第17話 聖騎士の追討戦
馬首をそのままに、むしろ加速させた。倒木を飛び越える。枝か何かが頬を打った。奥歯を噛む。決して逃すものか。
アレンヌは凶手を追っている。聖騎士ロイトラを。
公爵が刺された。
日の明けきった就寝前の凶行だった。居合わせた城伯が庇い、最悪の事態だけは避けられたが。
小都市を飛び出すロイトラを見かけたのはまったくの偶然ではない。アレンヌは彼女を探していた。決戦への進発前朝に言葉を交わしたかった。あるいは、遺言を預ける気ですらあったかもしれない。
吠えた。伝えたかった言葉を焼き捨てる思いで。
「なぜだ! なぜ裏切った!」
木立の向こうに見え隠れする騎影へ叫んだ。あちらは甲冑を着ていてこちらは着ていない。速度の有利がある。
「ずっと裏切り続けていたのか! 一緒に戦ってきたのに! 共に泣き、笑い、ここまで来たのに!」
振り向かせた。それは隙だ。木々の狭間へ身を細めるように跳び込む。進路を短縮して一気に追いすがる。
「戻りなさい! そんな軽装で陣地を出るなどどうかしています!」
「答えろ! 答えられるものならば!」
表情がわかるほどに近づいた。兜の庇は上がっている。ロイトラは、いつものロイトラでしかない顔をしてそこにいる。
「祭殿の命令か! そうなのだな!」
「……公爵閣下は大僧師猊下の警告を無視しました。その報いを受けただけのこと」
「報い!? 報いと言ったか、貴様、公爵閣下に向かって!」
「義勇軍は小都市に留まり聖殿軍団の助攻に徹するべし。さもなくば貴き血をもって罪を贖うことになる……私は贖罪の刃として貴軍に侍ったまで」
迷いも憂いもない口調と、気遣いをにじませた眼差し。まるで大人が子どもを諭すかのような。
「人類に、仇なすのか……!」
「人類の尊厳を護れるのは祭殿だけです」
憤りが声になるも言葉にはまとまらない。並走状態となった。腰に佩いた刺突剣が高速に揺れている。
「アレンヌ卿はご存じないでしょうが、祭殿は、神託を認めていません」
「神剣は本物だ! 神託のままに在る!」
「真贋をではなく内容を認めていないのです」
「馬鹿な! 奇跡が目に見える形であり、約束されているというのに!」
「わかりませんか? イモータルレギオンを拒否しているのですよ、我々は」
間合いを測っている。馬の体力も速力もアレンヌの側が優っている。いかようにも仕掛けられる。
「在るがゆえに人命を食むという点においても、超常の暴力を愉しむという点においても、灰騎と血眼はまるきり等しいものです。どちらも等しくおぞましき、異世界の化け物でしかありません。片方だけでも災厄であるというのに、もう片方をも無制限に解き放つなど破滅の招来。大陸のことごとくが異常異形の戦場と成り果てるでしょう……何という冒涜、何という屈辱……この世界は神々の遊戯場ではないというのに」
抜剣した。せめてもの礼儀として胸の前に垂直に構え、待った。
「あなたの副官を……同朋を斬るのですか?」
「斬る。公爵閣下は我が軍の総司令官であり、我々の核たる人物であり、私の恩人でもある御方だ。手ずから調理していただいた温かな食事を、貴様も口にしていたろうに……!」
騎馬の疾風を背景にして、ゆっくりと、ひどくゆっくりと、ロイトラが長剣を抜いていく。
「……公爵閣下を刺したことには私的な理由もありますね。気持ち悪いからです」
鏡写しのように構えられたそれ。刃の長さはさして変わらない。ただし持ち手からは全て異なる。篭手、鎖帷子、肩当、胸甲、喉当て、兜……ロイトラは全身を鎧っている。アレンヌは厚布の鎧下を着込んでいるだけだ。
「娘を死地に置き去りにした男が、娘の遺品を求めて門閥勢力を総動員する……神剣を探索する過程でどれだけの人命が失われたことか。今は、拾ってきた幼子に遺品を持たせてやはり大勢を死地へと導いている……幼子へ餌付け手なずけて、無垢な心をもてあそびつつ……吐き気を催す邪悪さでしょう、その所業たるや」
「邪推極まりない! 神剣探索も、聖地奪還も、人類の興亡に関わることだ!」
「大義名分を得た妄執ほど危ういものもありません。ですから破門され、ついには命を失うのです」
