フシノゲイム/死にゲーで死にすぎた男の冴えた死に方

かすがまる

第1部

第1話 死にゲーで遊ぶ男

 ゲームをしていると息が吸える。


 しみじみと実感しつつ、男はログイン待機画面を眺めていた。『イモータルレギオン』というタイトルロゴが火にくべられた薪のように燃え焦げる。艶めかしい炎だ。頬を熱される気さえするのはアルコールによる錯覚だろうか。


 いいや、この火照りこそが望ましい実感だ。


 静かに、静かに、現実を放棄していく。不安や鬱屈は次第に薄れ、椅子やコントローラーの肌触りも失われていって……男は、異世界の大地に立ち上がる自分を見いだすのだ。


「灰より出ずる騎士よ。群狼の傑出よ。その献身と死憤に感謝を」


 黒衣を身にまとった女がひざまずいていた。繊細な宝飾品を思わせる気品と美貌であるが、両手で捧げ持つ杖は物語の魔女でも避けそうなほど腐り果てた代物だ。まさか燃え差しではあるまいが、残り火を思わせて赤黒く灯ってもいる。


 彼女が男を召喚した術者であり、今回のミッションのオペレーター役なのだろう。


 何となれば、イモータルレギオンはダークファンタジー世界を舞台としたミッションクリア型のVRアクションRPGゲームである。


 プレイヤーは人類に味方するアンデッド『灰騎』として召喚され、人類に仇なすアンデッド『血眼』と戦うことになる。アンデッド同士の熾烈で不毛な戦争は地獄そのものであり、タイトルに謳う「不死の軍団」が敵味方どちらをも表現していることは明らかだ。


 また、明確なエンディングがないゲームでもある。


 どこの誰にどういう戦況で呼び出されるのかはランダムだ。ミッション内容はその都度変わるものの、人類が劣勢にあるため難易度はどれも至難のものばかり。自然、プレイヤーはゲームオーバーを度重ねることになる。それを楽しめる変わり者だけが遊び続ける。プレイ動画やレビュー投稿にて嬉々として発表される凄惨なゲームオーバーの様子は「イモ死実況」「上手に死にました」「芋煮」などのタグで数多確認できる。


 ローグライクとジャンル分けできなくもないが、ゲームコンセプトと関連づけてか、ゲーマー界隈では「アンデッドライク」なる造語が生まれた。死んだような心で、死人になって、死人を殺し死人に殺されるジャンルである。


 だから、熟練プレイヤーともなればどんなシチュエーションであろうとも取り乱したりはしない。


 女の腹部を、一竿の槍が貫通している。


 死にかけている。


 細く吐息し、男は周囲へ視線を巡らせた。夕闇に沈む遺構の、かろうじて風雨を避けうる一角である。足元の焚火が魚の一匹を焼くにも難儀しそうな頼りなさだから、わずかに眉根を寄せた。


 火は力の根源だ。灰が冷えきった時、灰騎は灰へと返ることになる。


「すでにして国破れ、軍も散って、この地はもはや、呪いに呑まれるばかり」


 咳き込むたびに槍が揺れ、流血の筋が増す。苦悶の声が漏れる。悲痛の涙が落ちる。


「されど、今もどこかで、命は、産声を上げるのだから」


 救う術などない。瞬く間に傷を癒す奇跡や霊薬などこのゲームには存在しない。


 灰騎は、結局のところ人型の戦闘兵器でしかない。


 だから男は素早くインターフェースを操作した。ステータスの確認は必須作業だ。仮面兜および騎兵甲冑一式、薙刀、片刃剣、投擲斧……装備に不備なし。熱力低水準……満足な状態で召喚されたことなど数えるほどしかない……できることは限られる。


 ひときわ大きな咳。苦悶の呻き。吐き出される赤色。


 片刃剣に手をかけるや否や、暗がりから襲い来る何か。


 抜き打った手ごたえは硬かった。飛び散った骨の形状から察するに小型の骨格獣か。返す刀でもう一体を叩き落とし、三体目の牙を篭手で受け止めた。やはり骨格獣。敵の下等な猟犬だ。黄ばんだ頭蓋を柄頭で打ち砕いた。


「駆けて、落日の方角へ」


 女は真っ青な顔を血に染めていた。倒れ伏せるも、杖だけは地につけないよう身を強張らせ、男へと差し出してくる。


「どうかこれを、神剣を、運んで」


 受け取ったそれは腐れ木の杖ではなかった。錆に塗れて元の姿を想像することも困難な、一振りの長剣であった。ねじれ歪んだ刀身に神秘の文言が刻まれており、その中でも狼を意味する文字列のみが鼓動のように明滅している。


