第13話 死にゲーの市街戦

 月が、男の戦いを白々と見下ろしていた。


 ―――こんなものか。


 七つ八つと逃走する背を撫で切りにする。手負いは撥ねる。あとはもう馬に任せてしまっていいかもしれない。男はインターフェースを操作した。細かく確認していくが、オーディオ設定やディスプレイ設定こそあれ、やはりこのゲームには難易度に関する設定項目はない。さりとて装備やスキルを制限するのは男のやり方ではない。


 ―――熱力による戦力向上効果もあるだろうが、それにしても。


 山塞を無理に落とし、幾度かの廃村防衛戦を経て、今は小都市を攻めている。


 召喚拠点は近郊の高台だ。地形を活用した堅牢な野戦築城である。ウォーワゴンやプレハブ建築といった工夫は世界設定を遵守しつつも見事なもので、運営サイドの神剣キャンペーンに対する意欲が伝わってくるかのようだが。


 そんな雑念を、男は抱きたくなかった。


 頬骨にかかるVRゴーグルの重みも、コントローラーの手触りも、シーツもシャツも舌に触れる歯ですらも……自分の輪郭を思い出させる何もかもがわずらわしくてたまらない。


 戦場に一陣の風……草や葉の動きでそうと知るよりない。瘴気を嗅ぐこともできない。


 NPCの騎兵小隊が都市へと駆けていく。


 今晩の襲撃は終わったと判断し、物見なり偵察なりに動いたのだろう。昨今のリアルタイムシミュレーションはAIが人間以上に人間らしい。このところのミッションも、あるいは運営ではなくAIによる出力なのかもしれない。そう考えた方が面白い……そんなことを考えてしまう余裕に、男は舌打ちした。


 手を見る。金属と革に鎧われ、戦うこと以外に用途のない手だ。灰化の気配はない。僚騎はすでにログアウトしたようだ。炎と煙の立ち昇る高台陣地も警戒の度合いを緩めていよう。


 ―――腹を空かせてないといいが。


 馬を進めながら、ちらと少女を思った。もはや専属のオペレーターとなった彼女から、実のところ男は具体的な指示を受けたことがない。ただ空色の眼差しを向けられるだけである。今も、火のそばから見つめてきているに違いない。男が負けることなどまるで想像もしていない顔でだ。


 無人の街路を行く。森林とは質のことなる闇が、そこかしこで虚ろに冷えている。もしも幽霊が存在するのならさぞかし居心地が良かろうと思う。


 されどここにいるのは血眼だけだ。


 物陰から跳び出してきた一卒を斬り捨てた。片刃剣の抜き打ちだ。夜へかき消えていく様を見送る。


 農村と違い都市ではこれがある。血眼の潜伏だ。建物が混んで風通しが悪いからか、それとも生命の気配の希薄さからか……あるいはゲリラ戦のニーズでもあるからなのか……何であれ敵がいるのだから討てばいい。


 街を巡る。戸から屋根から垣根から、襲い来る血眼を斬った。下馬し屋内も見て回る。化け物の分際で人家に居心地を求めた血眼を斬った。野戦よりも余程に厄介だった。都市戦闘の発生は稀であるため男も数えるほどしか戦った経験がない。時には不意をうたれ、取っ組み合いにまでなった。斬られ、刺されもした。


 裏路地で三卒に囲まれた。


 暗がりに鈍くも光る三本の凶刃と、六つの鮮血の眼光。唸り声にも憎しみが煮立つ。空気が淀んでいるからか血生臭さすら漂ってくる気がして、男は口角を上げた。


 一卒へ突進した。肩当てで思い切りぶつかる、そう思わせての刺突だ。腹部装甲を貫いた。すぐにも引き抜き、もう一卒の腿を薙いだ。熱力をこめて鎖帷子ごとだ。昆虫よろしく手足を忙しくするそれらを置き去りに、無傷の一卒を襲う。見開かれた血の目のまん丸を、平突きで貫いた。


 ―――何なんだろうな、貴様らは。


 刃に付着した血をそのままに、迫る血眼の剣を叩いた。火花が照らすあちらとこちら。どちらも等しく人外の暴力だ。同質のものとしか男には思えない。だから戦いが成立する。


 大振りを半歩退いてかわし、振り上げていた諸手で斬り下ろした。日本剣道形一本目、面抜き面だ。兜に当たってひるませた。剣DOなるプレイヤーは同じ技で血眼を左右に両断していた。武器の性能だけではあるまいから口惜しく、しかし手はすかさず首を突いている。手首を返して脛骨を砕く。血眼は人体でできている。灰騎もまた。


