第16話 作戦会議室の聖騎士
「明昼! 我ら義勇軍は帝都へ向けて進発する!」
市城会議室に公爵の言葉が轟いた。
「本隊一千騎四千卒の指揮はラマウット卿! 護衛隊二百騎一千卒の指揮はアレンヌ卿! 総指揮はこの儂、コムニカッティオ公爵イクスが承る! 我らは昼夜問わずの強行軍でもって森林街道を一気に抜け、帝都北西より市街へ突入する! なお、時期を同じくして皇女殿下率いる三万が帝都西南西より突入を試みる予定だ! 事前の合流は一切なし! むしろ互いに他を陽動とする分進攻撃であると心得よ! 大いに覚悟されたし! これは人類存亡を賭けた乾坤一擲の戦いなのだ!」
呑んだ唾が大きく鳴ったから、聖騎士アレンヌはどぎまぎと周囲へ視線を巡らせた。
「待ちくたびれたくらいのもんですな。あちらさん、大軍のくせしてだらしのないこった。まさか戦のたびにいちいち祈祷だの何だのとやってたわけでなし……やってたんですかい? そりゃあ傑作だ! 聖殿軍団の名に偽りなし!」
砦騎士ラマウットは手を叩くほどに上機嫌だ。隣に座る城伯の肩をバンバンと叩きもする。
「た、大切なことじゃあないかな。帝国は英雄と英霊によって拓かれ興された国だ。大切なものを護るために私たちは戦うけれど……死んで、それきり見捨てられてしまうんじゃあ、いかにも寂しい。死ぬ方も死なせた方もね」
「死に甲斐なんざ人それぞれだと思うがねえ……ま、叶うなら死んだ先でも戦わせてほしいもんだ。灰騎と肩を並べてな。城伯殿じゃ足手まといにしかならねえが」
「うん、まあ、それはそうだねえ……残念ながら本当に。やりたいこととやれることとは、どうしてなかなか一致しないのかなあ」
城伯は輜重隊を率いてやってきた。小都市を防衛拠点として細かに整備し、帝都攻略のための補給計画を現状に合わせて修正するためにである。兵站の専門家なのだ。
「ピウマイネン城伯、卿にはここの差配を任せる! 皆まで言わずともわかっておろうな?」
「委細承知しておりますとも。お任せください、閣下」
見つめ合い、ゆっくりとうなずき合う。やはり二人の間には強い信頼関係がある。
「改めて、我らの為すべきことを申し伝える!」
アレンヌは次こそはと上手く唾を嚥下した。どうも公爵の声には威厳があって小度胸者に響くのだ。
「第一に! 神剣と、その使い手たるポイを、死守せよ! 死してもなお護ると決意せよ!」
今更に頷くまでもない命令だから、アレンヌはただ静かに呼吸した。会議室に集まった諸将も同様である。誰からということもなく誰もが静かに一人を見た。
「フングァ?」
ポイが食べている。こちらへ顔を向けたのは数秒のことで、すぐにも鉄鍋に覆いかぶさった。木匙を振るう。
鍋の中身は鶏もも肉と根菜ときのこ数種を果実油で煮込んだものだ。ニンニクの匂いが漂っている。パンの香りもする。大きく焼かれたそれを聖騎士ロイトラが都度切り分け、そっと手渡す。ポイは受け取るやかぶりつく。鍋底の油へ着けてから食べることもする。
「いいぞ。素晴らしい。そのまま食べておれ。小娘においてはよく食べよく寝ることがそのままに奮戦であり戦功よ。教えておくとだな、林檎と青苺の凝乳浸しも用意してある」
「ムッハ!」
「しかも! なんと! 蜂蜜もかけておいた!」
「メ、モンモウミ? マミミムモンモウ?」
「ええい、食べよ食べておけい。よく噛み、喉につまらせぬようにだぞ。少しは水も飲めい」
どこまでも微笑ましいやり取りだが、外には笑い声を出しつつ、内にはおののく心を持て余した。アレンヌはわかっている。ロイトラもわかっていよう。召喚術士の体験と感覚が確信させる事実として―――
「モグモグ、ウヒ」
「公爵である! まったく、直らずの無礼者よなあ! ヌッハッハ!」
―――ポイは限界だ。
灰騎を召喚できる回数は、あと一度か二度か……三度はない。死ぬ。
召喚術は命を代償にする。神剣を用いようが用いまいが関係ない。術者の命を切り出し、火にくべて、炸裂させた際の閃光のごときもの……それが世界を穿孔し、この世ならざる灰色の中に待機する存在を招来する。それをして召喚術と呼ぶのだ。
公爵は豊かな食事と十分な休息でもって命を補うとし、ポイだけでなくアレンヌとロイトラにも特別な待遇を施した。その戦略的合理性を周知もした。実際、削れていくばかりに思われた命へ活力が加わったが。
