7 不穏


 最近急速に慌ただしくなったと、さすがの私でも分かる。換気のために開けていた窓の外から、雨が一滴入ってきた。私は窓を閉め、また執務机に向き直る。事務処理をしながら、片肘を机についた。


 とある1通の手紙が来てから、この屋敷はかなり慌ただしくなった。 王命だというこの手紙、要約するとこんな内容である。


『魔物の侵攻について、および聖女の取り扱いについて話がある。至急城に来るように』


 シロール様に届いたこの手紙、というか登城命令。完全に罠だと、私にも分かった。


 この地を治めるのはシロール様じゃなく彼のお父上。王命だというのならまず、オニキス家当主に来るべきだ。シロール様はあくまで領地運営に関わっているだけ。おまけに表立っては悪いことはしていない。表立っては。


「キヌヨ様のことと言えばわたくしがのこのこ出てくるとでも思ってんでしょうね。いいですよ。やってやろうじゃありませんか。準備を入念に、引くほど綿密に行ってからカチコミ行ってやりますよ。やってやる。ていうか聖女の『取り扱い』だぁ? こんな高貴なお方に対して舐めていらっしゃいますね。そうですよ、大体王家の奴らはまぁまぁ尊敬する我が父、まぁまぁ大事な我が領地を舐めくさって___」


 彼はその後も王家の愚痴を吐き出しに吐き出しまくりながら、忙しなく行動を開始した。


 何か手伝うと言ったのだが、私は外に出してももらえない。どうやら風の噂もとい、シロール様の盗聴によると、私が第一戦線で楽しく、そこそこ活躍しながら健康に生き残っていることを、王家が知ったらしい。あの人たちは私が苦しんで死ぬ前提でこの地へと送る予定だったのだから、ハーモニ様あたりはカンカンだろう。それを踏まえて何をしてくるかわからないということで、私は半ば監禁状態であった。


 コンコン、とノックが聞こえた。私は羽の生えたペンを置く。


「どうぞ」

「失礼いたしまーす、シャインちゃんです。よっと! キヌヨ様、お届け物が来ました!」

「お届け物? 念のため防御魔法を張ってから調べます。そこに置いてください、ありがとうございます」

「いえいえ! でもシャインちゃんも一緒に調べますよ。なんせ送り主は、アルヴァ大聖堂からですもん」

「大聖堂?」


 私は顎に手を当てる。大聖堂。国教であるルミナス教の本丸だと聞いたことがあるが、私は直接関わったことなどない。そういえば本当は私は、大聖堂にて教育を受ける予定だったらしい。聖女召喚は本来は神聖なる儀式。だが私が来る前に法の改正があって、王家が主体となってやることになったとか。


「今まで辛い目にあってきたキヌヨ様をほったらかしだったくせに、神ごときの犬どもが何の用ですかねぇ。シャインちゃんの前でキヌヨ様に害を成したら、速攻でバトルアックス担いで大聖堂行ってやらぁ」


 何やら目つきを鋭くしているシャインさんを隣に、魔力を探知する古い文鎮を離れたところからそっと荷物に当てる。文鎮に何も変化は起こらない。どうやら害をなす魔法は宿していないようだ。


 私たちは遠慮なく荷物を開ける。箱の中には、また小さな茶色い木の箱と手紙と、茶封筒が添えられていた。


 小さな箱を手に取り中を開ける。中にはピンクの小さな宝石がついた指輪が入っていた。


「指輪ぁ? なんです、求婚? 媚び売り? シロール様に報告したときは『警戒して開けろ』って言われてたけど、指輪って! なんて報告しよう、絶対怒るよぉ」

「まぁまぁ。とりあえず、こちらの手紙も開けましょう」


 ペーパーナイフで封を開ける。ドキドキと鼓動を早めて、中から手紙を取り出した。シャインさんと一緒に、私は手紙を読み始める。


『キヌヨ・ミネダ様


 突然のお手紙失礼いたします。私はライラロー。ルミナス教の大司教をしている爺でございます。


 早速ですが、わたくしどもは聖女様のご活躍をずっと陰で見て参りました。オニキス領の広報誌は皆で楽しく読ませていただいております。


 私はオニキス家の子息が唱える『女神不在説』にずっと嫌悪を抱いておりました。彼が操る空間の魔法についても、技術を独占していることも、あの飄々とした胡散臭い態度も。しかし、貴女様があまりにいきいきと、オニキス領で社会奉仕をする姿を見て、徐々に暗い気持ちは薄れていきました。