馬が寄るなり突きを放った。いなされ、間合いを開けられた。あしらわれた形だ。
「……ポイへの悪意はないのだな。神剣を奪うこともできたろうに」
「あの子は神剣と深く結びつきすぎました。手放せば命の危険があるほどに」
命をか細くしてしまった少女を思った。火にあたり毛布をかぶろうとも冷える彼女は神剣を抱きしめる。それでようやく眠れるらしい。分かたれた己の命を抱きしめているのだと、アレンヌとロイトラは推察していた。
「あなたのことも、私は嫌っていませんよ?」
「そうか。忘れまい」
顔面を狙った。貫通するに余りある勢いでだ。
剣で捌かれたが上体を反らさせた。手をつかむ。組打ちだ。手と手でつかみ合った。ロイトラの目が細まる。苦笑まじりに何かをしゃべろうとしたその口へ、膝蹴り。馬を捨てての跳び膝蹴りだ。しがみつき、からみついて、背中側へまわった。
「言い遺すことはあるか」
首元へ短剣を差し込んでいる。刃はすでに皮膚を浅くも裂いている。
「捨て身の戦い方を学び、磨いてしまったあなたを、とても哀れに思います」
「……家族はいないのか」
「捨て子です。あの子もそう。あなたもそう変わらない身の上でしょう?」
ロイトラは抵抗する様子もなく震えている。
「私たちは生まれたのに捨てられて、生きても命を捨てるよう仕向けられている……そうあれと強いられている……私たちを哀れにしているのは、この世界そのものではありませんか」
唾を飲み、頬がわななくから、アレンヌは気づいた。震えているのは自分自身だ。
「……投降する気は、あるか?」
「あると答えれば、あなたは私のために無理をしてしまいそうですから」
ロイトラは許されやしないと、アレンヌにもわかっている。それでもすがりたかった。公爵にだ。ひどい甘えであり筋違いもはなはだしい話だが、公爵ならばきっと耳を傾けてくれるという確信があった。
―――期待をもって見守り、成功を喜び、失敗を励まし、過ちを叱ってくれる……あの御方は。
整理のつかない激情がアレンヌを突き上げる。唸り声が嗚咽と近づいていく。
―――あの御方が、私の父であったなら。
油断だった。
浮遊感の後、強い衝撃に襲われた。天も地もなく転がり、草や土に塗れた。口にも鼻にも入った。投げ飛ばされたのではない。諸共に落馬されたのだ。強かに頭を打って止まった。
遠のく意識の最後に、ロイトラの手のひらを感じた。頭を撫でられたようだ。やさしく、やさしく。
夢を見た。
真っ暗な夜に焚火へあたる夢だ。
火の中には戦争が見えた。様々な人種が相争い、落雷や爆発がそこかしこで炸裂し、その度に人間が吹き飛ぶ異様な戦争だ。神々の争いかもしれない。あるいは神話そのものなのかもしれない。いずれであれあまりにも激しいから、アレンヌにはその光景自体が燃料のように感じられてならなかった。
ポイが、そばにいた。神剣を抱えてしゃがんでいる。静かに火を見ている。
そんなポイと火を挟んで反対側に、見知らぬ男が行儀悪く座っていた。年齢を推し量りかねるほどにくたびれはてた男だ。ボサボサの髪の奥に潜む両目が、火を映してチラチラと明滅する。
何かを呼び掛けたように思うが、返事どころか目を向けてももらえなかった。
二人は焚火越しに見つめ合っているのか―――ポイと男の間には余人の差し出がましさを退ける何かがあって、アレンヌはそこに得も言われぬ神聖さや美しさを感じ、謹み、祈った。尊さに浴した。
目を覚ますと天幕に横たわっていた。
召喚術士と思しき女性に世話され、状況を知らされた。
どれほどに眠っていたかはわからないが、そこは聖殿軍団の軍営だった。ロイトラに運ばれたのだ。追討叶わず虜囚となった……そう誤解するよりも早く、悲痛な言葉を受け取った。
「貴女を斥候兵へ託すなりロイトラ卿は亡くなったそうです。たった一騎で夜を駆けて……貴女を護り抜き送り届けた武勇と友愛には、涙しない者の一人とておりません」
アレンヌは泣いた。己の涙の意味もわからぬままに、ただ涙を流し続けた。
皇女と大僧師の前へ連れ出されるという段になっても、頬を濡らすものを拭く気にさえならなかった。
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