第26話 重包囲と死にゲー
ひとしきり駆け合って、男は自らの目論見を外されたことに気づいた。
異鬼がいない。
五十騎ごとの四部隊に分かれた敵中のどこにも見当たらない。方々に群れる血眼の中に紛れているのか、あるいはどこか丘の陰にでも潜んだか。どちらにせよ厄介だ。数でも質でも優る四隊と駆け引きしつつ探すなど非現実的である。
―――攻め筋もない、か。
並走する敵部隊の仕掛けをいなし、右方へ旋回した。袖が触れたような斬り合いだが四騎も失った。それは妥協した支払いだ。左方へ避ければ、別の二部隊による逆落としを受けただろう。この先にも一隊が伏せているはずだ。
―――手負いゆえの周到さ……いや、こうも周到なのに腕を手負った?
伏撃を空振りさせ、大きく弧を描くように駆けていく。末尾の二騎を失ったがぶつかるよりは遥かにマシだった。可能な限り敵四部隊をまとめ合わせたい。それではじめて仕掛け様が出てくる。
丘に上がりきれず駆け下る。力比べにも速さ比べにも応じられない。
改めて男は思う。強い。敵四部隊は実に的確に連携している。三部隊が互いに他を囮として包囲撃滅を狙い、一部隊が姿を隠して搦め手を担う。つけ入る隙が無い。群れとはいえ集まりつつある血眼も邪魔だ。
斜め前方に血眼が三十騎。当たるまでもない。その余裕もない。にも関わらず、灰騎が攻めかかった。一騎、いや、つられてもう四騎。血眼を大いに切り崩すが、あれらはもう助からない。そら、丘向こうから強力な敵部隊が襲い来た。あっという間に囲まれた。奮闘虚しく圧殺されていく。
救援に駆けつけるように駆け、しかし直前に迂回した。
そうすることで別部隊の強襲の裏を衝く……はずだったが十騎ほどついてこない。そのまま包囲へ攻めかかる様が視界の端に映っている。別部隊が来た。十騎が吞み込まれていく。
その別部隊の末尾へ、鋭く食らいついた。
一合とて剣を合わさず手首を落とし、首を裂き、馬を斬った。防御的思考の意表をつくも三振りで三騎を傷つけるにとどまった。速さは失えない。行く手を遮ろうとした一騎は首を刎ねた。遅さは弱さだ。
再攻撃はせずに駆け抜ける。三つ目の敵部隊が逆落としぎみに仕掛けてきている。もはやあの十騎は逃れようもない。
残すところの灰騎は、男自体も数えて十九騎。
―――やはり勝てない。
伏せようにも数騎に追尾されている。絶えず男へ注がれる殺意があって、どう痛めつけどう仕留めるかを思考されている。斬首戦術を仕返されている形だが。
―――まだ姿を見せない……さては、怯えているな?
嗤いがこみ上げた。ここは死地であり、自他ともに不死である。だから死闘を呼吸している。熱中の仕方はそれぞれであろうが、まさか怯懦に駆られる者が在ろうとは思わなかった。
―――NPCにやられたんだろう?
騎馬の高速を突き詰めながら、見えざる異鬼を嗤う。
―――さしずめ意地の一撃を食らったんだろう? 追い詰めた末にさ?
男は知る。イモータルレギオンでは美しさに出会えると。
立派で誠実な大人たち……悲壮な挺身、勇壮な決死、豪壮な気概……彼ら彼女らの壮絶は、現実世界ではお目にかかれないものばかりだ。地球上のどこかにはあるのかもしれないが、少なくとも男の周囲にはまるで見かけなかった。
美しさに優るものはないと男は考える。
馬よりも矢よりも速く、美しさは心へ突き刺さる。刺さってしまえば心震え、刺さるより以前には戻れない。良くも悪くも世界の見え方が変わる。そういう不可逆的かつ決定的な力を持つ。
特に敵対者へ対しては容赦がない……美しさをそうも思うから、男はまた嗤った。
―――さぞかし自分をみじめに感じたろうなあ?
