第7話 死にゲーのVtuber
男は、生まれて初めてVtuberなるものを視聴していた。
「やあやあ人類! 封印の隙間からブナズィーワ! わたしゃジュマ神だよー!」
一時停止し、ミュートし、再生速度を三倍に設定した。「え、ひどい!」と聞こえて首を傾げた。サムネイルの自動再生はオフにしてある。空耳だろう。
タブレットを持ち直し、ベッドの上で身じろぎした。ストレスを予感してのことだ。アニメ風美少女キャラクターが画面右下で小刻みに震えたり揺れたりと目障りだが、男はこのアーカイブ動画を調べる必要がある。イモータルレギオン日本語攻略Wikiで気になる書き込みを見つけたからである。
>共同ミッションがあるってマ? 海外掲示板で話題になってんだけど
>単騎戦しかやったことないとか逆にマ? 大規模戦なんて普通にあるやんけ死ぬやんけ XD
>あれだろ? クソつよ灰騎に僚機で招集されるとかってやつ
>クソつよといえば呼吸氏(最近あんま息してるの目撃されてなかったけど)
>現行最強は剣DO氏だろ
>だから運営はクラン実装しろと(ry もうリンチされたくないんだぜ……最後は頭突きよ XD
>ジュマの芋煮紹介配信でそのへん解説してたぞ
>kwsk(インターネット老人会より切実な要請が届いております)
>イモレギの公式非公式Vtuberジュマ・ラ・ヤノスの配信見れ
基本的に、男はイモータルレギオンの攻略に興味がない。
アップデートや最新環境もチェックしていない。装備にしろスキル構成にしろ一度は当時環境のベストへ至っており、満足したから、もういじるつもりはない。たとえ現行環境においてはベターでしかなくとも構いやしない。アンデッドライクとしてプレイできさえすればいい。
しかし最近はそうも言っていられなくなってきた。
まずオペレーターのランダム性が失われた。必ず白雪髪で水色瞳の食いしん坊少女に召喚される。参戦要請の通知すら来る。「神剣」とやらに関わったことで何かのイベントフラグが立ったのかもしれない。
そして、召喚された後に「僚騎」を選ばされるようになった。
最初は面食らったものだ。特殊な戦闘秘術かと思いきや、発動に熱力を消費することがなく、ミッション開始時に強制発動される新システムである。しかも僚騎はNPCではなく他のプレイヤーらしい。挙動もそうだが、「XD」の挨拶が通じるNPCなど存在するわけがない。
―――勝てるにこしたことはないが、手間が増えるのはなあ。
これ以上の面倒は御免だから、男は我慢し、調べている。アニメキャラにジト目でにらまれた気がした。
「……はいはいそのとーり。共同ミッションは実装されているよ。皆の記憶にも色濃いだろうあれだよあれ……喪失しちゃったもんだから発見にしろ回収にしろ超大変だったあれ……そう、神剣! あれにまつわるミッションなんだ!」
該当箇所は再生速度を通常へ。神剣。やはりあれかと男は思う。
「ぶっちゃけ神剣って最重要アイテムだからねえ。あれを帝都大祭場へ持っていけるかどうかじゃない? それで多分ジリ貧じゃなくなるし……あーはいはい! そうだよねネタバレ良くないし興味ゼロの人もいるよねー! 君だよ君のことだねー! フヒュウ、ほんといい性格してるぜ……!」
キュルキュルとうるさいが、画面上に表れた図はわかりやすい。一時停止してじっくりと分析する。
神剣イベントとやらは特別なキャンペーンミッション群の攻略により進行するようだ。ミッション発生時にログインしているプレイヤーの中から参加者は選ばれるが、抽選ではなく、被召喚の優先順位が設けられている。
優先度第三位「神剣騎兵」は累計スコアランキング二千位までのプレイヤー、優先度第二位「神剣精鋭」は累計スコアランキング二百位までのプレイヤー、優先度第一位「神剣十将」は累計スコアランキングベストテンのプレイヤーだ。それぞれ特別なバッジが付与され実績が解除される。スキルや装備についての優遇がないあたりがいかにもイモータルレギオンだが。
男はまた首を傾げた。
優先順位も何も、と思ったのだ。このところは毎回が神剣イベントとやらのミッションである。
