3 理由を知る日


 夜会を抜け出した私たちは、屋敷に転移していた。ふわりと緩やかに、シンクのカーペットに着地する。明かりのついたシャンデリアが美しい広間の真ん中、私は口を開けて広々とした屋敷を見上げていた。


「あの、ここは?」

「わたくしの家が所有する屋敷のひとつで、わたくしの今の住処です。聖女様、ご気分はいかがですか? 魔力に当てられて酔ってなどはいませんか?」

「はい。ありがとうございます。いろいろと」

「勿体なきお言葉です」


 男性は私から手を離す。パンッ、と手を一回叩くと、にこやかに微笑んだ。


「あんな窮屈な夜会の空気を吸ってお疲れでしょう。部屋は用意してありますので、今日はもうおやすみになってください。必要なものは何でもご用意いたしますので、侍女にお申し付けを」

「よろしいのですか?」

「もちろん。ご迷惑でしたか?」

「そんなことありません。本当に感謝してて……。けれど何故そんなに、見ず知らずの私に親切にしてくださるんですか?」


 私は思わず聞いてしまう。だってこんなことをしても、目の前のこの人には何のメリットもない。


 シロール様は微笑みを崩さず、人差し指を唇に当てた。


「それも明日にいたしましょう。今は不安で戸惑うでしょうが、安心して夢の中へとお進みください。ただひとつ言えることは、わたくしは、そしてこの屋敷の全ての人間は、貴女様の味方です」


 何故だかすんなりと、彼の言葉が心に沁みた。自分でも何故だかわからない。ハーモニ様のときのようにまた、耳障りのいい言葉に浮かれているだけかもしれない。味方。ひとつの単語がどうにも心に留まって離れない。部屋に案内され、眠りにつくその瞬間まで、私の瞳にはちかちかと星のように、彼の微笑みが瞬いていた。



 翌日、昼近くまで眠ってしまった私を起こしたのは、私の侍女を務めることになったシャインというメイドだった。いきなり転がり込んだ上、寝坊してしまった。ひたすら謝る私に「お気になさらず!」と笑ってくれて、心が温かく、そして軽くなる。白いウェーブの髪の彼女はるんるんと、明るくどこか楽しそうに私の身支度を手伝ってくれた。


「今まで城で大変な思いされてたんですから、聖女様にはもっとごろごろしていただきたいくらいですよ! わたくし共は!」

「私が王城でどんな風に過ごしていたか、ご存知なんですね。貴族や民たちには、私のことは勉学を怠けて無愛想な聖女だと言っていると、ハーモニ様が……」

「そっ、それはえーと、まぁ、この後シロール様に聞けばわかります! ささ、まずはご飯にいたしましょう! 今日の朝ごはんは料理長が普段の倍気合いを入れて作ったそうですよ!」


 歯切れの悪い回答に私は首を傾げたが、気にしないことにした。昼に近い朝ごはんのオムレツは、口に入れたらすぐに溶けるほど柔らかく美味しくて、私は料理長さんにあとでお礼を言おうと決めた。


「シロール様がこれからのことについてお話ししたいとのことです。私も同席しますね!」


 彼女の明るい声に、私の緊張は少しほぐれた。そしてシャインさんに案内されたのは、大きな鉄製のドアの部屋。シャインさんのノックの音がコンコン、ではなく、ガンガン! だった。ノックというか殴っていた。


「シロール様、聖女様をお連れいたしました」

『どうぞ』


 おずおずと中に入る。部屋の内装は王城と同じくらい荘厳な雰囲気の執務室だった。扉の様子から、てっきり棘のついた鉄球とかあるタイプの魔王の城みたいになっているのかと思っていた私は、少し安心して息をついた。


