第6話 観戦する聖騎士
ウラタ民兵長が指示を飛ばす様に、アレンヌは目を見張った。
「壁を固めろ! 油壷はありったけだ! 矢はいい! 火矢の分だけありゃ十分だ! 網だよ網! あと分銅縄! 足らなきゃ紐に鍋でも杯でも結んどけ! おら、歩くな走れ! 敵は速ぇぞ! しかも百騎だ! すぐ来るぞ! 走れ走れ! 一騎だって入れちゃなんねえんだ!」
まとう雰囲気が死線を潜り抜けてきた者のそれだ。外に激発しつつ内に沈着を保っている。
「ヌフム? ああ、家僕は白布隊の生き残りであるからな。指揮は任せておいていい」
「は、白布隊ですと!?」
決死隊の別名だ、それは。
本隊が撤退する際に時間稼ぎのため置き捨てられる部隊であり、夜通しの抵抗において同士討ちを避けるべく白布を身につけることが名称の由来である。その最期の凄惨さは想像に難くない。つまるところが、人間の嬲り殺しを欲する血眼への生餌であり、生贄なのだから。
「よくぞ生還しましたな……なるほど、頼もしいばかりです」
「それよ。生きてこそ人は強くなる。だというのに、まったく、軍にしろ祭殿にしろ『死なせ方』ばかり巧みになりおるわ……さあさ、ここだ」
公爵が示したのは村の集会所らしき建物だ。入口前の開けた場所へ、女子どもが協力して薪を積み上げている。
「祭壇……ですか? 灰騎を召喚するためのものとしては、いささか大がかりな気がしますが」
「まあそうであろうな。だが帝室祭事の意味を問い直し、信仰の本来に回帰すれば、祈願とはかくなるものよ」
透明な厳かさが、熱を帯びていた。
誰かの母が、薪を額に当てて何かを祈った。誰かの姉か妹が、薪を抱きしめて何かを願った。誰かの子らが、薪を握って歌い踊る。誰もが誰かを想っている。眼差しは強く、見つめる先は遠い。
集会所から登場したのは、黒衣をまとったポイ。
禊いだのか露を滴らせる白髪は常に増して白く、水色の瞳を映して氷のようにきらめいている。手には、いびつな鉄錆の杖のようにして甚大な霊威秘めたる召喚触媒……神剣。
小さく、自然に、彼女は唱えはじめた。
「みんな、健やかに。ずっと、幸せに。世界、そうあれかし」
素朴だが大それた求めに思えたが、さて、本当にそうだろうか。生きる喜びとはそういうものではないのか。
「笑顔を。会える人も、会えない人も、まだ会ってない人も。世界、そうあれかし」
言い様の遥かさに息を吞んだ。
ポイの姿が見えるも、しかし、そこに彼女はいないように思えてならない。山が、月が、星が、目には映れども手が届かないように……ポイはどこにいるのかと自問し、アレンヌは思いがけない自答へと至った。
彼女は今、独りきりでいる。
たった独りで、世界そのものと向き合っているのではあるまいか。
「火を焚こう。暗いなら明るく、寒いなら暖かく、世界がそうなるように」
言葉を追って火が灯った。祈願の薪が燃える。音を立てて、熱を発して、燃え上がっていく。
「炎の奥に、いるよ。無敵の騎士がいる。ジッと待ってる。呼べば来てくれる、世界を渡って。そして戦ってくれる。勇者のように英雄のように、ぼくたちのために戦ってくれるんだ……世界、世界、きっとそうあれかし」
すでにして霊妙な炎に照らされて、神剣がまさに神気を放ち始めた。煙も違う。白い霧のよう。目ではなく心に沁みて涙を引き出す。濡れぼけた視界に誰かが映った気がした。大切であった誰かが。あの人もこの人も。
「来て、灰銀の狼」
ゆらりと痩身の灰騎が歩み出た。月光を騎兵の形に彫刻したかのような武者ぶりだ。呼び名のままに灰銀色の甲冑は百戦に傷ついてなお神々しく、身に帯びた三種の刃はいずれも妖しく弧を描ききって鋭利極まる。肩越しにポイを流し見て、流れるように騎乗するその流麗さ……ただのそれだけで騎馬兵としての隔絶した力量が見て取れた。
これが神剣の灰騎……早々に気圧されたアレンヌだから、続く現象に度肝を抜かれた。
灰騎がツイと手を伸ばしスイと振った。途中三度止まったそれは手信号のようだと考えもしたが、すぐにそれどころではなくなった。白霧がにわかに流動し、新たな灰騎を出現させたのである。
一騎は、一本角の兜と大きな肩当てが印象的な灰騎で、いかにも騎士らしい槍と葉形盾で武装している。
一騎は、左右二本角の兜と戦外套が優美な灰騎で、背には大弓を、腰には一対の双剣を携えている。
一騎は、髭飾りの兜が厳つい重装甲の灰騎で、大きな丸盾と両刃斧とを重々しく構えている。
アレンヌは震えた。最初の灰騎と合わせて、つまりは四騎もの灰騎が一度の召喚で現れたのだ。どの一騎も一目で並みの実力ではないとわかる。どれも戦場で熟練し洗練された至高の灰騎であり、それらの中でも灰銀の狼と呼ばれた一騎……「銀狼」とでも呼ぶべきか……それが頭抜けた最精鋭だ。ただ在るだけで威風辺りを払う。
その銀狼が、自らと「一本角」と「髭飾り」とを順に指し、敵方へと手振りした。次に「二本角」を指して地を押さえるような仕草をした。察するに三騎で攻めて一騎で護るということか。指示に納得したのか三騎はそれぞれに頷いた。
何とも人間的な意思伝達だが、アレンヌはさらに驚かされた。
一本角が槍で地面に模様を描いた……十字と半円だろうか……それを見下ろし、四騎そろって肩をすくめたのである。なにがしか人知の及ばぬ臨戦儀式か、それとも見たままの印象であるところの気さくな交流か。
「見えたぞ! 敵さんのお出ましだ!」
ウラタ民兵長が叫ぶのと、四騎が跳ぶのとは、同時だった。
乗り手だけでなく馬もまた尋常の外にあるものか、騎馬は杭を蹴り壁を駆け、防塞を軽々と跳び越えていく。
二本角の一騎だけは村を見下ろす岩場の頂へ登った。すぐにも一矢をつがえ、滑らかに引き絞って……塑像のように静止して……放った。空烈の高音が轟く。目で追えるはずもない超高速の先に敵の砂塵が上がっている。
アレンヌは物見台へ駆け上がった。遠慮も配慮もかなぐり捨ててである。
凄まじい戦いが繰り広げられている。
荒野を薙ぐ飛蝗のような禍々しき血眼百騎……たったの三騎がその馬列を打ち砕き、かき乱し、翻弄している。一本角の灰騎は騎士の見本というような戦いぶりで、時に浅く時に深く、敵陣を鋭く突き崩す。髭飾りの灰騎の戦い方は豪快そのものであり、右に左に敵を吹き飛ばす様はさながら熊の大暴れだ。
そんな二騎の働きを攻撃にも防御にも活かす位置に、銀狼。
―――圧倒的だ。鎧袖一触とはこのことか。
独特な長柄武器が止まることなく振るわれる。血眼の首級が、風に吹かれた綿埃のように飛び散らかっていく。敬虔さに見舞われて、アレンヌは思う。あれは奇跡なのかもしれない。血眼を滅ぼす嵐であり、惨憺たる世界を撃つ稲妻であり、つまりは確かに人類の希望なのかもしれないと。
三騎の猛攻に怯えでもするものか、戦場から離れようとする血眼もいる。それらも滅ぶ。矢が飛来するからだ。村の方へ駆け来るものを優先的に射殺している。恐るべき狙撃だ。
一方的に戦いは推移して……今、最後の血眼が討たれた。
アレンヌは瞬きを繰り返した。三騎が微妙な間合いで譲り合った末に、狙撃矢と手斧が同時に命中したという決着である。手斧を投げたのは銀狼だ。また肩をすくめたか。本当に人間臭い仕草に思える。ああも灰と消えていく以上は尋常の存在でないことは明白なのだが。
「儂は神剣を旗印とし、聖地奪還のための義勇軍を設立するつもりだ」
いつの間にか隣にいた公爵が言う。
「アレンヌ卿にも参加してもらえると嬉しいのだが、どうかね。巡回任務もまた重要な仕事であるから無理強いはできんが、召喚術士の先達としてポイを援けてほしいのだよ」
嫌味ではないとわかる声色だが、それでもアレンヌは苦笑してしまった。
―――私など木っ端だ。凡愚だ。どうして期待に応えられようか。
到底肯んじえず、さりとて断りたくなくて、アレンヌは早口に尋ねた。
「帝都へ向けては、すでにして姫将軍殿下の率いる特設軍団が進軍中と聞いておりますが」
「主攻はあちらでいい。勢いは大切だ。先日も城砦をひとつ落としたようであるし」
初耳の情報だった。公爵の村外協力者は思いのほか多いのかもしれない。
「ただ、玉砕主義とまでは言わんが、どうも退路を断つがごとき戦略構想に思えてしかたがなくてなあ……あのお転婆姫の考えか、それとも剣呑坊主の方か……いずれにせよ義勇軍の役割は助攻を企図しておる。独立した作戦行動で臨機応変かつ高速的確に戦うこととなろう。ま、機会あらば先に帝都入りしてくれようとも。遠慮はいらんしな! ヌハハ!」
アレンヌは力むことで真面目な表情を保つ。ともすれば頬が緩みそうになる。
―――この人は勝つ気だ。勝てると信じている、本気で。
楽天的で夢想的だが、その展望は地に足がついているから力強い。明るい未来もあるのかもしれない……そんなことを考えた自分が嬉しくて、アレンヌはとうとう微笑んでしまった。
「だいたいだな、あの『聖殿軍団』という名称は何なのだ? もそっとこう手心というか、穏当な名称はなかったものか。卿も知っておろう? 神国派と聖殿派の諍いは完膚なきまでに勝敗がついたわけで……儂は痩せても枯れても神国派の盟主なわけであるからして……やりにくいというかバツが悪いというか……のう?」
もう、笑った。声を上げて笑ったのは本当に本当に久しぶりのことだった。
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