第10話 謁見の聖騎士
聖騎士アレンヌは目と耳を疑った。
「おっちゃん、なーんで来ちゃったかな……のんびり料理でもしてろっつーの」
帝国第三皇女にして聖殿軍団司令官であるところのエパトイヴォ殿下が、短く刈ってもなお艶やかな金髪をかき上げ、神秘を湛えた紫眼を喜ばしげに細めて……開口一番放った言葉がそれである。
「皇女殿下におかれましては、よくも儂抜きで聖地奪還の軍を組織しおったな? しかも面憎い名前を冠してくれおってからに……軍団を改名しろ。後は任せて行宮へ帰れ。もっと食って肥えろ。あと結婚しろいい加減に」
「やーだねー。あたしゃ早抜けしたくてこんなことしてんだ。やりたいようにやるさね」
軍営の中にしつらえられた皇女の私室である。掛けられた垂れ幕の荘厳、飾られた天鵞絨の豪華、備えられた軍装甲冑の勇壮、そして何よりも皇女自身のまばゆいばかりの美貌と風格……緊張で渇ききった己の喉と口腔……なるべく音を立てないように唾を飲み下す。
あるいは自分の頭がおかしくなったのかもしれないと疑い、アレンヌは目を閉じた。経緯を思い返す。
義勇軍の発足および活動のために必要なものは多く、その絶対的な一つとして「村人の安全」があった。周辺地域は放棄地としてまさに血眼の跳梁跋扈するところとなりかけている。このままでは身動きがとれない。
いかにして砦以西への集団移住を許可されるか……アレンヌは非情な現実を知るがゆえに苦悩したものだが。
「ヌハッ! 地の放棄など自らの足を食うがごとき所業! 逆を思考せよ。ここらを血眼の脅威から解放するには何をなすべきか……つきつめれば要害地の奪還となる。見るがいい。かの山塞に三千兵力を駐屯させること叶えば、広大な畑作地を取り戻せる。かの地に人間の営みが盛んとなれば祭事をもって瘴気の流入を抑えられる。どうだ。言うてはなんだが、たかだか三千兵力でどうにかなる話なのだ……それを捨地照闇の計などとうそぶき、いたずらに悲しみを広げおって……剣呑坊主めが!」
砦司令部は交渉を受け入れた。公爵の考えは理に適うし、砦が最前線となること嫌ったこともあろう。
まずは状況を確認しようということで、砦からの派遣部隊二百騎を伴い件の山塞へと向かった。威力偵察だ。瘴気は濃くなりゆくばかりで、夕暮れの気配が漂うやすぐにも血眼に襲われた。持参していた「祈願の薪」により灰騎を召喚し、二度にわたって襲撃を撃退した。そこまではよかったが。
灰騎が暴走した。砦兵には誤魔化したが、あれは術者の意思を無視した突撃だった。
山塞に巣食っていた血眼は少なく見積もっても三百以上。骨犬も数えれば軽く一千数百を超えよう。そこへたった四騎の灰騎が攻め込み陥落させてしまった。
ポイと公爵ははしゃいでいたが、アレンヌと砦兵たちは言葉もなかった。
立ち尽くし、ただただ震えたものだ。
奇跡のような強さであるとは知っていた。四騎の連携が戦果を増大させることもわかっていた。並みの灰騎の二十数騎分に相当するだろうと戦力を算出してもいたが、そんな理解を軽々と超えられた。ありえざることをあらしめる不可思議をもって奇跡と呼ぶのならば、確かにそれは奇跡でしかなかったが。
月光を背にたたずむ畏怖すべき孤影……神剣に選ばれし灰騎、銀狼。
―――あの在り様は非現実的だ。血眼を上回るほどの理不尽……理不尽の中の理不尽だ。
悪寒が背筋にわだかまる。油断すれば震えもよみがえろう。
―――怖いのは信心が足りないからか。無恥でもあるぞ、私よ。恃みにしておきながら。
大きく深呼吸をした。己の器量の無さはとうに自覚していた。足らざる部分は努力で補わなければならない。補いきれなければ失敗し、無様をさらすばかりか、部下をことごとく死なせることになる……アレンヌは下唇を嚙んだ。
「あーあ。おっちゃんが馬鹿だから従者が呆れてっぞ?」
「お前に呆れとるんだ! いいかよく聞け! 神剣は本物であるし、選ばれし灰騎は伝承そのままに強力無比である! まずはそれを受け入れ理解せよ! さすれば聖地奪還の戦略にも幅ができるとわかろう!」
「ハハン、今更だなあ。まあ好きにやりゃいいよ。こっちはこっちでやるからさ」
「まだわからんか! 神剣は―――」
「黙れ。あんたこそ、わかれや」
ヒヤリとした響きに打たれ、アレンヌは自分が今どこにいるかを思い出した。
皇女が公爵を見据えている。ここは退けないところだ。北東地域奪還の戦略を説明すべく、聖殿軍団の駐屯する城砦へやってきたのだ。承認を得られなければ山塞を再放棄することにもなりかねない。
