9 真実
あの衝撃の事件から、1ヶ月が過ぎた。私はシロール様と、とても久しぶりのピクニックをしている。それも、私たちの秘密の地がある森の近くの草原で。大きな布を敷いた草原の真ん中、私たちは並んで座り、風を浴びる。
「泉も無事でよかったです。あの場所はシロール様の、いえ、私たちの大事な場所ですから」
「……えぇ。私たちの、ですね」
「ふふ」
「そうだキヌヨ様。帰りにギルドに寄っていいですか? ギルドの面々がキヌヨ様とニルナのお見舞いに全員で行くってきかないものですから、こちらから顔見せにいってやりましょう。全く面倒な」
「あらら」
ため息をつくシロール様は、なんだか嬉しそうだった。
あれから1ヶ月、いろいろなことがあった。まず一番は、この国の王が変わったこと。第一王子が国王に即位し、王と第二王子は期限なしの謹慎。命の保証はされるものの、実質は幽閉だ。どうやら今まで「お帰り」いただいてきた異世界人への非道な行いがどんどん明るみに出たようで、責任を取ってとのこと。第一王子はオニキス家に直接謝罪に来た。堂々として、けれど時折見せる笑顔が優し気な人だった。
そして私が発動した「永久結界」と呼ばれる結界。なんでも数百年の間は壊れないようで、魔物が近づくとすぐに消えてしまうほどの、強い力を持つ結界らしい。しかも人間や動物が近づくと簡単な傷を癒してくれるようで、今は絶賛研究中である。私が死んだ数百年後の未来のためにも、解き明かしてみせる。
あと私がとても気がかりだった、ニルナさんのこと。ニルナさんは昔所属していた犯罪組織と反オニキス家の貴族と第二王子に脅され、シャインさんを人質に取られていた。けれど誰にも言えず、シロール様にすら言えなくて、ずっと一人で抱えてきた。あの日、私を誘拐した日に奴らを裏切って、相打ちになってでもオニキス家を守るつもりだったと、目を覚ました時に言っていた。
それを聞いたシロール様は大層お怒りになった。まだ重症のニルナさんと取っ組み合いになって、お医者様にめちゃくちゃ怒られていた。けれどその後ふたりきりでいろいろ話したようで、今は軽口を叩き合っている。
ニルナさんが目を覚ましたあの日の夜、私の部屋に来て「落ち着かないから、思いきり引っ叩いてください」と泣きついてきたのは、ちょっと申し訳ないけれど、嬉しかった。私は部屋に迎え入れ、一緒にミルクセーキを飲んで、魔法の話をして夜を明かした。あの事件以来、シロール様も少し、ほんの少しだけ自分の気持ちに素直になった。相変わらずちょっと胡散臭いけれど、私とシロール様の間に、信頼関係以上の何かが生まれつつある。
「そういえば、キヌヨ様は今日は話があるとおっしゃっていましたね。仕事の話ではないようですが」
「えぇ。でもとっても大事な話です。きっと驚きますよ」
「ふふ、なんでしょう。録音して___」
「ダメです」
ですよね、とシロール様が肩を落として笑う。私は微笑んだ後、すっと口角を下げ、真っ直ぐに彼を見る。
「貴方は、誰なんですか?」
はっきりとした問いを投げかける。ずっとずっと、気になっていたことを。
「えっと、シロール・オニキスですが」
「私のあちらの世界での名前は、峰田絹代といいます。貴方はどうですか?」
ずっと疑問に思っていた。きっかけは「宇宙」について。この世界に宇宙という概念はない。どれだけ本を漁っても、宇宙なんて言葉はなかった。それもその筈だ。天井には女神が住んでいるのだから。星や流星という言葉はあるが、星は女神が生み出したものだし、流星だって、女神の住まう国の星の移動で起こるもの。それがこの世界の認識。けれどシロール様は知っていた。宇宙だけじゃない。異世界文化学について、私よりも詳しすぎる。ここ数十年、異世界人はこの国にほぼいなかったのに、最近のことまで。