 貴女様は本来ならば教会で預かるべきだった。女神の贈り物である貴女様と話したかった。言い訳がましくなりますが、教会に属するものは王家から何の情報も提供されません。対立関係がここ数年苛烈なためです。なので貴女様を知ることは、民に向けて発信される低俗な妄言でしか叶いませんでした。最初はそれを信じ、魔法を過信する王家に染まった挙句堕落している者は、そもそも聖女ではないのでは? とさえ思ってしまった。けれど、そんな愚考は貴女様の辺境での懸命な姿を見れば、跡形なく霧散しました。どうかこんな愚か者、赦さないで恨み続けて、いくつかの季節が巡ったら忘れていただきたい。


 貴女様こそ本物の聖女だ。貴女様に辛い思いをさせてしまい、誠に申し訳ない。この指輪は代々聖女が受け継ぐもの。貴女様が持つべきもの故、あるべき方の元へお返しいたします。また、先日オニキス家の子息の協力を得て、貴女様の魔法のたくさんのメモ、努力の証を王宮の貴女様の部屋から取り返してきました。それも同封いたします。彼は面白い人だ。貴女様へシロール殿からメモを渡してほしいと、大司教である私直々に伝えたのに『最愛のレディの部屋に忍び込んだなんて知られるのは嫌だ』と、私に押し付けてきました。しかしまぁ、手紙でこうやって暴露してしまったのは、恋慕に奥手な若者への、爺のお節介でございます。


 貴女様の進む道に女神の祝福があることを、わたくしどもは皆信じております。どうか貴女様の、信じるがままにお進みください。


 ライラロー』


 手紙を持ったまま、唇を噛んだ。鼻がじんと滲む。指に伝わるこの高貴な紙の感触さえ、宝物のような心地がする。


「すごいすごい! 教会もキヌヨ様の味方なんだ! よかった! キヌヨ様が頑張ってきて、今も頑張ってること、シャインちゃんたち以外の人も知ってたんですね! 犬とか言ってごめんよ大司教殿!」

「……はい。感激でふわふわしています。夢かもしれません」

「えへへ! 夢じゃないですよー、ほっぺつんつん!」

「ふふふ」


 手紙をギュッと胸に当てる。頬を突かれてもなお、弾む気持ちは抑えられなかった。



 曇天の向こうに月が昇る頃。今日はなんだかゆっくりしたくて、夕食と湯あみのあと、私はもう寝る準備を始めた。ベッドに身を預けて、手を天井にかざす。右手の小指には、教会からいただいた聖女の指輪が光っていた。


「貴女様こそ本物の聖女だ」。手紙の一文が今も頭の中にいる。私は優しく指輪を片方の手で撫でる。


 聖女と呼ばれることを、今まで本当は好きではなかった。心の奥底で自分が聖女じゃなければ、何か変わったんじゃないか、あんな辛い思いをしなくても済んだのではないかと思っていた。けれど、今はもう違う。私は聖女でいていいんだ。


 私は小さく口角を上げた。目を瞑り、寝返りを打つ。手紙を何度も読み返していたらこんな時間になった。早く眠らなくては。


 うつろうつろと夢へと片足を踏み入れた頃だった。


 ___人?


 私の意識は突然冴える。鮮明に、鋭く。


 人の気配、いや、誰かの魔力の気配がする。眠ったふりをしたまま探る。シャインさんではなさそうだ。いや、違う。この屋敷の、誰でもない。誰かまでは分からないが、部屋に、誰か入ってきた。ノックもなしに、こんな時間に。