「いつか、誰かが……火を灯し、戦うために……!」


 女が焚火へ身を投げ出した。


 火はすぐにも黒衣へ燃え移り、異様なまでに燃え上がった。そうなるべく染め上げられた生地をまとい、そうすべく覚悟した女こそが、灰騎の召喚者である。


 男は走り出した。


 石畳を蹴り、瓦礫を越える。女を護りきれなかったのであろう男たちの骸がそこかしこに転がっていた。兵装から察するに高位の騎士団だろうか。踏み汚されていた旗を拾い、布地で神剣を包んだ。小脇に抱える。


 草木深い丘陵へと出た。植生と地形のつくるまだら闇の先に、いまもまだ夕焼ける地平が広がっている。


 戦闘秘術、限定発動。


 男の後背より一頭の軍馬が現れた。馬鎧に身を固めた白馬のような見た目だが生物ではない。熱力を燃料に動く乗り物だ。跨り、駆る。疾駆させる。


 急がなければならない。


 どんなにか尊い覚悟をもってする火炎であってもいずれは消える。しかるべき誰かへ届けることは現実的ではない。どこかへ隠すのだ。敵の手の届かない、なるべく遠いどこかへ。つまりはタイムリミット内に輸送距離でもって高達成度を目指すミッションということだが。


 男は唸った。胸に沸き起こる熱量のせいだ。


 悲嘆に屈さず、為すべきと信じたことに身命を投じる強さなど、男は持ち合わせていない。被害者ぶらず誇り高く生きる矜持もとうに捨ててしまった。


 しかし、善きものを美しいと感じる心は残しているのだ。まだわずかには。


 徘徊する骨格獣を無視して奔ることしばし。丘の起伏をひとつ越えたところで高速の追手がついた。騎馬の集団だ。一騎また一騎と増え続けるそれらは人馬ともに夜よりも黒く武装しており、掲げる旗もなく、獰猛さをひけらかすばかりだ。


 行く手を塞ぐ一団を避け、横合いから突っ込んでくる一隊をかわすも、数騎の並走を許してしまった。寄せてくるどの一騎からも殺意が吹き付けてくる。


 敵だ。『血眼』だ。人類鏖殺を欲するアンデッドの軍勢だ。


 多勢の当然として挟み込んでくる。得物は剣が二、槍が三。馬手側の三騎へ切っ先を向けつつ弓手の側へ流し目をして、意識するのは視界の端に映る地形の変化……やや下り、やや上り、大きく下りはじめる直前、馬を跳ばせた。弓手へ傾けての跳躍だ。駆け下る敵二騎を頭上から襲う。勢い任せの斬り下ろしで一騎を、身を引き絞っての平突きでもう一騎を、それぞれ一撃のもとに落馬させた。


 地に叩きつけられ、転げ弾んで折れ伏して、そして霧になる。風に掃かれて跡形もない。黒馬も後を追うように消え果てる。血眼は世界に何も遺せない。ただ闇雲に世界を汚していくのみ。


 だからでもあるまいに、その執念と怨念はゲームとは思えない迫力である。


 そら、残る三騎に怯みや躊躇いなどありはしない。


 吠えた一騎の、その牙並ぶ口腔を刺突した。すぐさま嚙みつく顎ごと引き抜いた。血とも涎とも違う墨色の体液が速度にもまれ、かき消える様を視界の端にして、回避。槍が男の胸甲を削った。引き戻される穂先を追うように肉薄、腕を断ち、腿を裂き、殴りつけた。


 最後の一騎と剣を交えること数合、鍔競る形となった。


 目……ああ……この目。


 血眼と呼ばれる所以であるところの、血涙絶え間なき目。白目も黒目もなく、眼窩を火孔のごとくする鮮血の沸騰。牙剥く凶相をより狂おしいものとし、言語によらない怨嗟をぶつけてくるように思えてならない。男がこのゲームをやめられない理由は、まさにこの血色の眼光にあるのだ。


 ――――憎いか、人間が。あるいは社会が。ひいては世界が。


 ――――わかる。


 ――――わかるが、同意しきれないのは、なぜだ?


