第14話 厄災オオマガツ
十二月から一月にかけて、
「学校に泊まるって、寒くないですか……?」
「暖房があるから大丈夫。学校が休みの日だって、先生たちはふつうに学校にいるもの」
曜子先生はなんともないように言うけど、さびしくないのだろうか。
アタシは急に曜子先生が心配になった。
「アタシ、先生に年賀状を送ってもいいですか?」
「ええ。学校あてに送ってくれれば……ちょっと待ってて」
曜子先生は小学校の住所を書いて、メモを渡してくれたのだ。
「私、生徒から年賀状をもらうのは初めて。楽しみにしてるわね」
ニッコリと笑った曜子先生に、アタシは笑顔を返した。
「そうだ……あれから、チェシャ猫はどうしてます?」
「大鏡は定期的にチェックしてるけど、もう学校の中に入るルートができちゃってるし、意味はないでしょうね。とりあえず、『厄災の鍵』と『パンドラの箱』を別の場所に隠すしか対策がないわ」
だからこそ、長期休みにも徹底的に学校をパトロールするしかないのだろう。
曜子先生の苦労がうかがえる。
「曜子先生、疲れてませんか……?」
「私は大丈夫。こころちゃんは、冬休み、楽しんでね」
曜子先生は優しいほほえみを浮かべていた。
冬休み中、アタシは曜子先生に年賀状を書いて送ったのだ。
年賀状には曜子先生の似顔絵を描いた。
すると、一月三日には曜子先生のきれいな字で年賀状のお返しが届いたのだ。
宿題をしているうちに冬休みも終わり、二月になった。
来月、三月には、アタシたち六年一組も卒業式を迎える。
あっという間だったなあ……。
この一年、いろんなことがあったと、アタシは思い出していた。
『笑う猫』チェシャ猫とのたび重なる対決、
――そっか、曜子先生とも、もうすぐお別れなんだ……。
アタシは、この一ヶ月を大切に過ごそうと思っていた。
そんなとき、とうとうチェシャ猫との最終決戦が迫ろうとしていたのである。
アタシが保健委員の仕事を終わらせて、他の生徒たちが帰ったあと、曜子先生と雑談をしていた時。
「
保健室にやってきたのは、担任の
「池田先生、どうかなさいましたか?」
「いやあ、ちょっとペットに手を引っかかれちゃって。自分でばんそうこうを貼ってたんですが、やっぱり痛むんですよ。だから、保健室でちゃんと手当てを受けたほうがいいかと思いましてね」
「まあ、大変。動物に引っかかれたらすぐに消毒しないと危ないですよ」
そういえば、今朝から池田先生の左手の甲にはばんそうこうが貼られている。
曜子先生はすぐに傷の消毒をした。
「この引っかき傷……猫でも飼っていらっしゃるんですか?」
「ええ。五月の遠足の時に、ペットを飼ったと言ったでしょう? 家の近くに猫がいたんで拾ったんですよ」
池田先生はそのペットの猫について楽しそうに話し始める。
先生が曜子先生のことを好きなのは、周りもなんとなく勘づいていた。
しかし、曜子先生が興味を示さなかったので、他の女の先生たちもイケメン先生を狙っていたというわけ。
「黒猫でね、かわいいやつなんですよ。人の言葉をしゃべるのが上手でね」
「あっ、知ってる! 『ごはん』とかしゃべる猫、テレビで見たことあります!」
アタシが会話に入ると、池田先生は笑いながら首を横に振る。
「いやいや、うちの猫はもっとすごいんだよ。こないだなんか、『学校に侵入するためにお前の家の鏡を貸せ』って言ってきてね」
「……え?」
「それに、牙をむき出してにっこり笑うのがとってもかわいいんだ。そんな猫、なかなかいないだろう?」
アタシは背中に氷を当てられたみたいにゾクッとした。
池田先生はその猫のこと、何もおかしいと思ってない。
それに、その猫の特徴って……。
「それでですね、八雲先生」
池田先生は何事もないように笑顔のまま、曜子先生に向き直った。
曜子先生の顔は警戒心をあらわにしている。
「先生は『パンドラの箱』をどこにやったんです?」
「……池田先生。チェシャ猫に操られているんですね」
「いやあ、あの猫にお願い事されると断れなくて」
池田先生が照れくさそうに笑っているのが、余計に不気味だった。
「八雲先生に断られたら、学校の屋上から飛び降りなきゃいけないんです。なので、お願いしますよ、先生。『パンドラの箱』をこっちに渡してください」
「ッ……! なんて卑怯な真似を……!」
曜子先生はギリッと奥歯を噛みしめる。
そして、しばらく悩んだあと、諦めて保健室の机の引き出しから、あの金属でできた重い箱――『パンドラの箱』を取り出して、池田先生に渡した。
すると、「キヒヒッ。ご苦労さん!」と池田先生の肩にいつの間にかチェシャ猫が乗っていたのだ。
それまで透明になっていたのかもしれない。
「どうやら、今回はきちんと本物を渡してくれたみたいだな」
