第23話 聖騎士の吶喊

 道なき道を駆け上った断崖から、アレンヌは見た。月下に血飛沫を上げる激戦の様相を。


 波打つ丘陵の中央には夜闇を焼き払うかのような火炎……木々群れる高台の中央を燃やす手法は既視感のあるやり方だ……照らされてなお闇濃くゆらめくも、男たちが戦っているとわかる。木々が震撼しているからだ。命の熱量が明滅しているからだ。金属でしかありえない反射が閃くたび喊声が聞こえるかのようだ。


 アレンヌは過去を観測できない。しかし事に応じる術については聞いていた。


「あいつら相手に中途半端は通じねえ。やるなら徹底的にだ」


 公爵の戦略をもとに、ラマウットが説明した戦術がある。


「防ぐなら拠点防衛戦だ。武器じゃなく設備で戦うってこった。これが一番手堅い。なんせあいつらは建築も工作もしねえ。攻城兵器を組み立てるってことができねえんだからな。逆に、一番危ねえのは移動中に襲撃された時だ。設備の準備ができねえからなあ」


 今は帝国上級騎士を肩書とする彼だが、生まれは王国騎士の家だという。血眼により真っ先に滅びた小国だ。生き延びるも西へ流れるも、その経歴は血眼との戦いばかりであったろう男は、いつも不敵に笑っていた。


「だからもし奇襲なんざ受けちまったら、徹底的に散るんだ。蜘蛛の子を散らすみてえによ。そりゃもう殺されまくるだろうが、狙いは眩ませられる……その隙に神剣と娘っ子を逃がす。いいか、聖騎士の嬢ちゃんよ。お前さんの二百騎がそれをやるんだ。誰が娘っ子を確保し、どこで合流し、どこへどう逃げ去るか……しっかり話し合っとけよ?」


 きっと、それが行われた。だからポイは逃げ延びられた。


 そして今、説明された以上の戦いが行われている。


 なぜならば火が燃やされている。ポイもアレンヌもいない義勇軍がああも高々と煙火を上げているのはなぜか。


 囮だ。血眼の目を引きつけ、ポイを追わせないためだ。ここに人間がいるぞと大胆不敵に宣言しているのだ。さながら義勇軍総出で白布隊になったとでもいうようにして。


 簡易ながらも野戦築城がなされているであろう本陣……高台へそれを構えるまでにどれほどが殺されたのか。撫で切りにされた背中は百や二百ではあるまい。あるいは一千以上が散り駆ける途上で死んでしまったのかもしれない。それでも抵抗し続けられている。そこに人間の意地と、戦術の絶妙がある。


 ―――戦争だ……ああ……これは、人間が人間であるための戦争だ。


 突如として襲来した血眼という名と形の大災厄……人間を憎みなぶり殺しにしてくる理不尽へ、大人であるのならば、剣持ち抗わなければならない。子らの未来を望むのならば、旗掲げ挑まなければならない。


 そんな大人の背を、子らは頼もしく見ているだろう。


 そんな大人の隣には、恃むに足る戦友が立つだろう。


 ―――おお、灰銀の狼……無敵の騎士よ!


 不死の戦いもまた火花を散らしている。


 遠目には大蛇そのもののようにも見える血眼の騎馬軍……数は四百騎ほどだろうか……黒い大蛇がすさまじい速度で地を這う。あれこそまさしくあの時の、万余の人命を奪った敵の動きではないか。


 そんな大蛇が、身をよじり、とぐろを巻こうとし、また跳ねるように身をひねる。いかにも苦しげである。


 わずか三騎の灰騎が大蛇を襲っているからだ。


 時に矢のごとく突き刺さり、時に蜂のごとく飛び交う。散るも集うも、突進も旋回も、機動の全てが速い上に不規則かつ唐突だ。しかも強い。ぶつかれば血眼を数騎まとめて吹き飛ばす。どうも大蛇の頭を狙っているようだ。そこに血眼の統率者が、つまりは異様なる血眼がいるものか。


 どうあれ不死同士の激烈には介入できない。足手まといにしかならない。目指すべきは本陣と見定めた。


「各々方、召喚をお願いしたい。私のみはあれなる火炎をもって術を行使する」


 自分の内奥へ触れてくる感触を、アレンヌは上手く言葉にはできなかった。しかし確信があるのだ。あの火炎をもって召喚術を発動したなら、きっとあの灰騎を呼べる……あの勇者のような灰騎を再び呼び出せると。