「……特別枠もあるよ。最優先の灰騎ってことで、神剣に名前を刻まれた一騎がいるんだ。誰かって? 皆も納得すること請け合いの殿堂入りプレイヤーさ! ヒントはクッソ強いこと! たぶんだけどゲーム星人だよ、この人……野球星人とか将棋星人とかみたいな……だから地球の空気が合わないんじゃないかなあ? ねえ、どう思う?」
何やら嫌な予感がして、男はVRゴーグルをかぶった。つい手癖でイモータルレギオンをスタートしてしまいそうになるが、踏みとどまってバッジと実績を確認する。
神剣英雄、とあった。動画で紹介されていたどのバッジ名でもない。
顔をしかめた。低く唸りもした。
―――余計なことを。
シーツを引き寄せた。持ち上げられたり持てはやされたりすることを、男はイモータルレギオンに求めていない。ただ戦場があればいい。美しいものを目にし汚らわしいものを叩き潰せる戦場以外は、全てが邪魔でしかない。
男はもう、若くないのだ。
くたびれ擦り切れて、他人や社会に何も期待していない。人生に見切りをつけている。だから現在の怪しげな入院生活にも身を任せられるのだ。どうとでもなれ、の心境だ。食事制限もリハビリも粛々と受け入れるし、何が入っているかもわからない点滴を拒否しないし、南国風に香るばかりで味がするのだかしないのだか定かでないミキサー済みドラゴンフルーツも一息に……とはいかなかったが、残さず飲み干した。
―――いっそ跡形もなくなれたなら……灰にであれ……霧にであれ。
画面の右下で何かがスライドした。MOD―――ユーザー有志によるゲーム改造プログラムの新着紹介だ。ダークモードの背景よりも黒いサムネイルに目を引かれた。吸い込まれるような黒さだ。タイトルが文字化けしていている。
少しは読めそうな気もして、凝視すると……消えた。
視界の焦点がブレて目眩がした。目を閉じること数秒、もう一度見るとサムネイルが別のものに変わっていた。ありふれた鎧甲冑のサムネイルだ。装備の外見をカスタマイズする類のMODは最も数が多い。
「そうそう、愛しい人類へ注意喚起! 違法MODはダメ絶対だよ!」
消し忘れていた動画が、妙に大きなボリュームで何か言っている。
「ユーザーデータが壊れちゃったら楽しく芋煮もできないよ。それってつまらないし悲しいことさ。わたしたちはようやくこのゲームに集えたんだ。一緒にやってやろうぜ、人類……大好きな大好きな皆……戦いたくても戦えなかった君たちだけれど、火に呼ばれ灰を鎧うのなら、いつからでもどこからでも戦えるんだから」
静かになったタブレットがそのままスリープモードへと移行した。壁掛け時計が秒を刻み、刻んで、刻み続ける。男は外したVRゴーグルをしまうでもなく着けるでもなく、息をすする。
ノックが二度鳴った。ドアがスライドした。今日もコンシェルジュがしたり顔である。
「おや、お顔の色がすぐれませんね。悪い夢でも見ましたか? それとも幻覚や幻聴でしょうか……ゲームのやりすぎは夢と現との境を曖昧にしますから」
この女は頻繁に部屋へやってくる。これという用事がなくとも十分ほどは滞在し、益体もない話をつらつらと放り投げて、意味深な笑みのまま出ていくのだ。
「フフ……猫を思い出しました。居場所を見つけられない野良猫のことを。餌を与えることはできても憩わせることはとても難しい……おっと、もしも揶揄や皮肉に聞こえたなら謝罪します。先日、黒猫の世話をすることになりまして。いつか貴方にもお見せしましょう……フフフ……きっと素敵なことになりますから」
不気味に微笑む女の手元に用紙を見つけ、ひったくった。夕食の希望アンケートへさっさと回答する。いや、ドラゴンフルーツはレッドとホワイトのどちらがいいかという二択にだけは迷った。前回のものは白かったから、躊躇いつつも、レッドの方に丸をつけた。
「忠告を。何事も、反対側というのは興味深く映るもの。正邪、明暗、表裏……ゆめゆめ目を凝らすことです。どちらがどちらなのかは絶対でなく、見る人によりけりなのですから」
去り際の笑みには、いつにない憂いのようなものがあったかもしれない。
―――わずらわしいことばかりだ、この世界は。
VRゴーグル側面の通知LEDが明滅した。呼ばれている。戦いが用意されている。嚙みつくような思いで、男はそれにつかみかかった。
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