 きょろきょろと辺りを見渡すと、恐らくシロール様の従者であろう若い男性と目が合った。微笑む彼も白い髪で、どことなくシャインさんに似ている。兄弟だろうか。


「おはようございます、聖女様。ご足労いただきありがとうございます」


 シロール様はスタスタと美しい姿勢で私のもとへと歩み寄る。


「おはようございます。昨日は大変お世話になりました、シロール様」

「なんと、わたくしの名前を呼んでくださるとは……! 感激でございます」


 こちらが照れてしまいそうなほど大袈裟な人だ。シロール様に促され、革のソファに腰かける。


「改めて自己紹介を。わたくしはシロール・オニキス。このオニキス領を治めるオニキス辺境伯の息子です。現在は父と領地運営の傍ら、魔法の研究をしていまして、ついた渾名は『辺境の呪われ魔術師』。そんな不気味な男です」

「……あの、もしかして『空間に穴を開けて異動する魔法』の発見者で、その世界唯一の使い手の貴族のご子息とは貴方のことですか……?」

「なんと! おっしゃる通りでございます!」

「私、貴方様の論文読みました。気がつくのが遅くなり申し訳ございません。お会いできて光栄です。わたくし、キヌヨ・ミネダと申します」

「えぇ知っています。間近でずっと見てきましたから」

「え?」


 私の疑問符にシロール様は微笑む。


「さて、これからのお話をする前に、これまでのお話をしましょう」

「これまで、ですか?」

「えぇ。随分と都合の良い話だと思うかもしれませんが、どうか信じてくださいね」


 彼は両手を組む。小さく呪文を詠唱すると、彼の身体が淡い光を放ち始めた。


 光が全身を包んで薄れていくと、そこには栗色の髪をした女性が、それも使用人の服を着た女性が微笑んでいた。目を見開く。高度な光の屈折魔法に驚いただけじゃない。この女性に私は見覚えがあった。


「あの時の、水をかけられていたメイドさん……!」

「はい、メイドさんです。あの時は本当にありがとうございました」

「いえ、っていうかなんであの場に、そのお姿で?」

「あぁ、大した理由ではないです。これは他言しないでいただきたいのですが、貴族社会で生き抜くための情報を集めに、こっそりこのような姿で潜入することがあるんです。そして騎士崩れのクズゴミ低脳野郎どもに絡まれてしまいましてね。そこを偶然通りがかった貴女に助けられた。いやはや、偶然というより運命でございました」


 少し口が悪いのは、この方の素の性格だろうか。シロール様は指をパチリと鳴らす。陽炎のようなゆらめきの後、彼の姿は女性から元の男性の姿に戻っていた。


「あのときからわたくしは、貴女様の味方でいようと決めたのでございます。陰で見守りながら、貴女様を城から逃がす計画を立てておりました。ちなみに父と母にはもちろん、我が家の使用人、数多の我が領民に野良ピクシーキャットの1匹にあたるまで、貴女の素晴らしさをくまなくお伝えしております。ニルナ、あれを」

「かしこまりました」


 ニルナ、と呼ばれた白い髪の男性が本棚から大きな赤い革の本を取り出す。ばさりと開かれた重いページには、カラーで印刷された新聞のようなものが貼り付けられていた。ところどころ文字が空中に飛び出して光ったり、イラストが動いたりしている。


「聖女様、こちらは我が領地向けに週刊で発行している広報誌の切り抜きです。我が主人が貴女様に夢中になってから毎週、貴女様の近況などをお伝えする『今週のキヌヨ様』のコーナーが連載中でございます」