 同時に、助太刀を選抜するおこがましさを恥じた。ポイでなし、きっと代償は大きなものとなるに違いない。


 ―――必ず召喚してみせる。命を費やすべきは、ここなんだ。


 そう思う間にも聖別の薪に火がつけられていく。投じられ、灰を生む炎となっていく。


「神々の聖名において要請する! 来たれ! 死してなお戦う騎士よ!」


 聖騎士たちの命が強力な不死を呼ぶ。白煙の中から続々と現れる騎士たち……灰の色の武装は不揃いであるも一つとして凡庸な得物はなく、どの一騎も眉庇の奥に火の色の驍勇をたぎらせている。


 誰もの眼差しがアレンヌへ注がれている。戦場に臨んで指示を待っている。


「人間に来援くださった灰色の騎士諸卿! 並びに、希望を共に頂く聖なる騎士諸卿!」


 手を高々と掲げ、アレンヌは声を張り上げる。


「これより我ら百騎は戦闘行動に入る! 目指すは義勇軍本陣! 行くぞ!」


 オウと応じたのは聖騎士ばかりではなかった。灰騎たちも武器や盾を鳴らして応えてくれた。しかも先駆ける。どういうわけか先を争うように崖へと馬を進めていく。


 慌てて覗き込むと、なんという馬術か、崖のわずかながらも緩やかな箇所を踏んで駆け下っていくではないか。しかも邪魔な灌木を斬り払いもしていくから、アレンヌは笑ってしまった。彼らの目にはかかる断崖も進路と映っている。絶望もまたそうなのかもしれない。十分に切り拓ける暗闇でしかないのかもしれない。


「ハッハッハ! どうしてなかなか親切なことだ! 後に続くぞ、各々方!」


 怖気を笑い、震えを握りしめた。思い掛けない角度を駆け下っていく。不思議とすぐに慣れた。頼もしい先導たちがいるからだけではない。もとよりこういう日々だった。戦い続ける限り死はすぐそばに在る。


 いつか死ぬ。だが今ではない。死んだとて誰かが先へ行く。いつかは届く。目指した先へと。


 灰騎たちが馬列を整えて待っていた。追いつくや駆け出す。次第に速度を上げていく。うねる丘を勢いよく踏破していく。幾つめかの丘から苛烈な騎馬対決を横目に見た。


 ―――速い。双方、速過ぎる。あれが騎馬の戦の頂か。


 大蛇が分裂した。五十騎程度の八隊に分かれて乱れ駆ける。追う者を翻弄する動きだ。逡巡すれば包囲されるし、どれか一隊を追ったところでそれは同じ……ではなかった。


 三騎は迷うことなく一隊を追った。ひと当てで十数騎を薙ぎ払った。さらに残余を追い立てる。半壊させてもなおまるで減速しない。他の七隊が追いつけない。追われている一隊の中に異様の血眼がいるのか。斬首戦術という言葉がアレンヌの脳裏をよぎった。不死同士の戦いにおいてもそれは成り立つものなのか。


 血眼が強引に合流した様子を目の端に捉えて、丘を下る。次の丘を上がれば本陣が騎馬の間合いに入る。


 駆け上がりながら灰騎は横一列に展開していく。いぶかしく思うもアレンヌはむしろ聖騎士を小さくまとめた。孤立と各個撃破を恐れてのことだが、ぶつかっていくためでもある。


 視界が開けて、アレンヌは灰騎の意図を知った。


 二百騎ほどの血眼が、隊列こそゆるいもののこちらを迎え撃つべく待ち構えていた。不気味な鮮血の瞳が居並ぶ。憎悪をもって人間の鏖殺を渇望している。


 灰騎五十騎は一歩とて止まらない。一気に駆け下りていく。騎数の多寡はあるが横一列の逆落としだ。圧力を感じたのであろう血眼が馬列を変化させる、そのわずかな動揺に灰騎が反応した。横列中央の一騎が突出する。その見覚えある一本角の灰騎を先端とし、横列は楔の形へと変化した。鮮烈な用兵だ。そのまま真っ直ぐに衝き、突き破ってのけた。何と中央突破である。


 こじ開けられた間隙へとアレンヌは駆け込んだ。


 そこはまさに死闘の狭間だ。不死と不死が殺し合い、灰と霧とが夜を舞う。身を鎧い騎を並べても恐ろしい。生ける者の居ていい場所ではない。自分のためなら我慢できまい。顔を知る誰かの、そしてまだ見ぬ誰かのために行く。耐え忍んで突き進む。


「灰騎諸卿、後は頼む! ご武運を!」


 殺意の激突を背に、聖騎士を率いて疾駆する。火炎を孕む林はもう目の前だ。中から音も届く。剣戟が鳴り怒号が轟く。命が、不死を相手取って決死の戦いを繰り広げている。


「全騎抜剣! ここに我らの来たることを吠えよ!」


 皆で咆哮した。戦友へ届くように。そして、戦場に自分が在ったことを刻み込むようにして。

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