第2話 病室からの死にゲー

 特別個室への転室手続きが済まされていた。


 ベッドのまま専用エレベーターに乗せられ、豪華なラウンジを経て、男の自宅アパートよりも余程に上等な2LDKへと移された。医師と看護士が去った後にはコンシェルジュまで挨拶にきた。黒スーツの女性で、キュルキュルと特別フロアの利用詳細らしきものをアナウンスしていく。


「心ここに在らず、ですか。致し方ありません。いえ、さもありなんと申し上げるべきでしょうか?」


 機械的な声。無機質な眼差し。ニヤリとしか形容のできない不審な微笑み。


「お任せしたい役割についてはこちらで代理を立てておきます。本格的な実行は貴方の回復を待ってからといたしましょう。さりとて力が萎えてしまっては元も子もありません。何か軽い内容のものをあちらと協議の上、企画提案いたします」


 訳のわからないことを垂れ流し終えると出ていった。ドアを閉める際に「ゲームはまだお勧めできませんよ?」と不愉快な言葉を残した。


 かくして、ひどく寝心地のいいベッドの上、男は迷子の気分である。


 超然と男を囲う見慣れない物品の中で、ひとつだけ馴染み深い品物があった。サイドチェストの上に綺麗に揃えられたそれは、VRゴーグルとコントローラーである。


 吸い寄せられるように装着し、起動した。


 ネットワーク接続……網膜認証……ユーザーライブラリ開示。


 男は頬がひきつった。十数個と並ぶ灰色フォントのゲームタイトルの中で、イモータルレギオンという文字列だけが白く輝かしく表示されている。それだけはインストールもアップデートも完了しており、いつでもプレイできるというわけだ。


 得体のしれない、ありえざる何かが起きている。厄介ごとがからみついてきて、暮らしがさらにわずらわしいものになるのかもしれない。


 しかしどうやら息は吸えるらしい。


 ゲーム、スタート。


 アルコールを摂取していないものの、心が現実を拒絶しているからか、男はいつもの夢心地へと沈んでいけた。タイトルロゴの燃焼に魅入る。温められれば温められるほどに思い出されるのは、これまでの召喚者たちのことだ。


 民を逃がすための囮となった赤髪の女、血路を開くべく大軍へ挑んだ金髪の女、殿軍として三昼夜を戦い抜いた茶髪の女、瀕死の身を焚火へくべた黒衣の女……灰騎へ変ずるたびに関わってきた数多の女たち……彼女たちの大半は死んだ。見送ってくれた少数も長くは生き残れないであろう苦境での別れだった。


 皆、美しかった。容貌ではなく在り様がだ。


 そこに実在と非実在の区別は要らないと男は考える。詩人の見上げる月と科学者の見上げる月とでは真実が異なるように、ただ己の心に映るものを静かに仰げばいい。本物を決めるのは自分自身だ。


 さあ、炎の中だ。今回はどのような女に召喚されたのか。


 心澄ます男の耳に届いたのは、しかし、淡の絡みを想起させる濁声だった。


「おお! おおお! ついについに呼び出しおった!」


 中世の音楽家のような頭をした中年男が、血油に塗れた手を振り、唾を飛ばす。厚着を飾る装飾品の類が悪趣味なクリスマスツリーを思わせて鳴り響く。


「灰銀の甲冑! 三種の弧月武器! ヌハハ! 素晴らしく素晴らしい! 見ろ、聞きしに勝る剽悍さではないか! こやつこそが一騎当千! 神剣に選ばれた狼! 聖地奪還はもはやその成功を約束されたようなものだ! ヌワッハッハ!」


 召喚者を探して……暗がりにうつ伏せている少女を見つけた。


 か細く小柄で、哀れにも黒衣に着られるどころか重みに押し潰されているような有り様だ。雪白の髪の陰に空色の二つ瞳があって、凍り付いたように瞬きひとつせず見つめ返してくる。


 手には腐敗した樹枝のような、ねじくれの古錆び剣。拍動のごとく灯ると陰るとを繰り返すそれ。


 見覚えがあった。託され、運び、隠した覚えも。


 男は火から踏み出でた。足元は石組みの祭壇だが、鍾乳洞の中にしつらえられたものと見えて、四方には岩の凹凸やつらら石の影がおどろおどろしく踊る。


「どうした小娘、なぜ喜ばん? お前を使い捨てた連中の鼻を明かせてやれるのだぞ? ああ、早く見たいものだ! 賢しらな炭割り坊主どもが面目を失う無様をな! ヌハハ! 大いに嗤い、強めに面罵してやるぞ! 口論弓兵、揶揄で牽制したのち糾弾を斉射三連! 神剣を疑い侮辱した罪! 独善に酔い帝室に指図した罪! 真に敬虔なる儂を破門した罪! よおし今だ! 論破騎士団、舌鋒陣形で突撃ぃっ!」