もしかしてこの人は、私と同じ異世界人なのではないか。そう思って彼のことを調べていくと、根拠ばかり手に入れてしまった。彼は養子であること、15歳で女神不在論の論文を出したこと、王家の者が昔、未知の言語を話すシロール様らしき子供を城で見たことがあること。
私はシロール様の目を逸らさずに見つめ続ける。知りたい。言いづらいことなら諦める。でも正直、知りたい思いの方が強い。だって、大切な人だから。
シロール様は汗をたらりとかいた。動揺しているようだ。彼は瞬きを何回かした後、私に微笑みを向ける。作り笑いじゃない。ちょっと苦しそうな笑み。
「500460番。あだ名はシローでした」
「……え?」
「本当のことです。わたくしは西暦2289年、9歳のとき、キヌヨ様の時代より少し先の未来からやってきたんです」
予想だにしない壮大な答えに、今度は私が声を失う。シロール様は私からぎこちなく視線を逸らし、地を見つめる。
「ずっと隠していて申し訳ございません。少し長くなりますが、聞いてくれますか?」
「もちろんです。貴方のことなら、なんだって」
私の答えに、シロール様は眉を下げて笑った。
*
500460番は戦争孤児だった。2280年代の日本は、機械戦争を終えたばかりの赤子のような国だった。親戚に預けられて、虐げられて、必死に物資運びで日銭を稼ぐ日々。それでも唯一の楽しみがあった。勉強だ。特に歴史の勉強は楽しく、はるか昔にあったことはほぼ全て暗記していた。特に、2000年代の日本は好きだった。今より劣った時代だと周りは笑っていたけれど、それでも、人が今よりたくさんいて、たくさんの楽しみがあった。それだけで羨ましくて、夢のような話だと目を輝かせていた。
やがて頭の良さを政治家の重鎮に認められた500460番は、引き取られて高度な教育を受けることになる。勉強は楽しかったが、優秀な者は他にもたくさんいることに、気づいてしまう。自分は特別だと思っていた。ちっぽけなプライドは打ち砕かれ、それでも、ひたすら学ぶ毎日。いつの日か、あんなに大好きだった昔の日本も、劣った時代だと思うようになってしまっていた。
そんなある日のこと、この世界に召喚されてしまった。まず困ったことは、言語が全く違うこと。何を言っているのか分からないまま、手を引かれ、大人たちの言い争いの末、怖そうな顔の男性の屋敷に連れていかれた。
日々は大変だった。何もかもが違う生活に、どうやったってできない意思疎通。けれど屋敷の人々は500460番に優しかった。次第に、本当に次第だが、心を開いた。初めてぎこちない「おはよう」を義両親に言ったときは、オニキス家は1日中パーティだった。
彼はシロールと名を与えられた。持ち前の頭脳でめきめきと成長した彼は、元の世界の知識を使って様々な魔法の発明、論文を世に出していく。だが満たされないものがあった。何故ならこの程度、元の世界では周りは当たり前にできていた。あの中ではきっと自分は落ちこぼれだったのだから。そんな思いが消えなかった。
そして何より、あんなに素敵なオニキス家の人々が、多くの人に軽んじられていること。許せなかった。少し先の未来から来た上、日本出身のシロールを利用するためにオニキス家に押し付けたくせに、命令するばかりで何もしない王家も。瘴気瘴気と怯えるばかりで手を貸さない、外のやつらも。
やがてシロールはあらゆる手を使って、オニキス家の発展に尽力していく。恩を返す、という意識もあったが、半分以上は復讐だった。あの優しい人たちを軽んじる世界への。
そんな中、新たな異世界召喚者が現れたとの情報が入ってきた。日本人の女性で、しかも2000年代から来た。最初は冷やかし程度に見に行くつもりだった。自分とは違って良い時代に生まれた、平和ボケした奴なんだろうな、と。