「灰騎なんてありがたがるな。あれは血眼と何ら変わらん。どっちもふざけた化け物でしかない」
心底軽蔑したような、その言い様。
「運用してわかった。あれらの本質は闘争への愉悦だ。人類の存亡になんざまるで興味がない。指示は聞かんし召喚に応じる応じないも気のむくまま。練度はまあ高いところでそろってきたが、得物も戦い方もバラバラで根本的に集団戦の何たるかをわかっちゃいない。死を恐れぬ戦いぶりなんてもんも、ハン、幻想だよ幻想。あれらは死なんから、ただ戦いを楽しんでいるだけなのさ……あたしらの命を食い物にしながらな」
言って、皇女は背後から「よっこいせ」と布巻きの何かを取った。人一人の身長ほども長い。手渡された公爵が神妙な顔をして布を解いた。茶褐色に腐敗したかのようなそれは、見たところ古い大剣のようである。
「……聖剣か、これが」
アレンヌは声を上げないことに苦心した。聖剣。知らないはずもない。神剣同様、建国の昔より祭殿が今に伝える聖遺物である。
「神剣に倣って『虎』を刻んだんだ。なるほど抜群に強い灰騎を呼べる。でもそれにしたっていつもじゃない。肝心な時にかぎって出てきやしないし、戦況も都合もお構いなしに消えることだってしばしば……まったく勝手なもんさ、不死身の化け物どもときたら」
ひらひらと振られた手。アレンヌはそこに飛び散る血を幻視した。万を超える兵を統率する立場とははたしてどれほどのものかと思う。責任と苦悩の重さは想像するだけで怖気を覚えるほどだ。
「戦略? 笑わせんなよ、おっちゃん。博打だよ。あたしらは大博打の真っ最中なんだよ。何をどう工夫したところで、ハハン、神頼みを念入りにするかどうかの差しかあるまいさ……賭け方の優劣を言い争うなんて馬鹿々々しいし、無粋で無意味でもある……つまり、うっせーなあってこと」
からからと笑い、二巻きの書類を示した。
「おっちゃんも賭けたいってんなら止めんよ。そら、いっそ砦の指揮権を譲ってやるし、義勇軍の立ち上げも独立行動権も認めてやる。精々、思い残しのないよう賭けるといいさ……ハハハ」
そのくすんだ眼差し。その儚い笑み。その虚しいばかりの口調。アレンヌの憧れた凛々しき姫将軍はどこにもおらず、一人の疲れきった女性がそこで息をしているだけだ。
話は終いだと追い出された廊下で、公爵が苦しげに吐息した。
「何たる嘆かわしさか……聖殿派の馬鹿者どもめ、若者を祀り上げた挙句に、ああも自棄にしてしまうとは」
「その、皇女殿下とは親しくていらっしゃったのですか?」
「あれの母は儂の妹だからな。幼くから天稟隠れなき子であったよ」
それきり口をつぐみ、城砦内を歩いた。行く先々で人に避けられた。ある者はギョッとして、ある者は忌々しさを露わに、またある者はこそこそと面目なさげに道を譲る。アレンヌとしては身のすくむ思いだが。
公爵はといえば、常と変わらず堂々たるものだ。頼もしいばかりの背中である。
向かう先に人だかりができていた。食堂の入口だが、どうも食事のための列ということでもないらしい。「おお」だの「何と」だのと妙ににぎやかである。
注目の的はポイだった。
重ねられた皿は食べに食べたりという有り様で、鼻息荒く頬でかく、必死な形相で喰らっている。水色の目が爛々と輝いているのは目の錯覚なのか、それともある種の奇跡なのか、アレンヌには判断がつなかい。付き添いの聖騎士がかいがいしく手や口の汚れをぬぐい、水を薦め、皿の交換も手抜かりない。
「ヌハハ! こうでなくてはならん! これがあるべき姿よ!」
「え、あれが? 何の?」
「やはり儂が先頭に立たねばならんなあ! 重きを背負い矢面に立つことこそ大の大人の矜持というもの……心ある者たちを糾合し、義勇軍を精強たらしめ、もって聖地奪還を成し遂げるのだ! ヌハハハハ!」
見えているものが違うのかもしれないと、アレンヌは思った。肩の力が抜けていく。安堵したわけではない。身の程とでもいうべきものが、心地よく腑に落ちたのである。
―――私の生きどころも、死にどころも、きっとこの二人のそばにあるのだろう。
心に、死なせてしまった部下たちの顔を思い浮かべた。易々と死なせていい男たちではなかった。彼らの犠牲で生き延びた命を無駄遣いできようはずもない。
アレンヌも食事を求めた。未練を残さず戦うためにこそ、今は食べるのである。
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