「毎週……!?」

「えぇ。ちなみにすべてわたくしシロールが書いております。貴女様について書きたいことがありすぎて、毎週文字数がギリギリなのが難点です」

「ギリギリ……!?」

「我が主人は頻繁に、我が領地の広報誌担当に文字数増加を直談判しに行っていますからね。迷惑極まりない」

「直談判……!?」

「うるさいですよニルナ。大体あんな小さなコーナーじゃ、わたくしのキヌヨ様への愛の前では到底足りません。一面以上は欲しいものだ」

「そんなに……!?」


 もはや感情が薄れていたと諦めていた私も、さすがに驚かざるを得ない。この人、そんなに私が好きなのか。何故。


 私が口を半開きにして固まっていると、はぁ、とため息がひとつ部屋にこぼれた。ニルナさんの口からだった。


「……シロール様、これ以上取り繕うのは無理かと」

「何がです?」


 ニルナさんは後ろ手で頭を掻く。


「もうあんたの気持ち悪さが聖女様に伝わりかけてますよ! 俺も取り繕うの疲れました。シャインも楽にしていいよ」

「えぇ!? せっかくシャインちゃん真面目モードしてたのに。まぁいっか。人の顔色伺うのだけは得意なお兄ちゃんの言う通りにしまーす」

「嫌な言い方やめろ!」


 ニルナさんもシャインさんも表情や口調がリラックスしたものになっている。恐らくこちらが本来のものなのだろう。


 ぎゃいぎゃいと言い争いを始める兄妹をよそに、シロール様は私の左手を取る。


「聖女様、いえ、キヌヨ様。あの、その、わたくし実はその……」

「は、はい」


 シロール様は赤く染まった頬で、私を見つめる。私は唾を飲み込んだ。


「わ、わたくしは貴女様に、本気で恋をしているのでございます……!」


 取られた手が、彼の手の熱でどんどん熱くなる。先ほどまでの礼儀正しく冷静沈着な様子から一変し、彼は耳まで真っ赤だ。


 シロール様は手を離してすくりと立ち、机の脇にある大きな布のかかった荷物から、布を取った。そこには私の顔があった。思わず「え?」と首を傾げる。なんだこの巨大な絵。


「まずこちら。わたくしどもが勝手に作った貴女様の肖像画でございます。こちらの携帯用のものがオニキス領で流通しておりますし、わたくしの執務をこちらの目視等身大キヌヨ様がいつも温かく見守ってくれています」

「ごめんなさい聖女様。この人、貴女様のことになるといつもこのように歯止めが効かないんです。暴走するんです」

「気持ち悪いけどしばしお付き合いくださいね!」

「えぇ……!?」


 困惑する私を置いて、シロール様はいきいきと「続いては……」と次のグッズの説明を始める。私をイメージしたデザインのシャツ、香水、キーホルダー、ペン、ブローチ、焼き菓子まで。説明は30分ほど続いた。その間ずっとシロール様は生き生きと熱弁していた。


「……ということで、次回は持ち運びできるキヌヨ様の動くイラストを閉じ込めた板を」

「あっ、あの! ほんとにそろそろお腹いっぱいなので! 貴方様の愛は伝わりましたので! ありがとうございます!」

「あはは! キヌヨ様優しい! こんな長いこと付き合ってくれた上にお礼まで! シャインちゃん感動! 女神じゃん!」

「言ってる場合か! 申し訳ございませんキヌヨ様。ほら、気持ち悪さにプライドを感じてるタイプのファンほど、本人にとって面倒なものはありませんよシロール様」

「失礼な。けれど、それもそうですね。つい熱くなってしまい申し訳ないです」


 シロール様はソファに座り直し、再び礼儀正しい微笑みを浮かべる。


 私の頭の中には疑問と戸惑いがいっぱいに詰まっていた。


「つまり貴方様は、私のファンだから私を助けた。でも見返りは? 私は何をすればよろしいのですか?」


 シロール様は心底不思議そうな瞳をしている。


「見返り? そんなの不必要です。強いて言えば貴女様には幸せになっていただきたい、それだけですよ」

「それは見返りではありません。だって私なんかが幸せになどなっても、シロール様にはなんの役にも立たないです」


 私の口調はきっぱりと、自分でも後悔するくらい冷たかった。けれど感情の激流がどうにも抑え切れない。


「婚約者のフリでも政略結婚の道具でも、貴方様の手を取り城から逃げた時点で、覚悟はできています。私は何の役にも立たない不気味な聖女ですから」


 シロール様は真面目な顔つきでこちらを真っ直ぐに見る。その視線が申し訳なくて、私は俯く。ほんとはこんなこと言う予定ではなかったのに、人とまともな会話をするのが久々で、つい後ろ向きなことしか喋ることができない。自分にますます嫌気がさしていく。