 頭突きを見舞った。鋼鉄同士の激突に散った火花が、一瞬、血の色に反射した。錯覚かバグか、男はそこに目撃した気がした。凶暴な笑みを浮かべる自分自身の顔をだ。


 刎ねた首がくるくると舞って、地に落ちるよりも早く霧散した。


 さても、いまだ敵勢力下である。


 時に迂回し時に突破し、日の沈んだ先を目指した。死地の中の死地とでもいうべき敵地単騎駆けに、男は武器のことごとくを失い満身創痍となった。それでも駆ける。月光を背に思うのは召喚者の凄惨な死に様である。亡骸はとうに燃え尽きていよう。しぶとくくすぶる微熱が、かろうじて男の存在を引き留めているにすぎまい。


 あと少し。もう少し。馬がかき消えても自らの足で駆けて。


 とうとう、尽きる。


 男はこれと見定めた巨石に触れた。荒野に屹立する様は墓石や墓標のようで、遺品を隠すのにいかにも相応しく思われる。クリア達成度には加算されるはずもないこだわりだ。


 旗に包まれた神剣を、石の隙間へ押し込んだ。砂利石を加えて埋める。そうする間にも体がさらさらと崩れ、灰と化していく。男は巨石へ文字を刻む。英語圏のプレイヤーが「怒りのあまり笑えてきた」という意味合いで使った顔文字が、いつの間にかプレイヤー間の挨拶として使われるようになったものをだ。


 すなわち「XD」。通称クソデッド。


 かくして、ミッション、タイムオーバー。


 達成度を確かめることもなく、男はVRゴーグルを外した。両目は閉じたまま。デジタル情報も自宅の風景もない一人分の暗闇の中で、異世界を駆け抜けた余韻あるいは余熱のようなものに浸った。


 大きく息を吸い、長く長く吐いた。


 また日常が始まる。


 男には徹夜でゲームに没頭する体力も経済力もなく、人間関係も公私ともに希薄で話し相手すらいない。世界にはアナウンスとコマーシャルを伴うビジネスが騒々しいばかりでストレスしか感じない。


 死なずにいなければならない日々をどれほど過ごしたろうか。


 ふと開いたイモータルレギオン日本語攻略Wikiで、男は気になるやり取りを見つけた。



 >なんかミッション難易度バカ高まってね? 死ねと? 秒で死んだわ XD

 >チャプター制が導入されたのご存じない? 死ねば? 俺も死んだわ XD

 >クソ難易度の帝国滅亡編が終わり、クソクソ難易度の神剣探索編……ってこと?

 >また死んだ XD つかタグ検索したけど芋煮がショート動画集みたくなってんじゃねーかw

 >見つけさす気どころか、まともに遊ばす気もないのクソワロタ



 不思議に思うも、まだまだゲームができそうもない男は、一文だけを書き込んでおいた。



 >神剣なら荒野の墓標に隠しておいたぜ XD



 その書き込みがどう受け止められたかはわからない。その後、男は給料に反映されない忙しさできりきり舞いになったからだ。奴隷のようでもゾンビのようでもある日々の果てに過労で倒れ、盛大に嘔吐し、吐血までした。駅のホームでの仕出かしだったから救急車を呼ばれ、すぐにも内視鏡手術が行われる騒ぎとなった。


 手術にも入院にも費用と保証人が必要だった。前者は足掻けたかもしれないが後者は我儘を通せなかった。


 父親と、久方ぶりに対面することになってしまった。


 居心地の悪い沈黙、吐息、沈黙。


 嫌うというより気味の悪い他人だった。


 男は結婚したことがないし、結婚相手に逃げられたこともない。子どもを持ったことがないし、顔を忘れられるほど長く子どもを放置したこともない。まるで理解できやしない。しかも社会的地位が高く資産と人望に恵まれているというのだから、わずかな親近感も覚えず、もはや同じ人間であるとも思いがたい。


 だから男は体調を理由に退室を促そうと考えたのだが。


「……近頃、私もゲームをやり始めた。人に薦められてな。イモータルレギオンというゲームだ」


 唖然として声も出なくなった。


 白髪をオールバックに撫でつけた老紳士が、古めかしいデザインながらも高級であることは疑いようもない背広の肩をすぼめるようにしてうつむき、座っている。


「不思議な体験だ、あれは。実に奇妙で、切実で、やめがたい……あのゲームだけが特別という話だが」


 パソコンはおろか携帯電話すらろくに使えないはずだった。それがゲーム。わけてもVRゲーム。よりにもよってイモータルレギオン。


「……君への言づてを預かっている。かの人いわく、神剣は発見されたゆえ急ぐべし」


 なぜ。誰が。どうして。


 呆気なく出ていく背中を、男は呆然と見送るよりなかった。

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