敵四部隊の波状攻撃を機動でさばき、速度でかわし、軌道で避けて、突き抜けて……残すところ十騎となっても男は嗤い続ける。
―――どんなに強かろうが速かろうが、己の醜さからは逃れられないのだから。
拳を突き上げ、五指を伸ばして振った。戦闘計画に明記した「散開」の合図だ。十騎が各々の駆け方で広がっていく。男は高い丘の上へ身をさらして馬の脚を止めた。
来る。来る。敵が、血眼が、不格好に息せき切って集まってくる。
なぶるためにではなく、ヒステリックに、駄々っ子が両手を振り回すような襲い方だ。さもあれ男の行動は異鬼のそれと真逆である。敵を迎え撃たんとする勇敢な姿に見えよう。誇らしげにも見せたくて、男は両手を広げてもみた。少し揺れるなどもして。
―――来い。叩き潰したいと欲するままに。
斬りに斬る。斬られもするが致命傷だけは避けて斬り返す。業腹だが参考にしているのは剣DOの立ち回りだ。応じ技は難しいが攻め技はかなり再現できる。大元の術理は日本剣道で理解しやすい。
組打ちはさせない。それさえ気を付ければ騎馬同士の戦いは囲まれてもやりようがある。馬も、馬のような乗り物でしかない。斬られても刺されても暴れることはない。むしろ馬の顔面装甲を盾代わりにしている。だいたいにして攻撃が読みやすい。一騎ごとに技術の差がないからだ。「軍影発現」の思わぬ弱点といったところか。
それでも男の負傷は増えていく。やはり数は力だ。僚騎たちが来援しても多勢に無勢であることは変わらない。敢闘するも一騎、また一騎と討たれていく。
どう斬るかというよりもどう斬られるかに意識を割くような戦闘をどれくらい続けたろうか。
いまだ敵勢の包囲する丘の頂で、男は独りきりとなった。
馬どころか両腕も失われ、右足も膝から先がない。左足一本でかろうじて立っているだけだ。視野も欠けている。仮面を半ば砕かれ左目を潰されたからだ。
そんな有り様を注意深く確かめるようにして、漆黒の異鬼がいる。
今夜、この地に蠢く血眼の全てを密に並べ立て、万が一にも反撃を食らうまいという重囲をもってして、ただの一騎の灰騎を殺そうとしている。言葉にならない憎悪をたぎらせている。
遠く燃え盛る大火炎をチラと仰いで、男は軽く肩をすくめた。
―――お前は確かに強いが……悲しいかな、運が悪かったようだ。
敵勢が大きく動揺した。
包囲の外側から強烈な突撃が為されたからだ。単騎ながらも重武装で熱力十分の一騎、勇者のR2である。大槌を振り回して一直線に駆ける、その狙いは異鬼だ。戦闘計画の通りだ。もしもR2の推理の通り件の異鬼がR1であるならば、男への執着心を利用できる……そんな想定の一つが今にピタリとはまっている。
異鬼は逃げ損ねた。防ぎようもない。おののくばかり。
勇者の両手が輝く。戦闘秘術「爆裂光」が炸裂した。
まばゆい光の中に異鬼が消し飛ぶ様を見届けて、男もまた崩れ落ちた。灰がわびしく煙る。ほろ苦く漏れる吐息。この場はなんとか痛み分けに持ち込めたが、全体で見れば敗北に近しいものであろうし、神剣イベントを成功させることは相当に難しくなったからだ。
血眼だけならば問題なかった。異鬼についても対処できると考えていたが、戦闘秘術を使ってくるのは厳しい。しかも「軍影発現」だ。灰騎の有利が消えて不利が増えたようなものだ。
それでも帝都を押さえて防御拠点化できたならば対処のしようもあるのだが。
こうも苦戦し被害が出た以上、少女と神剣は明くる日中までに帝都へ届くまい。
到着する頃には宵闇が迫って……漆黒の異鬼が襲ってこよう。別の異鬼や血眼を、あるいは今夜よりも多く引き連れてだ。
しかも少女が狙われるに違いない。野外での受け身の戦にならざるをえない。万全の状態で臨まなければ勝率は下がるばかりだが、そもそも少女には召喚術を行使する力が残されているのだろうか。事と次第によっては、元も子もなくなりやしないか。
―――結局、死なせてしまうのか?
冷たい予感に身を斬りつけられた。考えたくもなかったが、何度となく男は経験してきている。美しい在り様を示した存在が滅びる様を……召喚術士の女たちの死を。
―――あんなに食べるのに……美味そうに……幸せそうに。
とっくにログアウトしているにもかかわらず、男はVRゴーグルを取らない。閉じた目を開ける気にもなれない。
目蓋の裏の暗闇に沈んで息もできず、凍え、もだえる。歯を食いしばっても苦しさをこらえきれず、うなる。幼少期にも寂しさに耐えかねて同じようにしていた。押入れに畳まれた布団の隙間へ潜り込み、朝までうなり続けたものだ。
酸欠とも心労とも知れない苦悶の中、ただ暗闇ばかりが黒く濃く垂れこめていって……男は不思議なものを見た。
それは、焚き火のようだった。
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