 残すところの一卒と対峙した。


 血眼。息をしているわけでもあるまいに、激しく両肩を上下させ、唸り歯ぎしりし、血涙を垂れ流す。痛みを感じる素振りもなしに、傷つけられた足の不便を憤り、傷つけた者への恨みを募らせている。


 ―――そうはならなかった、俺は。


 歩み寄り、振りかぶらせたその隙を斬った。片刃剣が月光を映して輝く……いつにも増して輝く奇妙が、男に不審を抱かせた。ここは闇が濃すぎる。


 路地の奥へ進む。進めば進むほどに暗い。灰騎の暗視能力をもってしても見通せない。


 回避した。


 勘だ。嫌な予感に従いバックステップをした。一瞬前に首があったところを剣が走った。一振りで強者とわかった。甲高い短音が斬撃の高速と鋭利を証明していた。視界を求めてさらに後ずさった。


 暗黒からぬるりと生み出されるように、一卒の血眼。


 いや、これは血眼だろうか。


 黒い甲冑、黒い盾、黒い剣。しかし目が違う。血の色よりも透き通り、わずかに紫がかっている。液体の質感もない。冷えに冷え切った硬質だ。


 来る。機敏な動きだ。斬りつけた片刃剣が盾で弾き飛ばされた。強力なシールドバッシュ。さらに踏み込んでくるが、ギョッとしたかのようにたたらを踏んだ。さもあらん、男はそこにいない。背後に回り込んでいる。盾無しに盾有りが仕掛けるセオリーを読み、剣を囮にしたのだ。


 斧を後ろ首に叩きつけた。深々と食い込んだ。引き抜きつつ前蹴り。蹴って間合いを開けた。開けた空間を剣が薙いだ。やはり鋭い攻撃だ。戻し損ねた足先を切断された。


 しかしそこまで。膝をつき、口惜しそうに睨みつけてくる。闇へと溶け消えていく。床を引っかきながら。


 ―――文字通りの爪痕を残していくじゃないか、強敵。


 男は興奮の熱を吐いた。結果的には圧勝だが紙一重の勝負だった。そういう緊張感をこそ欲しているのだ。名残惜しさから爪痕を見下ろして……男はありえざるものを見た。


 ―――XD、だと?

 

 乱暴で粗雑なひっかき傷だが、どう見てもそれ以外の何物でもない。XD 、すなわちクソデッド。イモータルレギオンのプレイヤーが共通して抱く運営への愚痴であり、ゲームへの愛着であり、好き者同士の挨拶であるところのアルファベット二文字。


 ―――どういうんだ、これは?


 沸き起こる疑問と疑惑にこれという仮説も出しえず、男は暗闇の奥へと進む。そういう風に生きてきた。手探りに奥へ。考えることに倦むと、なるようにしかならないと結論付けた。そういう風にしか生きてきていない。


 裏路地の最奥、突き当たった小扉を開けると、そこは物置部屋だった。


 狭く、雑然としていて、水中にいるかのように動きづらい。闇と瘴気が濃密なのだ。敵はいない。武装した人型が潜める広さがない。男もハイハイをするような探索となったほどだ。


 白骨死体を見つけた。頭蓋骨の大きさからいって子どもだ。


 ―――おぞましいことをする、運営め。


 この小都市を住民が放棄する際に、逃げ遅れた子どもかもしれない。親がいても悲惨。いなくとも悲惨。どちらであれ子どもは夜に怯え、ここへ逃げ込んだのだろう。そして、誰に救われることもなく死んだ。怖かったろう。飢え、渇いたろう。その絶望はいかばかりか……インターフェースを操作すれば、そんな忌まわしいフレーバーテキストでも読めそうだったから、つい手に力が入った。


 小さな頭蓋骨がもろくも砕け、サラサラと粉になっていく。白く儚い粉末へ化していく。それがよく見える。ねばつくほどだった闇が急速に消えていくからだ。ほどなくしてただの暗がりとなった。


 男もまた、その流れに身を任せた。灰へと返っていく。


 ―――「さみしい」、か。そうだよな。


 木箱の脇につたなく書かれた文字に触れた。白い粉のそばで一緒に灰になる……それが何の慰みになるともわからないが、男はそうしたかった。それくらいしか、思いつかなかった。

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