 足音ひとつなしに近づく魔力の塊に、私は意を決して、息を吸う。


 私は飛び起き、己の身体に雷を纏わせる。雷のバリバリとした光の点滅で、部屋が明るくなる。


「うわああっ!」

「誰ですかこんな時間に!」


 私を睨みつける、どこにでもいる平民のような格好の男性。


「誰だぁ? 俺の顔も覚えてねぇだろうなお前は! お前を噴水に突き飛ばして、それが原因で廃嫡された気高い騎士様だ! ふざけんな!」

「不気味なほどご丁寧なご説明ありがとうございました。はっ!」


 私は雷魔法を手から放つ。男は叫び声と共に倒れた。


 男に馬乗りになり、氷の魔法で足と手を固定する。


「内通者は誰ですか?」

「は?」

「この広大な屋敷に入るには、屈強で清廉な騎士たちの厳重な警備を掻い潜る必要がある。内通者がいるのは確実。また、首謀者もいますね。さらに貴方の先ほどの自己紹介。名乗らずとも私をさっさと殺せばよかった。身元を馬鹿正直に話すなんて、頭がイカれています」

「そ、それはお前に腹が立って」

「録音しているんですよね。誰かにこう名乗るよう、そして録音ができるものを持って襲うよう指示されましたか? 貴方は利用されているんです。大方、首謀者は全責任を貴方に押し付けるつもりでしょう。貴方には正当な怨恨があるから」

「……あの馬鹿辺境子息に似てきやがったな、聖女サマ」

「よく言われます」


 男の顔には笑みがある。妙な違和感を覚えた。死罪は免れない罪を犯して、窮地に陥っているのはこの男のはずだ。なのに、この余裕はなんだ?


「内通者は、後ろにいるよ。お前のよく知る、魔力が少ないがゆえにお前の探知を掻い潜った男がな」

「____え」


 慌てて振り向いたが、遅かった。変な匂いがする白いハンカチを鼻と口に当てられ、私はぐらりと床に倒れる。目が回る、意識が、おかしい。


「さすがだぜ。元暗殺者様」

「___えぇ、これでも腕は衰えておりませんので」

 

 ニルナさんの鋭利な刃物のような冷たい声を最後に、私は意識を手放した。



 ぴちゃん、と水が落ちる音とともに、私はゆっくりと目が覚める。まず気が付いたのは、鼻を掠める腐った木の匂い。次に、不安感を覚えるほどの魔物の気配。次に、椅子に腰かけたまま、こんな環境でも優雅に本を読む、見知った顔の彼。


 手足は黒い鎖で縛られていた。それもただの鎖じゃなさそうだ。魔力の流れが無理矢理せき止められている心地がして、指に力が入らない。あたりを視線だけで見渡すと、どうやらここは廃小屋か何かのようだ。ほこりとカビだらけの空間で、割れた窓の外で雨が降っている。おまけに、背筋が震えるような魔力も外から風と共に流れてくる。おそらくここは、瘴気との境の近く。常人は立ち入らない場所。


「おや、気が付きました?」

「ニルナ、さん。どうして……?」


 私は床に倒れたまま、おぼつかない瞳を彼に向ける。ニルナさんは私に視線を向けず、本のページを一枚めくる。


「魔法は発動しない方がいいですよ。俺は魔力が馬鹿みたいに少ないからわかりませんけど、その鎖は魔法を使えば使うほど、その倍に近い魔力を吸い取ってしまう。最悪死にます。貴女の強みは魔法しかない。だから魔法を防いだ。貴女を捕まえるにあたり、足元を見た結果です」

「どうして屋敷に人を? どうして私をこんな風に捕らえたのですか?」

「この部屋は見張られてますからね。俺も下手なことをしたら、消されてしまいます」

「誰にですか?」

「外は雨が降ってきたようだ。明日、いえ、もう日付は変わりましたし、今日ですね。今日の昼は晴れるとよいのですが。最近雨が続いて、洗濯物をメイドたちが風と熱の魔法で乾かしてばかりですからね。はるか遠くの偉大な南から風が吹くとなお良い。曇天や雨の暗闇ばかりでは気が滅入る。街灯が普及していなかった昔は暗闇ばかりでしたけどね。今も闇の中を走っていたあの頃の南風を思い出します」

