第15話 箱に残った『希望』

「キヒッ、キヒヒヒ! 今までよくも俺様をコケにしてくれたもんだなあ、おい!」

 チェシャ猫が曜子ようこ先生をあざ笑っている声が、学校中にこだましている。

「今度こそ踏みつぶしてやるぞ、キツネ!」

 キツネの姿になった曜子先生は、オオマガツのパンチを食らって、王馬小学校のグラウンドに転がった。

 その体はボロボロで、それでも先生は立ち上がろうとする。

「……あなたの好きには……させない……」

 でも、曜子先生はオオマガツの足に腹をけられて、苦しそうな悲鳴をあげた。

「お前を始末したら、お前のだ~い好きな街も小学校もめちゃくちゃにしてやる! キヒヒヒヒ! さあ、やっちまえ、オオマガツ!」

 オオマガツは、チェシャ猫の命令に従うように、足を持ち上げる。

 その足に踏みつぶされたら、ひとたまりもないだろう。

 曜子先生は、もうおしまいだと言うように目をぎゅっとつぶった。

「――先生!」

 アタシは曜子先生をかばうように、オオマガツの目の前に立ちふさがる。

 そして――オオマガツの足を、両手で受け止めた。

「……は?」

 チェシャ猫はあっけにとられている。

 それはそうだろう。

 なにしろ、人間の子どもであるアタシが、『厄災』の巨大な足を受け止めるなんて、ふつうじゃありえない。

「やあ、八雲やくも先生。間に合ってよかった、よかった」

 安倍あべくんと渡辺わたなべくんがあとから駆けつけて、曜子先生の手当てを始める。

 安倍くんが人型の紙を曜子先生の傷に貼り付けると、少しずつ傷が治っていった。

「……どうなってるの? どうして、こころちゃんが……」

「いやあ、春風はるかぜさんはすごい子ですね」

 安倍くんはニコニコ笑いながら、事情を説明し始める。

 それは、曜子先生とオオマガツが激しい戦いを繰り広げている最中の話……。

「ねえ、あの箱って『パンドラの箱』なんだよね?」

「そうだけど」

「安倍くんと渡辺くんがギリシャ神話の話をしてくれたでしょ。『パンドラの箱の中には災いといっしょに希望が入っていた』って」

 安倍くんと渡辺くんは、アタシの話に顔を見合わせた。

「つまり、『厄災』が解き放たれたあの箱に、まだ『希望』が残っている、と?」

「他にできることがなさそうだし、とりあえずあの箱、調べてみない?」

 そして、アタシたちは学校の屋上から地上に叩きつけられて壊されたあの『パンドラの箱』を調べたのだ。

「……なるほど、これは……」

「ビンゴ、ってやつだね。やるじゃん、春風さん」

 アタシたちは、箱の中から『希望』を見つけた。

 それで、その『希望』を持って、曜子先生とオオマガツの決戦に駆けつけた、というわけ。


***


「――ただ、その『希望』、俺たちよりも春風さんのほうが、相性がいいみたいで」

「心苦しいのですが、『厄災落とし』は春風さんに任せるしかありません」

 安倍くんと渡辺くんの言うことに、曜子先生は言葉を失っているみたい。

 しばらく黙ったあと、先生はアタシに声をかけた。

「……こころちゃん。大変な役目だけど、頼めるかしら?」

「まかせてください!」

「俺たちも援護しますし、先生もまだまだ戦えるでしょ? 春風さんはひとりじゃない」

 曜子先生が、アタシのうしろで、立ち上がっている気配を感じる。

 これから、アタシと安倍くん、渡辺くん、そして曜子先生。

 みんなで『厄災』オオマガツに立ち向かうのだ。

「……くそっ、くそっ。何なんだよ、お前ら……」

 オオマガツの肩に乗ったチェシャ猫がいまいましそうに歯ぎしりした。

「うざいんだよ、お前ら! さっさとつぶれろ!」

 チェシャ猫のいらだちに応えるように、オオマガツが吠える。

 アタシが『厄災落とし』を成功させるために、曜子先生がオオマガツの動きを止めようと噛みついた。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!」

「オオマガツを押さえつけろ! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」

 渡辺くんと安倍くんも、それぞれの技を使って援護してくれる。

 渡辺くんの光の刃と、安倍くんの式神がオオマガツに命中し、『厄災』は叫び声を上げた。

「行け! 春風さん!」

「うん!」

 渡辺くんと安倍くんの二人に背中を押されて、アタシはオオマガツの足元に駆け寄る。

 アタシが腕まくりをすると、手首には青くてきれいな石でできたブレスレットが光っていた。

 これこそが、『パンドラの箱』から見つけた『希望』――『厄災落としの数珠』だ。

 ただ、これを扱えたのは、安倍くんでも渡辺くんでもなく――アタシだけだった。

 なぜなのかは分からない。

 安倍くんがいうには、おそらく女の人にしか装着できないものかも、ということだった。

 そして、あの場にいた女性は、アタシしかいなかったのだ。

 ブレスレットをかざすと、アタシじゃないみたいなセリフがスラスラと出てくる。

「われ、厄災落としの巫女が命じる。われは厄災を鎮め、平安を築くものなり。火で浄め、水で浄め、厄災を土にかえす。はらいたまえ、浄めたまえ――」

 そして、ブレスレットをしているほうの手で、そっとオオマガツに触れた。

 オオマガツは、悲痛な悲鳴をあげると、もやもやした煙のような体が形を保てなくなって崩れていく。

 やがて、『厄災』オオマガツは霧がブレスレットに吸い込まれるようにして消えてしまった。

 あとに残されたのは、ぽかんとして地上に座っているチェシャ猫。

「……え? 嘘だろ、おい……」

 チェシャ猫は、あのニタニタ笑顔も消えて、余裕がなくなった表情をしている。

 それは無理もない。

 周りを、怒り心頭の曜子先生、安倍くん、渡辺くん、そしてアタシに取り囲まれているからだ。

「さて、こいつ、どうしてやろうか」と渡辺くん。

「八雲先生、こいつ食っちゃいます? おいしいかどうか、わからないけど」と安倍くん。

「それもいいかもね」と曜子先生。

 チェシャ猫はしっぽを巻いて震えた。

「……にゃ、にゃおーん……」

「かわいい猫のマネしてもダメ!」

 アタシが怒鳴ると、チェシャ猫は「ゆ、許してぇ!」と悲鳴をあげたのであった……。


〈続く〉

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