第22話 特務隊の聖騎士

 皇女はまず呆れたものだ。


「そうかそうか、化け物には化け物の軍配があるんだなあ……軍をもって軍を狩る用兵のなんたる剽悍さ……つまりはこれが狼だろう? どうやってかは知らんが狼の指揮なんだろう? なるほど御坊が恐れるわけだ。諦めを飾る大衆慰撫とは真逆の処方こそ軍略兵法である。将たる心胆なくば理解できようはずもない……ハハ! 勝てん戦を勝つ力! まさに将の渇望するところの力だぞ! ハハハハハ!!」


 ついには大笑いを始めたが、大僧師は苦々しげな表情を隠しもしなかった。


「不死が不死を殺すことを突き詰めたがごとき禍々しさ……恥ずかしげもなく露わな戦いへの渇き……さながら餓狼の在り様。しかも走狗。いかがわしい異界の側の恣意、決して見逃すまいぞ……忌々しき干渉者どもめが」


 異様な強さの血眼が討たれるのを見届けて、皇女は言った。


「聖騎士五十騎をもって特務隊を編成する。アレンヌ卿、率いるのはお前だ」


 ありえない指示だった。しかしそれはアレンヌの欲する戦力と一致してもいた。


「義勇軍へ加勢せよ。神剣の娘を死なせるな」


 かくしてアレンヌは夜を駆けている。借り物の甲冑は丈も胴回りも大きく、着られているような有り様だ。剣も重い。十全に戦える状態ではない。それでも身命を賭せば一撃くらいはできるものだ。


 懐には、薪もある。人々の祈りが込められた薪だ。きっと幾ばくかの命も籠められていよう。


 アレンヌの耳にポイの声がよみがえった。


 遥かな視座で、いとけなくも雄大に謳い上げられた祝詞。


 生まれたからには健やかに幸せに暮らしたい。笑顔を浮かべ笑顔に浴したい。夜に怯えず風雨寒波に凍えず、おだやかに、大切な人たちと共に生きて死にたい。


 世界はまるでそうでないから、戦うのだ。戦うためにこそ剣を握り、火を焚く。命を燃やす。


 先だっての戦いでアレンヌは強力な灰騎を召喚した。大きな戦槌を構えた、絵物語の中の英雄のような灰騎だ。異様異能の恐るべき血眼からアレンヌを護ってくれた。どれだけ傷ついても一歩とて退かず、わずかにも怯まず、召喚の火を……人間の祈願を守護し続けた。その背の尊さと頼もしさが忘れられない。


 灰騎は助太刀―――それがアレンヌの結論である。


 戦争の主体はあくまでも人間であり、灰騎は力添えをしてくれているにすぎない。人間の同盟者のようなものだ。人間を無視してではなく人間の都合を慮った上で戦っている。なぜならば意思が赤熱している。人間を援け、護り、勝たせようという意志が輝いている。


 招くに際して命を支払うのも当然ではないだろうか。薪なしに燃える火などなく、命なしに輝く光もない。


 だからきっと、灰騎は、人間の祈願の形をしている。


 遠く、火の列が見えた。アレンヌたちの灯火とは別のものだ。互いに引き寄せられていく。光を掲げて暗闇へ駆け行く者は戦友だ。祈る先も同じだろう……そら、堅牢な城のごとき灰騎が先達だ。寄る辺なき不安を慰めるようにして。


「アレンヌ! よかった生きてた!」


 ポイと、護衛隊の騎兵たちだった。刹那にこみ上げる喜びと申し訳なさ。そして危惧の念。


 暗さもあってやつれきったような少女の姿……血の気を失い真っ白な顔色……召喚術を行使させてなおポイを逃がさなければならないほどの敵が、この夜、義勇軍を襲ったことを意味する。


「ご心配とご迷惑をおかけしましたが、今はこれまでに……そちらは誰が指揮を執っている? 状況を知らせてほしい」


 名を知る騎兵から説明を受けた。しかし目では疑問を伝えられた。他の騎兵たちからも、黙してはいるものの同じことを問われていよう……ロイトラはどうなったのかと。答えなければ次の指示には従うまい。


「ロイトラ卿は……私を庇い、血眼に殺された。首謀者についても裁きを見届けた。皇女殿下は義勇軍を救援すべく私に聖騎士隊を預けてくださった……護衛隊はこのまま行くべし。聖殿軍団へ合流し、ポイ殿の安全を確保するがよかろう。私は戦場へ向かう」


 諸々へ配慮した物言いと、視線を交わし合った後の頷き。護衛隊には聖殿軍団内においてもポイを護ってもらわなければならない。


 哀しいかな、かかる苦難の時代においても人間に真の団結はない。祈りにも強弱があるように、想いにも濃淡があろうし、怒りにも嘆きにも種類があるのだろう。誰もがそれぞれに不幸で、誰もがどこかしら世界を独りきりに生きている。寒々しく見捨てられた目をして。