メイドの姿で潜入したあの日、騎士崩れに水をかけられたあの日、そこから助けてくれた彼女の背を見た、あの瞬間。
シロール・オニキスは、恋をした。
*
「以上がわたくしの話です。つまらなかったでしょう?」
自虐的に笑う彼は、いつもよりもずっと寂しそうだ。私は横に首を振る。
「話してくれてありがとうございます。ごめんなさい、本当は話したくなかったと、顔に書いてあります」
「なんと。わたくしもまだまだですね」
私はきゅっと、シロール様の服の裾を引っ張った。自分でもどうしてか分からないが、彼が離れていってしまうような、そんな気がして。
「本当は、怖かったんです」
ぽつり、と視線を逸らしたまま、シロール様は口を一文字に結ぶ。
「わたくしが未来から来た異世界人だと分かったら、きっとこの国の人々はもっとわたくしを忌み嫌う。だってわたくしは、未来では普通のことをやっているだけです。当たり前のことを当たり前にやって、知っていることをただ言いふらすだけ。虎の威を借る狐というやつです」
私は何か言おうと口を開く。でも言葉が思いつかず、何も言えない。
「わたくしには何の才能もない。慈悲も情も、父上、母上やあの屋敷の人々すべて、そして貴女みたいに、綺麗な心も。なのにその癖、何もない人間だと思われたくないなんて、醜いプライドを持っている」
「そんなことは……!」
「おまけに今は、貴女に嫌われたくないと強く思う。他でもないキヌヨ様に嫌われたらと思うと、怖くて、恐ろしくて、足が、手が震えるんです」
シロール様はおずおずと、私の手に指先を触れ、すぐに自分のもとへと戻す。まるで、怯えているみたいに。
彼と目が合う。雨に濡れる花のような、陰のある彼の瞳に吸い込まれる。
彼は強い人だ。眩しい人だ。光だ。そう思っていた。けれど彼だって人間だ。私より遥かに辛い思いをして。そこまで考えて私は、いや、と思い直す。きっと辛いことは比較するようなことじゃないんだ。彼も辛い思いをした。私も辛い思いをした。それはまるで____
『貴女様が不気味な聖女なら、わたくしは辺境の呪われ魔術師ですよ? おそろいで嬉しいですね』
ずっとずっと宝物の、あの日の彼の言葉が脳裏に浮かんだ。
「シロール様、手を出してください」
「え? はい」
私は彼の手を取る。そしてそのまま指をしっかりと絡めて、固く握った。
「私を侮らないでください、シロール様」
「そ、そんなことはないですよ!?」
「いいえ分かってません。私がどれだけ貴方に救われて、どれだけ、私が貴方を好きかって」
シロール様は固まる。彼が動かないことをいいことに、私はぐい、と彼の手を口元に引き寄せる。そのまま、己の唇にか彼の手を押し付ける。柔く、長いキスを。
「私たち、お互いに向こうの世界で辛い思いをして、こちらの世界でも辛い思いをした。哀しいことだけれど、こうやって出会えて、一緒にいる。それってなんだか、おそろいみたいじゃないですか?」
彼が目を見開く。きっと思い出してくれたのだろう。私たちがあの日笑い合った、おそろいを。
「キヌヨ様」
「はい」
シロール様が手を離し、今度は片手で、私の頬に手を添える。
「こんな情けない男ですが、キヌヨ様を愛しています。生涯貴女をあらゆるものから守り、貴女だけを愛すと誓いましょう。だからどうか、私と手を繋いでいてください、一生。」
「もちろん、私も愛しています。私はこれからもずっと、シロール様だけの女神様、ですもの」
さらさらと気持ちの良い風が吹く晴天の下。私たちはふたり、眩しい光に満ちた視線を交わし合う。その光の名はきっと、愛とかいう名前なのだろう。
私たちは長い口づけを交わす。花の香りがする、緑の中で。
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