第3話
青年は、自分が暮らしていた星が地球という名を持ち、さらに自らが地球の星人――ガイアであることを聞かされ、内心戸惑っていた。目の前にある、青く巨大な星。くっきりと映える青の美しさと、凹凸とまだら模様の激しい陸、薄い雲のベールを纏う星の姿に、自分がこの星で暮らしていたことでさえも実感が湧かない。ましてや、目の前の遥かにある地球からこちらへ引き上げられて、自分が地球そのものであると告げられても、爺がよく聞かせてくれた迷信の類いにしか思えなかった。
されど、そばにいる白銀色の女性。ディアナの正体が毎晩見ていた月そのものの存在であるということは、妙に納得しうる。ディアナが目前の地球をじっと見つめているのを横目で見るたび、毎晩、月へ抱いていた慕情のようなものを思い出さずにはいられなかった。
ふと、地球の隅から、暗い影が差し込み始めたのがわかった。ちょうど月が一晩ごとに欠ける様子と似ている。青年が眺めているうち、影の一部分は地球を喰らうようにどんどん広がっていった。
青年の思考の中にまで影が広がるように、疑問が沸々と湧き上がってくる。――地球に影ができる。満天の星空を思い浮かべてみる。星々は、色とりどりの色彩の光を持って瞬いている。だが、
「俺の星は光を持っていないように見えるが」
「ひかりを持たない星もたくさんあるのよ。
「いや、君は夜空で一番大きく光っているじゃないか」
青年が言うと、月の瞳に雲が群がるように、ディアナはふっと哀しげに笑った。
「星人の魂の本質って、星のひかりだとよく言われるわ。でも、ひかりを持たないものにだって、魂は宿るでしょう」
現に、地球上で発生した人びとも魂を持っている。ディアナはそう付け加える。だが、ガイアには初歩的なことでさえもまだ飲み込めなかった。
「そもそも、魂って何だ?」
「そうね。魂とは?魂の本質とは何か?それはね、意思とか想いとか、――こころ。そういう、目には見えないけれど一人ひとりが持っているものなのよ」
どれほど難しい顔をしていたのだろうか、ディアナは小さく声を上げて笑った。柔らかい眩しさに、ガイアは懊悩の糸が解れたような気がした。それから、ディアナは幼子にするように、ガイアの手を引き寄せて部屋へと連れ戻した。部屋には嗅いだことのない芳しい香りが漂い、ガイアの緊張はまた解されていく。卓の上には、メイドが気を利かせて淹れてくれたらしい茶が二つ分、それと細々とした菓子が並べてある。茶の色鮮やかさも、菓子の一つ一つも青年にとって初めて見るものだったが、落ち着く香りはどこか懐かしささえ与えてくれる。
ディアナは慣れた手つきで茶を一口啜ると、話を続けた。
「たとえば、私があなたを想って、地上のあなたを呼んでいたこと。それにあなたが応えてくれたこと。これはあなたへの想い、あなたと私がお互いに出会ってみたいという
ディアナの熱のこもった言葉に、ガイアは全身を震わせた。
「俺は毎晩、
ディアナは頷いた。
「人びとに心があるように、星にも想いが宿っている。星人として生まれたときからもっている、こころが」
彼女の視線は白金色に揺らめき、ガイアを射抜く。ガイアの内から熱いものがこみあげて溢れそうなのがわかる。これが、こころというものなのだろうか。
「あなたは、自分がどこで生まれたか覚えてる?」
ディアナは続けて問いかけた。メイドが新しい茶を淹れに行った時のことだ。ガイアは腕を組んで考える。そういえば、物心ついたときにはすでにオオチ「様」――むらの特異な子どもとして奉られ、
「幼少の記憶はあるが、生まれたときのことはさすがに覚えてないな。だが、皆そうではないか?幼少のことを語らうとなって、だいたいが一番古い記憶で、二足で立ち歩き始めたときだったと思うが」
ディアナは共感を示すように小刻みに頷いた。
「あなたの星は、とてもおもしろいの。私が
それから、思い出を奥から取り出すように、伏目がちの瞳を輝かせて言葉を続ける。
「雨は地にたまって、海になった。そうして、海の中にほんの小さな生き物が生まれた。生き物は大きくなって、地に上がって、その姿をどんどん変化させた」
ガイアの方は海を思い出していた。先ほど見た巨大な地球の、表面のほとんどを覆う深い青。それがきっと海なのだろう。海は果てしなく広い。それは地上で眺めたことがあるのでわかるが、まさか広大な海が、空から降り注ぐ雨の一粒の集約であるとは思いもしなかった。しかし、ディアナは信じられないほどおもしろい話を続ける。
「いっとうおもしろかったのは、竜が地上も空も駆け回っていた頃ね。竜が
「竜……本当に?見たこともないが」
竜は空想上のものだという認識だ。どこかの地方で、神として祀られているということも耳にしたことがある。しかしまさか、地上に本当に竜がいたというのか。
「竜の支配は幾万年も続いた。でも、滅んでしまった。突然飛来した隕石――小さな星が降ってきてね」
ディアナが細めた瞳の隙間から金銀の光が漏れ出ているのをちらと見る。神とも崇められている竜が、降り注いだ星によって滅亡したという事実にぞっとする。俺があのまま地上にいたら、俺も、爺も、むらのみなもいつしか突然の星によって命が奪われるのだろうか。
暗くなったガイアの面持ちにディアナははっとして、新しい茶をお互いのカップに注ぐ。それから、つとめて明るい声を出して言った。
「あなたのこと、何度も呼んだのよ。海水の微生物のあなたも、竜のあなたも、まだ小さな猿だったときのあなたも。でも反応はすれど、こちらへくる方法がわからないみたいだった」
「はっ?」
ガイアは目を瞬かせた。
「信じられない。俺は微生物で、竜で、猿だったと?」
ディアナは真剣な面持ちで頷く。
「やがて、人類が生まれた。私たち星人みたいな姿かたちをした生き物が発生したの。しかも、自然に。――そうしてやっと、人類の姿を得たあなたは、呼びかけに答えてくれた」
身を乗り出すようにして、手を卓の上で組む。触れ合ってもないのに、彼女が手を添えてくれたようだ。暖かみのある色が戻った眼差しは、また微笑みをくれた。
「あなたはこちらへ来てくれた。
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