「人の命には替えられないもの」
「フン、人間ひとりを引き換えに、たくさんの人間が恐怖におののくことになるのに、キツネってのは算数が苦手なのかね?」
チェシャ猫の、曜子先生をバカにするような言い草に、アタシはこぶしをぎゅっと握りしめる。
「チェシャ猫! いいかげんにしてよ! なんでみんなに迷惑かけるようなことばっかりするの!」
「猫ってのは気まぐれに人に迷惑をかけるもんだぜ、お嬢ちゃん」
黒猫は、初めて出会ったときのように、アタシに向かってニヤリと笑った。
「でも、『厄災の鍵』はいいの? 箱だけもらってどうするつもり?」
曜子先生の疑問に、チェシャ猫は答える。
「こうするのさ!」
猫は池田先生を操って、先生は駆け出した。
チェシャ猫は先生の肩に乗ったまま保健室から移動していく。
アタシは曜子先生といっしょに、慌ててそのあとを追いかける。
池田先生とチェシャ猫が来たのは、王馬小学校の屋上だった。
「約束が違うわ! 池田先生を飛び降りさせるつもり!?」
「おいおい、人聞きの悪いこというなよ。俺はちゃんと約束は守るさ。まあ、黙って見てろよ」
チェシャ猫の言葉に従うように、『パンドラの箱』を抱えていた池田先生は、その箱を頭上に振り上げ、屋上から下の地面に振り下ろす。
ガシャン! と大きな音がして、地上に叩きつけられた箱から黒い煙のようなものがふきだした。
「まさか、鍵を使わず、力ずくで箱をこじ開けるなんて……!」
「キヒヒッ、さあ、俺がお前のご主人様だぞ……『厄災』オオマガツ!」
それは、煙でできた黒い巨人のよう。
どこか実体のないもやもやしたものが、無理やり人の形を取ってるみたい。
顔に当たる部分に、赤く光る目のようなものがあり、それがチェシャ猫を視界にとらえた。
オオマガツが差し伸べた手のひらにチェシャ猫がぴょんと飛び乗ると、池田先生は力が抜けたように気絶してしまったのだ。
「こころちゃん! 池田先生をお願い!」
「曜子先生はどうするの!?」
「私は、オオマガツと戦うわ。ここで止めないと、街に被害が出る!」
曜子先生は、すうっと息を大きく吸った。
先生の体が金色に輝いて、そのきれいな光に見とれてしまう。
――曜子先生は、毛並みのいい金色の、九本のしっぽを持った巨大なキツネに変身していた。
――これが……曜子先生の本当の姿なんだ……。
千年生きる、キツネのオバケ――
それが一声吠えると、オオマガツに向かって飛びかかっていった。
「
アタシが池田先生をなんとか安全な場所に移そうと引きずっていると、
「チェシャ猫がとうとうやったのか」
渡辺くんの問いかけに、アタシは小さくうなずいた。
「とりあえず、池田先生は保健室に寝かせよう」
安倍くんの提案で、三人がかりで大人一人をなんとか運んで、ベッドに寝かせる。
「さて、どうしたもんかな。まさか『厄災』があんなとんでもない化け物だとは思わなかった」
「大きさが規格外だ。『がしゃどくろ』くらいあるんじゃないか」
安倍くんと渡辺くんが話し合っていた。
「とはいえ、俺たちはあの『厄災』を止めるためにこの王馬小学校に派遣されてきたんだ。なんとか止めなくちゃ」
どうやら、安倍くんによると、二人はそれぞれの一族の命令で、『厄災』を探し出し、倒すために小学校に潜入してたみたい。
「それと、僕たちが調査した結果、学校で流れていたウワサ――『笑う猫』や『プールの幽霊』、それに『七不思議』のウワサを流していたのはチェシャ猫だ」
「オバケの力のみなもとは人間の恐怖だからね。定期的にウワサを流すことで自分の力を保っていたんだ。多分ウワサを実際に流していたのは操られていた池田先生だと思う」
そう言われて、アタシは思い出した。
そういえば、七不思議のウワサが流れた時、「誰から聞いたの?」とたずねたら、ウワサ好きの女の子たちは「池田先生が言ってた」って答えてた……。
それから、三人で「これからどうしよう」と話し合った。
「今、曜子先生が戦ってくれてるけど、あの化け物に勝てると思う?」
「どうだろうな……千年生きてる妖狐でも、あんな学校を丸ごと飲み込むほどの『厄災』に勝てるんだろうか」
キツネの姿になった曜子先生はせいぜい学校の屋上を覆い尽くすくらい。
オオマガツとは大きさが違いすぎる。
でも、もし曜子先生がオオマガツに負けちゃったら……。
街には災いが降り注ぎ、人間たちはパニックになって、街じゅうにオバケがあふれてしまう。
そこで、アタシは思い当たったことがあった。
「ねえ、あの箱、『パンドラの箱』なんだよね?」
安倍くんと渡辺くんは、アタシの考えに聞き入ったのだ……。
〈続く〉
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