 それゆえに灰騎の捉え方も様々なのだろう。英雄、化け物、助太刀……きっと灰騎は祈願の形をしているのに。


「ねえ、アレンヌ」


 ポイ。神剣を抱くこの少女は、灰騎を無敵の騎士と表現した。


 遥かな視座にあってはそう映るものなのか。まん丸な瞳はこの危急の時にあっても天空の清涼さを失わないから、アレンヌは思い至った。


「アレンヌ?」


 少女は、天衣無縫に無垢なるままに、無限の頼りがいを求めているのではなかろうか。悲惨な来歴であるにも関わらず、大人を疑わず幸福を諦めず、無限の信頼を寄せているように思えてならない。まるで、そう、幼子が親へ向ける信愛のようにして。


 ―――ああ、そうか。そういうことなのか。


 こんな時代に、戦いの最前線にあって、子どもが子どもらしくいられる……それは奇跡だ。公爵が先頭に立って成し遂げた奇跡だろうとアレンヌは思う。


 ―――この子だから呼べたんだ。無敵と評するに相応しい、あの灰銀の狼を。


 ポイを護らなければならない。義勇軍とはまさにそのために組織されたのだし、自分もそのためにこそ存在したのだろう……アレンヌの悟った宿命を、月が静かに照らしている。


「ねえ、アレンヌ。死なないでね。きっと戻って」


 迂闊にも泣きそうな顔をさせてしまった。アレンヌは努めて笑んだ。ここは強がるところである。


「もちろんです。私にもできることはまだありますから」


 励まし、一刻も早く聖殿軍団のところへ送り出さなければならない。すべきことの第一はそれだ。


「銀狼殿も向かっているんでしょう? もしかすると敵をやっつけ終えているかもしれません」

「うん。狼さんは強いよ。すんごくね。でも……」

「大丈夫。皆、聖騎士です。この通り火の用意もありますから、頼もしい援軍となってみせますよ……さあ、急いで」


 精一杯の笑顔でポイを見送った。護衛隊の面々とは頷き合った。ここに踏みとどまる理由はもはや何もない。駆け出す前にするべきことも一つきりである。


「各々方」


 アレンヌは問う。騎士団から砦へと左遷された身であるのみならず、祭殿への疑念を抱いてもいるから、慇懃に確かめなければならない。


「私はこれより死地へ駆けようと思うが、同道を希望される方は名乗り出ていただきたい。名乗らぬ方は護衛隊を追って本軍へと帰還されるがよろしかろう。皇女殿下への報告もお願いしたい」


 聖騎士たちに動揺は見られない。何事かボソボソと言葉を交わし、代表らしき一騎が前へ出てきた。


「アレンヌ卿は皇女殿下の命令を軽んじておられるのか。それとも我らの忠節と武勇を見損なっておられるのか」

「さにあらず。ただ我が身の不肖と不相応とを知るのみ。能力ばかりの話ではない。騎士団の絆も祭殿のそれも、私は諸卿と結んでいない……共に死ぬに相応しい指揮官ではないと考える」

「なるほど、自らを軽んじておいでか。ロイトラ卿が心配するわけだ」

「……どういう意味だろうか、それは」

「実直かつ聡明であるのに自らへの評価が低いから、他者を慮るばかりで苦労多く、いつか自分を捨て石のように扱ってしまいかねない……彼女はそう案じていたのです」


 対決時に言われた言葉が思い出された。ロイトラはアレンヌのことも哀れんでいた。


「アレンヌ卿。我らは皆、様々な過去より歩んで今に至りますが……たとえ所属や肩書が違えども、同じ未来を望んでいるでしょう?」

「未来……」

「新しい命が産声を上げ、健やかに育ち、幸せに笑う未来をです」

「……同意するが、しかし、祭殿とは手段において意見が異なりもする」

「あるいはそうなのでしょうね。ロイトラ卿のこともその辺りが悲劇を生んだのかもしれませんが……しかし今、我ら五十騎で為せることはただ一つがあるのみ」


 ニコリと笑んで聖騎士が言う。


「戦友、援けるべし」


 他の聖騎士たちも後に続いて言った。誰一人として沈黙する者はいなかった。それどころか次々に名乗りを上げていく。


「自信をお持ちなさい。先の戦で本陣を護り抜いたのは、アレンヌ卿とその灰騎だったではありませんか。我らは納得してここにいるのです」


 全員の名と、笑顔と、心の一端とを、アレンヌは知った。それらを重く背負った。あるいはその重さを恐れてつっけんどんな確認をしたのかもしれないと、心に悔いる。つくづく臆病者である。


 されど表情を勇ましくして、命じる。為すべきことを為すために。


「よし! では全騎をもって義勇軍へ援兵仕る! 各々方、我に続けえ!」


 きっと誰かが死ぬ。順番はいつか自分に回ってくる。それでも月が照らす先へ、死地へ、アレンヌたちは駆けて行くのだ。強がる自分を切なくも誇らしく思いながら。

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