる。どこともわからない闇の底へとそれは落ちていく。底なしの深さが足元で口を開いている。いつものことだった。ずっとその穴の上で過ごしてきた。無様に這いつくばってだ。


 美しいことか、それが。みっともないもがきが、どうして立派だろうか。


 ―――駄目だ。俺が俺を許せない。


 頭を上げた時には背丈が伸びていた。迷い子は、現代日本社会にうらぶれた男となっていた。


 ―――俺のごときが許され、この人たちと肩を並べるなど、おこがましいにも程がある。


 音楽家風の男が眉を八の字にして、つらそうに悲しそうに首を振った。


「なんともはや……寂しい、とても寂しい強がり方をするのだなあ……どれほどの孤独が、お主をそんなにも寂しく寒々しくさせてしまったのか……」


 寂しさに耐え忍ぶことが生きることだった。男はそれしか知らないし、別の生き方を知ったとしても変われないくらいには老いてしまった。生きる意味も死ぬ意味もわからないまま、ただ呼吸を求めている。


 いや……在り様と同じくらいに死に様に魅かれてしまうのは、呼吸すらもわずらわしいからかもしれない。


 やはり、美しさとは眺め讃えるものでしかない。遠く月を仰ぐようにして。


 ―――充分だ。もうそれだけで。


 ふと視界に空の色がよぎった。焚火の向こう側にも人がいる。食いしん坊少女だ。


 名も知らぬその少女は、黒衣をまとって膝抱え、ひどく寂しそうに火を見ている。男たちがいることに気づく様子はない。見えていないのかもしれない。


 哀れだった。


 この子にも家族がいないようだ。親代わりだったのかもしれない存在……音楽家風の男も、今やこうして火の向かい側にいる。彼がどんなにか哀切を極めた顔をしようとも、どんなにか想いを籠めた眼差しを送ろうとも、少女の孤独を癒すことはあるまい。むしろ少女の哀慕を募らせるだけかもしれない。


 ―――父と子、か。


 男は思う。この父子を知りえていて死別させてしまった自分は、やはり許しがたいと。


 どうにかしなければならなかった。やりようはあったはずだ。美しさに心打たれておきながら、悲劇は悲劇であると受け容れてもいるから、またも美しい人々を悲しませ泣かせてしまったのだ。


 ―――不死のゲーム、か。


 手を見て、火を見た。今この時にしか感じ取れないものを貪欲に感受し、分析し、思考する。


 おそらくこの場がイモータルレギオンの本質であり核心だからだ。


 ゲームをゲームで終わらせないために、考える。悲劇を悲劇で終わらせないために、考える。思えば男はずっと世界について考え続けてきた。なぜ、どうして、こうも自分は寂しくみじめなのかと考えないではいられない日々だった。それについてはとうに諦めたが、これについては決して諦めない。諦めるわけにはいかない。


「やっぱ凄えな、お前……お前さんはよ」


 何かが肩に触れた気がしたが無視する。それどころではない。戦場の闇を解明するようにイモータルレギオンの秘密を……神秘的ながらも人為的でもある機構を解き明かさなければならない。


「天才ってのは偉大な仕事をやってのける反面、当の本人は不幸に終わることが多いもんだ……お前さんもたぶん人生って意味じゃ間違っちまったんだろうが……俺は凄えと思うし、力を貸すよ。意地を通してくれや」


 何かが儚く散って、自分に由来しない熱が身体へしみ込んできた。そのことでより感受する情報が増した。戦場の風が匂う。軍馬と甲冑の肌触りが鮮明に思い浮かぶ。


 実在する二つの世界。その間を結ぶ不死の、父子の、フシノゲイム。


「ヌハハ! まったくもって不器用な男たちだ! だがそれもまた男というものよなあ!」


 おだやかに暖かに生きさせたい誰かがいるから、熱く激しく死ぬに足る戦場―――


「儂は小娘へ助力するためここに残るが、なんのなんの、行く果ては同じであるからして……また会おうぞ、炎の中で」


 ―――イモータルレギオンをそう理解しきって、男は灰騎と化した。

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