第12話 進軍の聖騎士

 アレンヌは夜の気配を呼吸する。神妙に正確に。それが血眼に抗うということだ。


「さあて、おいでなすった。野っ原にうじゃうじゃするあれらが主群として、あっちらこっちら隙を伺う小群れがいやがる。まったくクソだせえ連中だよなあ、おい。化け物のくせに腰が引けてんだからよ?」


 ラマウットの態度は不敵そのものだ。配下の兵たちにも笑う余裕がある。それほどに熟練しているのか、はたまたそういう指揮なのか。


「まだ死ぬなよ、ご一同。ここじゃ安い。一等高いのは無論のこと帝都だ。ワクワクするじゃねえか。手つかずの美酒が我らの愛撫を待っているんだからなあ。聖地奪還作戦の端の端、緒戦なんぞでくたばるのはつまらねえぞ。男なら美酒に死ね。ここで死んじまったらさっきの酢酒を浴びせるからな」


 盛り上がり方を不謹慎に思いつつ、アレンヌには羨ましさもあった。彼女は下戸である。嬉々として酒類を探し漁る男たちにはどうにも交じれなかった。


 放棄された村を、義勇軍は今夕の陣地としている。


 素人仕事であった防塁を補強し、装甲荷車で隙間を埋めて、その内側には徒歩兵四千卒の盾と長槍がずらり並ぶという配備だ。斥候の他には騎兵も外へ出してはいない。騎馬一千騎は二十隊に分け、どこからの侵入にも対応できるよう配置したようだ。


 それらのさらに内側へ、アレンヌは己の部隊を展開させた。大篝火を中心に方陣を敷いた形だ。二百騎はまとめおいている。


「徹底防御……定石ですが、灰騎による攻撃を前提とした戦術でしょう?」


 心配そうに言うのは聖騎士ロイトラだ。たおやかな女性である。


「本当に、私たちは召喚術を使わないのですか?」

「ええ。必要が生じれば召喚しますが、ひとまずは待機です」

「……それほどまでに」

「どれほどかは、見てもらうのが早いでしょう」


 大篝火のもとではまさに召喚術が行使されているところだ。詠唱する声はいとけない。


 ポイだ。ポイが遥かなる視座で世界を言祝ぐ。


 黒衣の背丈は誰よりも低いが、並ぶものなき大食の少女である。神剣を掲げる腕は誰よりもか細いが、並ぶものなき霊威の召喚術士である。つきつめれば義勇軍とは彼女を守護するための軍だ。


「この小娘は戦場の端に捨てられておったのだ」


 城塞からの帰路、荷台に眠るポイを見守りながら公爵が話してくれた。


「卿も知っておろう? 子どもへ投薬を伴う洗礼を施し、強引に術者へと仕立て上げる外法……祝福の子。そんな子どもたちの忌々しくもありふれた末路だ」


 神国派消滅の後、公爵は戦場を巡ったという。雑兵と肩を並べて戦いもしたというのだから、つくづく型破りな貴族である。


「儂が見つけた時にはもう虫の息でなあ……せめて看取ってやろうと思ったのだが、水を飲みたいと言う。飲ませてやると、まあ飲むこと飲むこと大蛇のごとくに! 水筒三つ分を飲み干すと、今度は何か食べたいと言う。それならとパンをふやかしたのだが、いかにも物足りないという顔をしおる。鼻をひくつかせ、目で儂が何か持っていやしないかと探ってもきよった! ヌハハ! 強い子である! 良い子である!」


 自慢げに、愛おしげに、公爵は語り笑ったものだ。


「しかも、神剣が本物であると証明までしてくれた! まったくあっぱれな小娘よ! ヌハハハハ!」


 今も、自信たっぷりに愛情たっぷりに、公爵はポイを見守っている。


 きっとポイもわかっている。背に公爵を感じている。だからああも真っすぐに、心のままに在れるのだ。


「来て、灰銀の狼」


 霊威すさまじき白煙の奥から、来た。ポイの呼びかけにのみ応ずる灰騎だ。冴え冴えとした月の光がそのまま刀剣と化したかのような威容……ゴクリと鳴ったのはアレンヌの喉か、それともロイトラのものか。


 さらに三騎が現れた。


 一騎は髑髏を模した兜が目を引く灰騎で、長大な大剣を背負っている。


 一騎は牙剥く憤怒の仮面兜をした灰騎で、大小二本の片刃剣を帯びている。


 一騎は兎耳の兜飾りが特徴的な灰騎で、細身の軽甲冑が物珍しい。


 四騎そろい踏みしたところで、銀狼がおもむろに手を挙げ、静かに前方を指さした。ただそれだけの仕草が、しかし全てを動かすのだ。四騎が放たれた矢のごとくに駆け出す。ラマウットが命じた火矢が、駆け行く先へと一斉に飛んでいく。誰もの視線が、火矢の届く先へと向く。銀狼の一指が示した先へと。


 一番槍は、アレンヌとしては初めての目撃となるが、銀狼だった。


 何と、跳び込んだ。二騎三騎の頭上を騎馬で越えていった。着地するが早いか一閃される三日月の長柄。吹き飛ぶ血眼の数騎。いつにない派手さだが、アレンヌにはわかった。拙くもまとまろうとしていた群れの意識に、その一撃で大きなヒビを入れたのだと。