ポイは、失う命と育む命との釣り合いが取れていない。
あれほどに食べ続けてもなお痩せ続け、日がな眠り続けても茫として顔色悪く、髪も爪も伸びることを止めてボロボロだ。体温も高く保てないから黒衣の下は可能な限りに着ぶくれている。
戦いの頻度が高すぎる―――血眼の勢力圏へ攻め込んでいるのだから、仕方がない。
術の行使が頻繁すぎる―――神剣の灰騎の力なくば勝てないのだから、仕方がない。
どうしようもなく消耗していくポイを誰もが見ているよりほかになく、後ろめたさから彼女を避けるようになる者や、無茶で無謀な戦働きをする者も多く出た。その度に公爵が叱り諭したものだ。
「後ろめたい? わかるぞ、儂も大人として慙愧に堪えん。情けなくて死にたくなる? わかるぞ。しかしながら死んでも死に切れるものではない。よいか、さように思うのであればこそ、堂々とせよ。我こそは立派な大人であると胸を張るのだ。少女を恃む情けなさを呑み、恥じ入る心を熱に変じて、我こそは頼れる大人であると強がってみせよ。ヌハハ! そうとも! 大人とはただの強がりである! しかしそう捨てたものではないぞ? 強がる気概がお主を真の戦士に近しくするだろう。自分ではそうとわからずとも、その姿は誰の目にも……あの子の目にも……まさに頼もしい大人として映るのだから」
アレンヌは思う。公爵が笑いかけてポイが笑う光景が、この義勇軍の核なのだと。
ゆえに、次が最後の戦いだ。
帝都へ突入できるか否かに関わらず、義勇軍はもう戦えなくなる。どうあっても聖殿軍団に吸収される形となろう。さもなくばこの小都市へ戻ることすらままならない。
「大丈夫ですか? 随分と顔色が悪いようですが……」
そっとウラタ歩兵長が声をかけてきた。面倒見がいいのだ、この男は。護衛隊を組織してからというものアレンヌは世話になってばかりである。
「緊張している。歩兵長には今更隠しようもないが、器に余る立場にあるからな」
「またそんなことを。とりあえず水をどうぞ。よければ炒り豆と煮干しもありますよ」
「……ひとつまみだけ、いただこう」
小魚を取り、音を立てないよう噛み締める。伝わってくる滋養と気配りがある。
―――私もまた、誰かを強がらせているのかな。かつても今も。
自嘲を小魚と共に飲み込んで、下腹に力を入れた。強くなりたいから強がった。
「さあてさて! 我ら義勇軍が為すべきことの第二を申し伝えるぞ! これも改めて銘記せよ!」
アレンヌの知る限りにおいて最も威風堂々たる大人が、六千数百名……いや、人類全体の命運を懸けて挑むことの詳細を語り出す。
「我らの目的は宮殿にあらず! 帝都大祭場を確保せよ! なんとなれば、あの場所こそが帝国の始まりにして人類国家誕生の聖地! 此世と彼世とをつなぐ導きの座標!」
帝国のみならず大陸に住まう人間が皆知る伝承があった。
古の昔、邪なる神の暴威により人間が人間であることを許されなかった時代。雑草のように刈られ、戯れに喰われる絶望の底にあって、人間であることを誇るために立ち上がった騎士がいた。善き神は騎士を加護した。
後に帝国初代皇帝となるその騎士が、最初にして最後の軍を率いて邪なる神と対決し、打倒する大陸神話……その壮大な叙事詩は騎士と善き神との誓約の場面で終わる。祝福の剣を道標に再訪することを約束し、善き神は去る。その誓約を忘れぬよう、夜闇にも迷わぬよう、火を灯し続ける場所がある。帝都大祭場である。
「為すべきことの第一も、第二も、ただ一つの大目的のためである! すなわち! 我らは帝都大祭場において神剣をもってする火神祭祀を執り行う! さすれば人類は灰騎の大軍団に加勢されることとなるだろう! それこそが神託が示した『イモータルレギオン』の奇跡! 血眼と戦うに際し、もう命の犠牲を支払わなくて済むようになるのだ!」
そうなってほしい。そうなってくれるのなら、自分の命など惜しむものか。
アレンヌは心からそう思った。だから小さく「そうあれかし」とつぶやいた。ウラタ歩兵長が続いた。城伯が何度も言葉にし、ラマウットが陽気な声で唱えた。
「そう、あれかし!」
気づけば会議室にいる全ての人間で唱和していた。ポイも、何やらモゴモゴと参加していた。
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