第29場 凡才は胸を焦がす
「なんで三ツ木先輩もいるんですか」
「いいだろ、俺だって功労してやったじゃないか」
俺が喫茶店に入ると、すでに全員が顔を揃えていた。後輩の桐野を筆頭に、先輩となぜか三ツ木先輩もテーブルについている。小さなテーブルの3分の2を占める彼の体躯に押し出され、俺の半身は通路にはみ出た。
「忠海先輩、月森先輩、この度は全国3位おめでとうございます!」
俺のホットコーヒーがテーブルに置かれたタイミングで、桐野が乾杯の音頭を取る。熱いカップを持ち上げるわけにもいかないので、水のグラスを控えめに合わせた。
「月森先輩は引退ですよねえ。学校にはもう来られないんですか?」
「期末試験は行くつもり」
「期末ってお前、そんなの行くやついないだろ。もうみんな進路決まってんだから」
「そうなのか。初耳だ」
やいのやいの話している中、マカロニグラタンが運ばれてくる。何度も通っているが、食事メニューは初めて頼んだ。俺は熱いうちにとフォークを表面のチーズに差し入れる。
「忠海先輩は、どうされるんですか?」
「俺ももう引退する。次も育てたいし」
熱々のグラタンに息を吹きかけていると、視線を感じた。正面に座っている先輩からだった。
「……お前、演劇やめるつもりなのか」
「あ、はい。だって先輩の脚本以外興味ないんで」
「そういやお前はそういうやつだった」
わはは、と声を上げて三ツ木先輩が笑う。ふう、と先輩は息をついてコーヒーを一口飲んだ。
「奇遇だな。私もやめるんだ」
「……え?」
俺は口に入れかけていたグラタンを取り落としそうになる。フォークと先輩を交互に見つめ、再び「え?」と呟いた。
「どういうことだ? 月森」
「前から決めていたんだ。脚本は私に向いていない。先輩は天才だと言ったが、あれはただ筆が速かったからだろう」
「いや、別にそんな……うむ。そうだったかも、しれない」
「三ツ木先輩不誠実~!」
聞こえてくる言葉がすべて上滑りしていく。先輩が書くのをやめるということは、先輩の脚本がもう読めなくなるということだろうか。演出家でなくなった俺には、もう読む資格すらないということか。
俺が演出家であることと、先輩が脚本家であることは関係がないはずだ。だが、このタイミングでの宣言に意味を見出そうとしてしまう。俺はつくづく傲慢だ。
「そんな不誠実人間から逃げて、私と一緒にがんばるんですよね!」
「勉強するのか?」
「私が誰だか知らないんですか? 三ツ木先輩」桐野はパフェをつついていたスプーンをこちらに向けた。「月森先輩はなんと、小説に転向するんですよ~!」
「あっ馬鹿お前、なんで言うんだ!」
先輩と桐野が取っ組み合いを始めるのを、俺はぼうっと見ていることしかできなかった。黒々とした感情が腹の中で渦巻いている。嫉妬? 違う、羨望だ。才のない俺では先輩の力になることすらできない。ただ、天才たちの舞台を見上げることしかできないのだ。
「あ、そうだ。忠海先輩にも読んでもらいましょうよ、あれ!」
「……嫌だ」
「そんなこと言って、今持ってるの私ですからね。はい!」
殴り書きされたノートが目に入る。お菓子を作る青年、学校に行かない少女、ひきこもりの主人公と演劇部――。単語に既視感があるのは気のせいだろうか。
「これは自伝ですか。それとも私小説ですか」
「……エンタメ小説だ」
ぶふっと思わず噴き出してしまった。俺は慌てて水を口に含む。
「お前、笑ったな」
「あっいや、これはその、俺のただの勘違いといいますか……」
「つまり、お前に想像力がなかったってことだな。返せ!」
ノートを奪い取った先輩はそっぽを向いて店員を呼んだ。心なしか顔が赤いように見える。もしかして、恥ずかしいのだろうか。傲岸不遜で天才のあの先輩が? そんなまさか。
「エンタメ小説ってもっと突飛でぶっ飛んだ話じゃないと読まれないですよ~! もっと楽しくしないと!」
「うるさいなあ、わかってるんだそんなことは」
「月森は材料がないと何もできないタイプだったな」
三ツ木先輩の言葉に、俺は固まった。からーんとフォークが床に落ちた音が響く。
「先輩って、天才じゃなかったんですか」
「ああ、要望を全部入れた上でたくさんのパターンを生み出すことにかけては、な」
「じゃあ、あの脚本は……」
「お前の指示がよかったんだろうよ」
店員が新しいフォークを持ってきてくれたが、俺はグラタンに手をつけられなかった。呆然としたままそれは熱を失って、クリームの上に膜ができていく。
俺は、彼女の顔を見ることができなかった。
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