 そこへ強く衝撃が加えられた。髑髏兜と憤怒仮面だ。


 前者は暴力の化身といった戦いぶりだ。身の丈を上回る大剣を右へ左へ振り回す。間合いの内にあるものは血眼も黒馬も区別なく両断し、吹き飛ばす。届く音からしてもう物騒なのだ。死を直感させる重音をまき散らし、敵を範囲的に滅ぼしていく。


 後者もまた人外の膂力ではあるのだが、剣の速度と軌道にこそ注目すべきだろう。速いだけでなく上手い。斬るに至るまでの見えざる術理……間合いや虚実といった技巧がとてつもない。血眼が自ら斬られにいっているようにすら見えてしまう。


 いよいよ乱れた群れの中心には、銀狼。その刃の振るわれるところには血眼がいる。そう動く。血眼が刈られると群れが弱る。そう戦う。銀狼は敵勢の急所を突き続けているのだ。


 散り広がった血眼もあちらこちらで霧と消えていく。どうも兎耳の灰騎の仕業らしい。何かを投げつけているのか。鞍上へ膝立ちになるとはいかにも妙な―――跳んだ。馬上からの跳躍だ。血眼へ跳びかかり、短剣か何かで殺め、また跳ぶ。中空から暗器か何かを投擲もする。別の血眼をまた刺し殺したが、近いところには敵味方の誰もいない。どうする。跳び、着地し、走り出した。速い。馬ほどではないにしろ高速だ。どういう灰騎なのか。


「あれが、あれらが神剣の……何という……何という……」


 ロイトラが何事かつぶやいている。誰もが一度は経験する、痺れのごとき何か……暗く閉ざされていた未来へ射した光を、にわかには信じられないという戸惑い……アレンヌは小さく頷いた。


「気を引き締めろ! 来るぞ!」


 ラマウットの声と、それに応じる声。人外の魔闘へと引き寄せられていた心を取り戻し、地に足をつける。


「弓隊構え! 俺の矢に続け!」


 言うやラマウットが火矢を放った。左方、小川の向こう側へだ。次いで右方、灌木の中へ。射すくめられ飛び出してきた血眼はそれぞれ三騎。正面からもまとまりなく四騎が来る。計、十騎。まずはそれだけ。まだ来よう。この地形、あの群れ方ではそれが当然だ。


「騎馬隊、騎乗せよ」


 命じてアレンヌは馬へまたがった。


「歩兵隊、隊伍を密とせよ。以後の指揮はウラタ歩兵長が執る」

「は! 歩兵隊の指揮を執ります!」


 剣は抜かない。薪も取り出さない。


「気を張れ。ただし呼吸は正確に」


 防塁での攻防が始まった。障害物と槍で阻み、矢を射かけている。無理に討とうとしない指揮であり、陣の外だけでなく内に対しても隙を見せない。つまりラマウットは防塁の維持についてアレンヌの一千二百をあてにしていない。


 ―――正しい。正しいがゆえに、私の選ぶべき正解もわかりやすい。


 後方で悲鳴が上がった。血眼が防塁を跳び越えたようだ。狡猾にも回り込んでいたそれらは四騎。憎しみを咆哮してこちらへ、大篝火の方へと襲い来る。


「全騎、四列横隊! 我ら騎馬の壁となり、かの敵を止めるぞ!」


 強固な馬列でもって突進を受け止めようという意図だ。騎馬の高さと重さに対抗するために同等のものを重ね置くという、至極単純な方法だ。


 来る。血眼の一騎が向かってくる。アレンヌは三列目だ。盾を構えた。それで少しは呼吸がしやすい。殺意は吹き付ける。声が出た。誰からとも知れない。吠えた。謂れなき怨憎への反発だ。激突。一列目が突破され、二列目も崩れ、目の前に黒い騎馬。盾を叩きつけた。四方から同じように盾。愛馬がいななき黒馬へ嚙みついた。馬の目にも許しがたい存在なのだ、血眼は。


 押し合いへし合いの中で三騎を討った。剣技も何もあったものではない。盾で囲い数で圧し、槍を幾竿も差し込んだ。猛獣を殺すように殺した。


 逃した一騎は駆けつけた五十騎が討った。ラマウットの配置した即応騎馬小隊だ。


 ―――これでいい。二百騎で『最奥の壁』になることが、私の正解だ。


 夜明けは遠いが炎は絶えない。月も天地どちらともに在る。戦士たちは強く団結し、勝つための努力と工夫に余念もない。高ぶるばかりの戦意の中心には、ポイと大篝火に寄り添うようにして一旒の旗が掲げられている。


 とても古い。赤地に黒く帝国十字。中央には白く月と剣の印章。


 かつては親衛騎士団の軍旗だったという。神剣と共に発見されたそれは、かかる進軍に際し、正式に義勇軍の軍旗となった。


「装備を検めよ! すぐに次が来る!」


 アレンヌは夜を呼吸する。血眼への抗いは始まったばかりだ。

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