第24場 天才と凡才と凪の朝
しゃんしゃんと絶え間なく蝉が鳴く朝。日差しはそれほどでもないが、風がまるでなく、蒸し暑い。東京の暑さとは段違いの、大浴場にいるような湿気に俺はむせかえりそうになる。いつもより30分も早く家を出たにも関わらず、蒸した空気が身体中にまとわりついてきていた。
学校の最寄り駅で降りたのは、俺ともう一人だけだった。ホームの上で二人の目が合う。
「あ、先輩」
もう一人は、夏服を着た先輩であった。どこからか取り出した大きなひさしのついた帽子を被り、こちらに近づいてくる。電車の残り風に飛ばされないよう、両手でしっかと押さえている。
「随分早いですね」
「暑くなる前に着きたかったからな」
でももう暑いな、と先輩は太陽を睨んだ。俺はごそごそと鞄を漁り、雷おこしを一つ、先輩に渡した。
「これは?」
「道子さん、祖母が土産に持って行けって」
「ふーん、お礼言っといて」
ぼりぼりとおこしを咀嚼する音が聞こえる。改札を出ると、頭が燃えるように熱い。父に持たされた折りたたみ日傘をあわてて差す。
「どうだった、東京は」
「えっと、まあ、いろいろありました」
「そうか」
近況報告は数秒で終わってしまった。学校までの道のりが長く感じる。じりじりと熱されるアスファルトを、先輩の早足に合わせて歩く。
「……今日から、私も稽古に参加してもいいか」
坂にさしかかったところで、ふと先輩が言った。
「どういう風の吹き回しですか」
今まで、彼女は稽古の見学も嫌がっていた。だから、
「いや、一度くらいはちゃんとやってみたくてな。お前も私がいた方が便利だろう」
「そりゃそうですけど」
「ならいいだろ」
前を歩く先輩の顔は見えない。だが、いつもよりも声に覇気がある。演劇部にそんなに思い入れがあったとは思えない。この地を離れるから、だろうか。彼女にも郷愁の念があるのだろう。妙にすがすがしい声なのが気になるところだが。
「出費が減って助かります」
「そうか。ところで今日はどこでするんだ」
「夏休みいっぱいは北校舎の教室借りてます」
「ああ。あそこな」
風のない坂道を上りながら、俺の脳裏にはまだビルに囲まれた景色があった。人も車もさまざまに行き交う道路、緑のない街。この町は、もう完成されていて、俺の入る隙間はない。だから、舞台を作っているのかもしれない。
校舎はまだ遠い。日差しが強まると同時に、蝉の声が少しずつ大きくなってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます