第4話 巡回する聖騎士

 聖騎士アレンヌは思う。戦場でだけは死にたくないと。


 しかし戦況は悪く、おおよそ生還は難しい。


 二十騎による巡回任務……滅んだ村の数を数えるだけのみじめな任務の途上で、百騎からなる血眼の機動集団と遭遇してしまった。地形を利用して逃れようとするも叶わず、前方を五十騎に塞がれた。すぐに後方からも五十騎が追い付いてくるだろう。 


「よくもまあ湧いて出るものだ。いよいよこの辺りの土地も放棄されてしまうかなあ」


 動揺する部下へ、鼻で笑って見せたが。


 余裕を演技したにすぎない。馬上槍も扱えない矮躯非力の女として、むくつけき部下たちを率いるべく参考にしたのは憧れの姫将軍である。謁したことはないので多分に想像の産物だが。


「正面の敵を打ち破るぞ! 横列陣形をとれ! 全騎、突撃用意!」


 声量で勇ましさを偽装した。聖別という名の燃焼工夫が施された松明を取り出す。火種入れが上手く開けられない。馬の揺れのせいではない。強く奥歯を嚙む。


 どうせ死ぬ。遅かれ早かれ皆死ぬ。


 そう割り切れない自分が嫌いで、それ以上に、自分を嫌わせる世界が嫌いだった。


「神々の聖名において要請する! 来たれ! 死してなお戦う騎士よ!」


 命を吐き出すようにして叫んだ。


 投じた火が霊威を発した。たちまち生じる、死そのもののような煙……その中に立ち現れる人影こそ灰騎だ。呼ぶたびに姿形は異なるし技量もまちまちだが、戦意だけは押しなべて高いから、使い道は一択となる。


「怨敵の撃滅を! しこうして人類の勝利を!」


 炭火を思わせる眼光で灰騎が突出した。死をも恐れぬ騎馬突撃だ。不死の存在ゆえの勇猛とはわかっていてもありがたく、その背は涙を誘う。祭殿の教えによると灰騎とはいつかどこかの戦場で倒れた騎士らしい。此度で何度目の戦死になるのか。


 だからアレンヌは思うのだ。戦場でだけは死にたくない……ああも美しく在り続けるのは拷問だと。


「突撃ぃ!!」


 行く。灰騎はまだ消滅していない。袋叩きではあるが、その奮闘で敵の馬列を乱している。面覆いを閉じた。今回の召喚は当たりだっと泣き笑う。


 刺突剣を構え、狙いを定めた。血眼。人型だからこそわかってしまう。あれらは人間を苦しめ、むごたらしく殺すことだけを欲している。強者として軽んじ蔑んでくるのではなく、むしろ弱き復讐者ででもあるかのように、恨みがましく激情をぶつけてくる。


 ―――呪うな! 呪うな! 私たちが何をしたっていうんだ!


 黒い甲冑の肩口を貫いた。手が痺れた。剣を手放し駆け抜ける。短剣を抜いた。部下ともみ合いになっている敵へ寄り、脇の下から突き上げた。肘打ちを食らって兜がずれた。引き抜いた短剣でもう一刺しを狙うも、部下がとどめを刺す方が早かった。いい騎兵だ。二児の父親で、部隊でも頼れる古強者という役回りの男である。


 悲鳴が聞こえた。落馬したその部下は兜も脱げて、絶望に歪んだ童顔が見える。アレンヌは見るよりない。彼の姉に振舞われた手料理が思い出された。姉弟仲が良かった。それでも見るよりない、彼の討ち死ぬ様を。


 ―――貴様らこそ呪われろ! バケモノめ! おぞましい殺人鬼どもめ!


 必死に戦うも、敵に囲まれつつあった。そばで部下八騎が戦っているが、誰も彼も傷だらけで、じわじわと挟み上げられつつある。あるいはもう後続の五十騎に追い付かれたのかもしれない。


 斬られ、殴られて、面覆いが弾け飛んだ。


 暮れなずむ空を鳥たちが飛んでいく。雲も帯なし流れゆく。アレンヌたちの生死を他所事にして今日も世界は超然としたものだ。唾を吐いたなら少しは汚せるだろうかと、嗤った。


「諦めるな! 隊長! 貴方はまだ!」


 庇われた。代わりに斬られた部下は二児の父親だ。絶叫した。敵が弾け飛んだ。灰騎だ。両腕を失っている。頭突きと馬の体当たりだけで包囲の一角をこじ開けてのけたか。吠え、そこへ突っ込む。肩に腕に足に敵の刃が触れてくるも、部下が割り込んでくる。熱い喊声。ああ、騎士団の頃からの戦友が貫かれた。ああ、笛の上手い優男が敵を道連れに落馬していった。ああ、ああ。


 どう戦い、どう駆けたのか、アレンヌにはよくわからない。何も思い出せない。無我夢中で死に抗っただけだ。


 気が付くと川辺の岩陰で馬を撫でていた。


 涼やかな水のせせらぎが、軽やかな鳥のさえずりが、耳から入ってくることを止められない。森林の香りを乗せた風が、肌を撫でてくることも止められない。


 どうして、と問いたかった。どうせ、と見限りたかった。


 渇くまで何もせずにいて……まだ、と思い定めた。顔を洗った。馬と並んで水を飲んだ。日差しが背を熱してやまない。


 望める稜線がわかりづらく少々迷ったが、日の高くなる頃にはおおまかながらも現在位置を把握できた。行く先の選択肢は二つある。すなわち血眼百騎の脅威を伝えるべく砦へ帰還するか、あるいは日が落ちるより先にたどり着くであろう次の巡回予定先へと向かうか。


 芋がらをしゃぶりながら逡巡することしばし。アレンヌは馬首を村の方角へと向けた。


 義務感へ弁明した。砦は遠く、単騎での道程は心許ない。砦の戦力からすれば血眼百騎の脅威度はさして高くもない。任務として至近の村の状況確認を怠れない。


 本当は未練だった。部隊の生き残りがいたなら、きっとその村へ落ち延びるはずだ。


 目を細め、口の端を歪めた。自嘲だ。


 ―――父に捨てられ、騎士団から左遷され、部隊が壊滅して……それでも、私は。


 アレンヌは自分のこれまでが未練がましさに汚れているように思われてならなかった。何一つとして成就せず、さりとて気持ちを切り替えることもできず、ただズルズルと無様な一生懸命を繰り返している。期待を、報われたこともないくせに抱え続けて。


 ―――愚かに生まれついたなら、やはり愚かに死ぬよりないのだろうな。


 向かう先の村のことを考えた。怯懦にも一晩の安息を期待してしまったから、きっと滅んでいるに違いない。それでも廃墟にすがってわずかでも安らごうとするのだ。誰かの足音に耳を澄ませながら。


 ―――確か、破門公爵の居座る村だったか?


 かつては「神国派」の盟主として貴族百家へ号令していた男だ。戦火に失われた伝国の神剣……その探索に持てる全てを費やし、己の命以外のありとあらゆるものを失い、今なお神剣にまつわる妄言を繰り返しているという。


 笑った。思いがけず先達を得た思いだった。馬を急かせた。


 未練の末路を目撃した時、自分がどうなってしまうかを知りたかった。

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