「ニルナさんの目的は何ですか? 誰かにそそのかされているのですか?」

「シャインは今頃眠り始めた頃でしょう。俺もそうですが、あの子も意外と夜型なんですよね。俺と犯罪組織にいた頃、あの子は全線でした。魔力も体力もありましたし、組織では爆弾娘と呼ばれていた。対して私は魔力がないから、人の顔色を伺うことと、暗殺でしか生きていけなかった。あの子には悪いことをしました。だから今、俺の全力を持ってあの子を、大事な妹を幸せにしたい」

「このことをそのシャインさんは知っているんですか? シロール様は? まだ戻れます。だから本当のことを」

「銀食器の磨き方をご存じですか? 以前執事長に教わって感動したのが、ナイフの磨き方です。近年では水魔法のひとつに、泡を作り出す魔法というものがありましてね。どんなに汚い棚の中にあったナイフでも、指先ひとつの泡であっという間にきれいになるんです。でも結局必要なのは、性能のいい道具がいくつかと、本人の技術だそうですよ。ま、いくら魔法の研究が進んでも人の手は必要ですよね」


 ニルナさんはぱたりと、本を閉じた。椅子をぎしりと軋ませ、立ち上がる。


「私から話すことはもうありません。さようなら、キヌヨ様。貴女様に幸があらんことを」


 そう言ってニルナさんは、私のもとへと歩いてくる。彼は床に倒れる私に向かってしゃがみ、私の両耳に小さく魔法をかけた。途端、耳が全く聞こえなくなる。耳だけじゃない。魔力が膜のように喉に流れ込み、声も出ない。


「______! ______!?」


 口をパクパクさせ見上げるだけの私に、ニルナさんはいつも通りの微笑みだけを残して、小屋を出ていった。


 音の消えた小屋で、なんとか起き上がろうと身体に力を入れる。ここで横たわっていても何も変わらない。そもそも今この状況についても、何も分かってないのだから。落ち着け、行動しろ。速くなる鼓動に言い聞かせていると、あることに気が付く。


 手は全く力が入らない。けれど、足は若干、手よりは力が入る。魔力が吸い取られている感覚が少ないような気がする。私は暗い中で目を凝らす。


 ハッと息を吸った。手の鎖と足の鎖、よく見ると色と大きさが違う。私は目を閉じ、一番得意な雷の魔法を足もとから最小限で発動してみる。


「うっ……!」


 手に巻き付いた鎖がぼうっと光る。足から出したはずの雷が手に向かって逆流する。けれどまだ、激しめの静電気程度の、耐えられる痛みだ。足元を見て、やはり、と私は確信する。予想通り、足は何ともない。やはり手と足の鎖は種類が違う。魔力を吸い取るのは手の鎖だけ。足はただの、重いだけの鎖。


 足に全力で、炎魔法を発動する。逆流で指先がやけどのようにひどく痛くなったが、鎖は焼き切れた。だがもう皮がむけて血がだらだらと流れている。これ以上魔法を使うのは危険だろう。


____貴女の強みは魔法しかない。だから魔法を防いだ。貴女を捕まえるにあたり、足元を見た結果です。


 先ほどの言葉が脳裏に浮かぶ。足元。先ほどのニルナさんとの噛み合わない会話は、今の状況を暗に教えてくれていたのではないか。


_____はるか遠くの偉大な南から風が吹くとなお良い。曇天や雨の暗闇ばかりでは気が滅入る。街灯が普及していなかった昔は暗闇ばかりでしたけどね。今も闇の中を走っていたあの頃の南風を思い出します。


 曇天や雨の暗闇。これは過去にニルナさんが所属していた、犯罪組織のことじゃないか。そして何回も出てくる南の言葉。この辺境の地の南で、偉大なる。もしかして、王家。


 私は立ち上がり、辺りを見渡す。他にかみ合わなかったのは確か、銀食器の話。ニルナさんがさっきまで読んでいた本が置かれた棚が目に入る。本の一段下の棚に、ナイフがあった。


 ナイフに顔を近づけて口で取る。手には極力衝撃を与えたくなかった。でも武器があった方がいい。


 魔法の効果が薄れていく。


「_____が! ____だ!」


 外から複数の人が争う声が、爪の先ほど小さく断片的に聞こえる。ニルナさん以外の人が来たとすぐにわかる。それも魔力の量から、結構な人数。どうしよう、と何か使えるものがないか探す。