「……失礼ですが、キヌヨ様は『自分なんかが幸せになる資格はない』とお考えなんですね」

「……ごめんなさい。こんな自虐的な聖女で、がっかりしましたよね」


 でももう、わからない。何を言えば人から愛されるのか、何を言えば罵詈雑言を浴びせられずに済むのか。もう、何も。


 しんと静まった部屋の中で、何かが私の手に触れる。シロール様が、私の手に手を伸ばし、重ねていた。


「いいんです、そんな貴女様だからこそ好きなんです。愛だの恋だのを盲目的に信じる人じゃない。人との繋がりには見返りを要することもあるような、そんな現実をちゃんと見据える貴女様だからこそ、わたくしは貴女を好きなんだ」

「私なんか、そんな」

「……なんと、貴女様が受けた呪いは手強いようだ。ではこうしましょう」


 彼は礼儀正しく、だけどどこか強さを宿しながら、口角を上げた。


「わたくしはキヌヨ様に見返りとして、この領地に住む全ての者を幸せにしていただくよう、要求いたします」

「幸せ……」

「えぇ。領地運営、貴族社会での立ち回りなどの教育係もお付けいたしますし、資金も惜しみなく提供いたしましょう。もちろん業務は貴女様の無理のない範囲で。この約束が心身の負担であれば、わたくしとの婚約を破棄していただいても構いません。婚約はあくまで契約ですから」


 シロール様は片方の手を胸に当て、私を見つめる。


「だからもう、自分『なんか』と己に厳しく当たるのはやめてください。人を幸せにするにはまず、己自身を幸せにしなくては。どうか、幸せになるためのお手伝いをわたくしにさせてはいただけませんか? お願いいたします」


 眼差しは温かい。私の心の柔いところがじんと滲む。これは都合の良い夢だろうか。またハーモニ様のときのように、期待させておいて奈落へと突き落とされるのだろうか。こんなに優しく接してくれるシロール様にそんなことを思ってしまう。なんて罰当たりな自分だろう。


 けれど私はもう、城で婚約破棄をされたときに決めたのだ。涙は流さない。私には魔法がある。


 もう絶対、誰にも屈したりなどしたくない。何よりそう思えるきっかけとなった、この人の期待に応えたい。あんなにグッズを作るほど今までずっと私を応援してくれて、そしてあの城から連れ出してくれた、この人の。


 私はゆっくりと深く頷いた。


「わかりました、この話お受けいたします。ただ私、お仕事をしながら魔法の研究をしたいんです。あの城にいたとき、魔法だけが私の唯一の救いだったので……。もちろん精一杯働きます。婚約者、貴族、聖女としての務めも果たします。だから、魔法の研究の許可をお願いします」


 頭を深々と下げる。シロール様の手が離れていくと、すぐさまパチパチと拍手の音が響いた。


「もちろんでございます! なんと素晴らしい! ニルナ、シャイン、今のお言葉聞きましたか?」

「シャインちゃん感動ふたたびなんですけど! さっすがキヌヨ様! 異世界の方だというのに魔法への熱が素晴らしい! この国の魔法の研究者全員に聞かせてあげたいです!」

「えぇ本当に。ぐすっ。このニルナ、働き者のキヌヨ様に負けぬよう誠心誠意お仕えいたします」

「お兄ちゃんずるい! シャインちゃんも! よろしくお願いします、キヌヨ様!」

「はっ、はい。よろしく、お願いします」


 シャインさんに手を取られ、ぶんぶんと上下に振られる。ニルナさんは目元を指で拭っていた。


「あぁわたくしとしたことが、もう一回今までの会話全部聞きたい。婚約成立記念に今までのキヌヨ様との会話、録音しておけばよかったな……」

「録音はちょっと……」


 思わず苦言を漏らしていた。


 その後は使用人のひとりひとりとの自己紹介や、屋敷の案内をしてもらった。全ての使用人が温かい目で私を見てくれて、私は本当に素敵な方々に助けられたのだと、幸福を噛み締める。


 夕食のときは、私の歓迎ホームパーティーが催された。賑やかな空間の中で、私は自分でも知らない間に、微かな笑みをこぼしていたらしい。


「キヌヨ様の微笑み……! ありがとうございます! ニルナ、写真を!」


 そんな私を見てシロール様が鼻血をだらだら流し、ニルナさんに「怖いから落ち着け!」と叱られていたのは、また別の話。

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