 騒々しいジングルベルを避けて少女へ近づいた。立てないままでいるから片膝をつく。拝命待機の姿勢である。まずはミッションの説明を受けなければならない。


「……は……」


 白い息。ここは寒いのかもしれない。視界の端には貧相な藁寝床が確認できる。


「は、伯爵。どうしよう。別にお願いすることない」


 聞き違いだろうか。


「公爵閣下と申せい、無礼者。いつもいつも貶爵しおってからに……しかし困ったぞ。村を練り歩き民へ知らしめたいものだが何とも間が悪い。見よ、まさに晩餐の調理に取り掛かろうというところだ」

「お肉」

「その通り、馳鳥のもも肉を食べやすく切り分けて塩を振っておいたものだ。これを鉄平鍋でたっぷりの果実油に浸して焼くのだが、その際には皮を下にするだけでなく、上から強く圧してやらねばならん。そうすることで皮と肉の間によどむ余計な脂をひり出し、果実油と入れ替えるわけだ……これには二つの狙いがあってな? 一つは臭みを払って旨みをのみ鮮やかにすることで、もう一つは皮を楽器たらしめることよ。茶色く焼き上がったそれを嚙み締めたとき、お前は口の中で聴くことになるのだ……香ばしさがパリパリサクサクと鳴る極上をな! ヌッハハハ!」

「わあ……!」


 男はいぶかしんだ。いったい、自分は何を見聞きさせられているのだろうかと。


 とうとうフライパンで肉を焼き始めた二人を尻目に敵の気配を探る。ゲームシステムあるいは灰騎の性として瘴気は鋭敏に感じ取れる。心を傾ける。忍び寄る死を却って呼び招くようにして。


 いる。方角は東北東。距離はあるが馬の脚ならひと駆けだ。


「閣下ぁ!」


 装備の悪い兵士が駆け込んできた。洞窟の出口はそちらか。


「おお、家僕。よいところに来たな? お前の獲った鳥であるからにはカリっと焼き上げた一切れくらいはくれてやろうぞ」

「いやいや、そんな場合じゃなくて! 襲撃です! すげえ数のバケモンどもが谷の方から……うおっ! 灰騎! 灰騎だ! え、まさか嬢ちゃんが!?」

「無論のこと! それで迎撃は! どうなっておる! 仕掛け罠は!」


 外は斜度のある山腹で、砂礫の散らばる岩場に針葉樹がまばらに立ち並んでいる。


「足止めのやつは全部! 戦えるやつの半分は壁んところです! 残りは、独断で避難の護衛につけました!」

「もはやいかんと見たか……よい、民兵長としての判断であるなら誰が謗れよう。砦へ伝令を出してあるな?」

「出しはしましたが、あそこの連中はもう動いてくれんでしょう……閣下もご退避を」

「馬鹿を申すな。神剣が威を発揮した今こそ、貴き血の責務を果たすべく―――」

「貴いから! だから無駄死にしちゃいけないんですよ。子どももね」


 暮色の迫る空を仰ぎ、背に状況を聴く。男は得心しつつあった。


「どんだけすごい灰騎でも、一騎でどうにかなるもんじゃありません。でもきっと皆の、人類の希望になってくれるから……どうか、嬢ちゃんを連れて逃げてください」

「残るか、お前は」

「民兵長ですんで。なあに、本命の罠もあります。嚙みついてでも時間を稼ぎますよ」


 防衛力の弱い拠点に脅威が迫る撤退戦シチュエーション……召喚者を含む避難民への被害も達成率に関わる……これはそういう趣向のミッションであり、今は冒頭イベントが進行中なのだろう。


 見る。中年男も兵士もいい顔をしている。大人であることを逃げないから潔く、男であることを誇るから気高い。


 そして、少女。


 神妙にしているといかにも薄幸の美少女だが、焼けた肉を気にせずにはいられない様子は幼くいとけない。知らず男は苦笑していた。神剣とやらも気になるが、たっぷりと食わせてやりたいという思いの方が強く、何やらこそばゆくてたまらず、身をよじった。


 目が合った。そこからだけは綺麗な空が覗けるかのようだ。小首を傾げて問うてきた。


「皆を、助けてくれるの?」


 灰騎は言葉を発せないから、わずかに顎を引くことで返事とし、身をひるがえした。 


 戦闘秘術、限定発動。


 驚きの声を置き去りにして、単騎、疾風のように駆け出した。熱力は低領域でもものはやりよう。心が熱されずとも手足はしなやかに力を得ているのだから。

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