 私は口の形を「あ」にした。雨漏りしている壁のすぐ近くに、蔦だらけの人が通れる穴がある。私は駆け寄り、なんとか最後の手の力を振り絞って、ナイフで蔦を払い、外へと脱出した。


「_____はぁ、はぁ、声が、はぁ」


 耳と声が戻る。ニルナさんの魔力では、恐らく高度な感覚を操る魔法は長続きしないのだろう。


 暗闇の森の中をひたすら走る。騒がしさのなる方に、ニルナさんのいる方に。ナイフを何とか握る手の皮がただれて、血が出ていても関係なかった。


 足が止まったのは、瘴気との境のすぐ近く。いつかシロール様と歩いた、小道のすぐ前。私は目を見開いた。


「よお遅かったな、聖女サマ」


 顔も知らないごろつきたちの死屍累々の中、生き残ったであろう屈強な男に足蹴にされる、横たわるニルナさんの姿。


「ニルナさん!」

「がはっ! キヌヨ、様、おれに、かまわな、いで」

「よくも!!」


 ニルナさんの血まみれの姿が鮮明に網膜に焼き付く。怒りで目が真っ赤になる。私はかろうじで握っていたナイフを口に運んで、男に刺すように迫る。だが当然、手を縛られている状態で勝てるわけがない。向かっても向かっても、風魔法で跳ね返されてしまう。でも、足を止めない。止めるものか。


「しつけぇ女だな。服も顔も傷だらけで、醜いねぇ」

「はぁ、はぁ、なんとでも言え! その人を開放しなさい! 私の大切な人に、薄汚い足で触るな!」

「はいはい。こいつはもう裏切り者だし、交渉は決裂だ。残念だったな元暗殺者様。大事な妹にはもう刺客が向かってるよ」


 男はニルナさんの胸倉をつかみ、私の元へと放り投げた。


「……すみませ、キヌヨ様。妹、を人質に、昔の仲間と第二、王子派の貴族、におど、されて。したがわない、と、シャイ、ンのいのち、とオニキス、家のみらいは、ないと」

「いいんです! 喋らないで!」

「ごめんな、さ、こわい、思いを。おれ、ひとりで、片を付けた、かったのに」

「私を逃がそうとしてくれたんですよね!? わかってます、ニルナさんの一番弟子ですもの。私が助けます。だからまた、稽古しましょう、ね。だから、意識をしっかり」


 私がそこまで言うと、びゅん、と何かが飛んできた。男の手斧だった。鋭い鉄がスローモーションに見える。避けられない。ぎゅっと目を瞑る。


 血飛沫が勢いよく咲いた。私のじゃない。私をかばって盾になった、ニルナさんの。


「いや、いやああああああ!!」


 地に倒れるニルナさんに駆け寄る。


「ニルナさん、ニルナさん、ニルナさん!!」

「キヌ、ヨ様、シロー、ル様、げほっ!! ごめん、なさ」

「やめて、そんな」

「シャイン……」


 妹の名を最後に、ニルナさんは目を閉じた。


 体中の血液が煮えくり返る。いやだ、こんなの認めない、いやだ、許さない。何が聖女だ。目の前の人を助けられずに、こんな目に合わせて。憎い、自分が情けなくて、憎い。


 ざ、ざ、と男が歩いてくる。来るな、寄るな、憎い、こいつが憎い。憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い!!


「次はお前だ!」


 男が炎を纏った拳を振りかぶったとき、指輪が光り輝く。どくん、と心臓が息吹を吹き返すように脈打った。


「ああああああああああああ!!」


 私は息を吸い、全身から最大出力で空に昇る雷を放つ。よくも、よくも。頭の中は怒りでいっぱいで、全身から血が溢れ出す。でも私は雷をやめない。もう、止まらない。


 手の鎖は焼け焦げて、力なく地に落ちる。男もたじろいで、急いで指笛を鳴らして応援を呼ぶ。けれどもう、私は溢れ出るこの怒りをどうしようもできない。


 全部私が壊す。全部私が、消す。

 

 血まみれの手で、怖気づいた男を殴り飛ばす。顔には大きな笑顔が浮かんでいた。


「地獄に行こうね」


 その言葉を最後に、私の思考は真っ白になった。

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